南京2日め、ホテルの朝食は7時から、それに合わせて早起きだ。
食事をとって散歩に出た。
案内をしてもらって、玄武湖へ行く。
それは13階の16室から見えた湖だった。
そこがそうであると、つい、うかつであったが、柴金山を眺めていたので、南京駅前にあるということであったから、そこである。
地下隧道を抜けて南京展覧館をすぐにも行けば入り口であった。
そこは情侶園となっている。
ここが無料になり解放されたようだ。
午前の空は晴れ渡り、向こう岸がよく見える。
恵まれた春の散歩となった。
桜が見事である。
前に観たのは、1年前の同じころ、紫金山の梅花苑で咲きにおう桜を思い出す。
風が冷たい中にも、日差しがあって、風に負けずに歩き始めると、汗ばむ。
湖は波立ち、人々が春を謳歌する、心地よい散歩である。
午後は日本語の学生たちに日本語講義を行った。
1年から3年まで集まって、熱心なことであった。
http://waiyuan.njfu.edu.cn/cp_news.asp?id=357
夕方には日本語科の先生方と会食をした。
宴会は接待緊縮令が出ているなか、ワインのパーティとなった。
6人のスタッフには、北京大学から来たばかりの若い女性と、前から知り合った2人の男性、この人たちも若い、そして主任と、あと一人の中国人教師である。ま
だ、ほかに日本人専門家を入れて3人ばかり見えるが、来なかった。
玄武湖公園
ウイキペディアより。
>中華人民共和国江蘇省南京市に位置する公園。中華民国の時代は五州公園と称され、中華人民共和国成立後に現在の玄武湖公園と改名された。
玄武湖は南京市内の北東に位置し南京駅の目の前にある。南朝年間に湖より黒龍が現れたという伝説が残り宋、斉の王朝や呉の孫権が玄武湖で水軍の訓練を行った。六朝以前は秣陵湖、昆明湖、後湖等と呼ばれ古代中国では帝王大臣たちの園林であった。明代のころは宮廷の禁苑で、全国の戸籍簿を蔵する「黄冊庫」があった。中国歴代(東晋から清)の有名な文人である郭璞、蕭統、李、韋荘、杜牧、劉禹錫、李商隠、李白、欧陽脩、王安石、曹雪芹らも玄武湖で詩を詠んだとされている。玄武湖の水源は東に位置する紫金山を水源としており、その水は玄武湖から鶏鳴寺の付近より南京城内の秦淮河へ流れ込み、さらに長江へと流れ込む。湖には環州、桜州、菱州、梁州、翠州の5つの島が浮かぶ。現在は周囲約15kmの広々とした湖が広がる公園で観光地となり南京市民の憩いの場にもなっている。
玄武湖_百度百科
baike.baidu.com/view/48060.htm
>玄武湖古名桑泊、后湖,已有一千五百多年的历史。六朝时期为皇家园林,明朝时为黄册库,系皇家禁地,清朝时期辟为公园。
玄武湖位于南京市城中,是紫金山脚下的国家级风景区,中国最大的皇家园林湖泊,当代仅存的江南皇家园林,江南三大名湖之一,是江南最大的城内公园,被誉为“金陵明珠”。巍峨的明城墙,秀美的九华山,古色古香的鸡鸣寺环抱在右。
玄武湖方圆近五里,分作五洲(环洲、樱洲、菱洲、梁洲、翠洲),洲洲堤桥相通,浑然一体,处处有山有水。环湖有玄武晨曦、北湖艺坊、玄圃、玄武烟柳、武庙古闸、明城探幽、古阅武台等众多景点。玄武湖为风景园林,亦为文化胜地,许多文人骚客都曾在此留下身影诗篇,如萧统、李、韦庄、杜牧、刘禹锡、李商隐、李白、欧阳修、王安石、曹雪芹、郭沫若等。“金陵莫美于后湖;钱塘莫美于西湖。”北宋文学家欧阳修曾如此赞誉玄武湖。
食事をとって散歩に出た。
案内をしてもらって、玄武湖へ行く。
それは13階の16室から見えた湖だった。
そこがそうであると、つい、うかつであったが、柴金山を眺めていたので、南京駅前にあるということであったから、そこである。
地下隧道を抜けて南京展覧館をすぐにも行けば入り口であった。
そこは情侶園となっている。
ここが無料になり解放されたようだ。
午前の空は晴れ渡り、向こう岸がよく見える。
恵まれた春の散歩となった。
桜が見事である。
前に観たのは、1年前の同じころ、紫金山の梅花苑で咲きにおう桜を思い出す。
風が冷たい中にも、日差しがあって、風に負けずに歩き始めると、汗ばむ。
湖は波立ち、人々が春を謳歌する、心地よい散歩である。
午後は日本語の学生たちに日本語講義を行った。
1年から3年まで集まって、熱心なことであった。
http://waiyuan.njfu.edu.cn/cp_news.asp?id=357
夕方には日本語科の先生方と会食をした。
宴会は接待緊縮令が出ているなか、ワインのパーティとなった。
6人のスタッフには、北京大学から来たばかりの若い女性と、前から知り合った2人の男性、この人たちも若い、そして主任と、あと一人の中国人教師である。ま
だ、ほかに日本人専門家を入れて3人ばかり見えるが、来なかった。
玄武湖公園
ウイキペディアより。
>中華人民共和国江蘇省南京市に位置する公園。中華民国の時代は五州公園と称され、中華人民共和国成立後に現在の玄武湖公園と改名された。
玄武湖は南京市内の北東に位置し南京駅の目の前にある。南朝年間に湖より黒龍が現れたという伝説が残り宋、斉の王朝や呉の孫権が玄武湖で水軍の訓練を行った。六朝以前は秣陵湖、昆明湖、後湖等と呼ばれ古代中国では帝王大臣たちの園林であった。明代のころは宮廷の禁苑で、全国の戸籍簿を蔵する「黄冊庫」があった。中国歴代(東晋から清)の有名な文人である郭璞、蕭統、李、韋荘、杜牧、劉禹錫、李商隠、李白、欧陽脩、王安石、曹雪芹らも玄武湖で詩を詠んだとされている。玄武湖の水源は東に位置する紫金山を水源としており、その水は玄武湖から鶏鳴寺の付近より南京城内の秦淮河へ流れ込み、さらに長江へと流れ込む。湖には環州、桜州、菱州、梁州、翠州の5つの島が浮かぶ。現在は周囲約15kmの広々とした湖が広がる公園で観光地となり南京市民の憩いの場にもなっている。
玄武湖_百度百科
baike.baidu.com/view/48060.htm
>玄武湖古名桑泊、后湖,已有一千五百多年的历史。六朝时期为皇家园林,明朝时为黄册库,系皇家禁地,清朝时期辟为公园。
玄武湖位于南京市城中,是紫金山脚下的国家级风景区,中国最大的皇家园林湖泊,当代仅存的江南皇家园林,江南三大名湖之一,是江南最大的城内公园,被誉为“金陵明珠”。巍峨的明城墙,秀美的九华山,古色古香的鸡鸣寺环抱在右。
玄武湖方圆近五里,分作五洲(环洲、樱洲、菱洲、梁洲、翠洲),洲洲堤桥相通,浑然一体,处处有山有水。环湖有玄武晨曦、北湖艺坊、玄圃、玄武烟柳、武庙古闸、明城探幽、古阅武台等众多景点。玄武湖为风景园林,亦为文化胜地,许多文人骚客都曾在此留下身影诗篇,如萧统、李、韦庄、杜牧、刘禹锡、李商隐、李白、欧阳修、王安石、曹雪芹、郭沫若等。“金陵莫美于后湖;钱塘莫美于西湖。”北宋文学家欧阳修曾如此赞誉玄武湖。