巨視的に、日本語教師は、漢文教師がなった。漢語の教育から日本語教育へとシフトする時代があった。
それ以前には、日本語教師は、外国からの渡来者による。宣教師がそうであった。
その漢語から、大戦をはさんで、英語教育の教師が日本語教育にかかわる。
そのはざまに、国語教師がいた。大陸と領有地で派遣された日本語教師である。
その後には、資格認定の能力試験が画期となる。
日本語教師資格の変遷と打ち込むと、 . . . 本文を読む
公認日本語教師という。国家資格と話題になっているが、どこが公認するか。いよいよ文科省が主管となるのか。というのは、現在、日本語学校は各種学校で、専修学校である。いわゆる専門学校、これは厚労省の管轄下となっていて、日本語教師の教育能力試験合格者は厚労省の大臣名で認定されている。大学で日本語教育のための教師資格取得を検討した、それは古い、2000年までさかのぼって、その少し前に、学部の、主専攻、副専 . . . 本文を読む
日本語教育で能力検定標準がある。いまはそれをNという日本語、能力にしているので、その新試験ガイドに従うことになる。詳しくはガイドブックを見ることになる。
新試験ガイドブックの説明
https://www.jlpt.jp/reference/pdf/guidebook1.pdf
さてそこで、とらえよい旧基準の内容がそのまま継承されているところもあって、レベル別に解説を求めればわかることがある。そ . . . 本文を読む
読解は普通には文章を読解することとなる。中級者の日本語読解を実際のところで想定する。それはいわば長文になるだろう。文章理解と考えられると捉えてしまえば国語の発想だということになる。
短文、長文を問わず、読解が何を作業とするか。日本語の書きことばの所以である。どうか。すぐに想像がつくように、表記の学習にある。ひらがな文字を読む。漢字による語彙を学んでそれを文における用法として練習する。送り仮名、活 . . . 本文を読む
聴解というのは何か。ヒアリング、リスニング、というような科目で、いまや、視聴解とも言って、CD、DVDによるビデオ教材、さらにストリーミングによる映像にもなって、学習者には大変な授業科目である。といっても、オーディオ学習でLLの窮屈さからすれば、随分と変わったのは、パソの画面、タブレット、スマホとなって、聴解そのものの学習法が改善されている。それで、どんなふうに学習が進められるか、基本構築とも見 . . . 本文を読む
>現在、JLPTでは、語彙・文法・漢字などの出題基準が公開されていない
>日本語能力水準は、日本語能力試験N4相当(ある程度日常会話ができる)を原則としつつ、受入れ業種ごとに業務上必要な日本語能力水準を考慮して定める
日本語能力試験対策書籍(N5文字・語彙)という宣伝広告サイトBonjinsyaに、2冊ヒットした。
N5のレベルは、
https://www.jlpt.jp/about/lev . . . 本文を読む
日本語教師ネットを検索して、見たい場所へジャンプ、https://nihongokyoshi-net.com/jlpt-grammars/#N5を見る。
JLPT文型
N1文法
N2文法
N3文法
N4文法
N5文法
JLPTに出ない?文型
そして、また、日本語 の 先生 Nihongo Sensei Diaryから、見ると、次のようである。
http://ooba-sen . . . 本文を読む
オーラルメソッドが英語教育で1930年代に開発されて、それは英語教育よりもむしろ日本語教育に影響して、長沼直兄の、ナガヌマリーダーと呼ばれる、日本語標準読本で実践されたようである。そのメソッドはパーマーメソッドである。1923年、大正12年に文部省英語教授顧問となった、ハロルド・パーマーを初代所長にして設立の英語教授研究所が前身、のちに語学教育研究所となる。パーマーは1936年にイギリスに帰国した。>来日後、日本の学校でオーラルメソッドの精神を生かすために研究してまとめたものがEnglish through Actionsである。さらにオーラルメソッドの精神をコンパクトにまとめたものがThe First Six Weeks of Englishである。 ウイキペディアより 日本語教授法と言えば、このメソッドを取り入れて、日本国内で行われた。オーラルメソッドは英語学習で地域に広がりを見せて、米国では、オーディオリンガルメソッド、アーミーメソッド、オーディオリンガルアプローチとして展開する。>オーラルアプローチは1940-1950年代にかけて、世界中の外国語教授法に影響を与えました。Charles C. Fries やLado の提唱した教授法です。ミシガン大学では、戦争中に外国語を使える人材を育成するために、ASTP (the Army Specialized Training Program)を開発しました。 . . . 本文を読む
日本語教育で、この方法は、なにに拠ってどのように、どういう実践がされていたのか、それを説明するものがないのは、そのとき、その時代の教授法実践者が発言をしないからであろうが、その後もまだこの方法による教育法があるからでもある。敗戦1945年をはさんで日本語教育は1950年代に日本国内で始まる。その戦後の混乱期に日本語教育が全くなかったわけではない。1946年、日華、満州、蒙古の留学生たちが国際学友会にうつり、また1951年に国際学友会に日本語クラスの復活、1950年の中国の留学生たちの帰国、国費外国人留学生の、1954年東京外国語大学、大阪外国語大学に留学生別科設置と、1960年にはインドネシア賠償留学生の制度が始まったころである。国費留学生、学部学生の制度が文科系学生は東京外大、理科系学生は千葉大学で始まる。 . . . 本文を読む