国語文法論日本語文章論は文法単位の文から文章までの文の関係構成を分析する。日本語は文章単位で意味内容をあらわすことができる。文章は語ではない。語と語とが関係構成した文となって、その文がまた関係構成して文章となるのであるから、その小単位から大単位までにいたる文法また文章法があり、語には語法となるべく、その単位をあらわしている。語は文節になり得るので、語が文中で機能するときに文法をあらわすのは、いわゆる文節となる分析によるのである。文節は自立形式と付属形式が語となって現れるもので、ここでいう自立語付属語は結合して自立語のままに文での機能をあらわすことになり、その文節は語の形式をとりながら連文節としても、語のままである場合がある。桜の花が咲く という例文で、桜の花が と見える連文節は、桜の花 としては、自立語であり、桜花そのもの、その花が咲くのであるから、文節としての 桜の花が 花が に等しく理解される。桜の花 桜 花 それぞれが語である。文中で機能することによって、文節が成り立つ。ただし、さくらのはな、さく。 と表現した場合に、さくらのはな さく この語がそれぞれ文になるときに、未分化のままに表現されたので、さくら はな さく というままに、聞き手が、その文法機能を類推して意味内容を与える作用が起こる。
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文の構成を文章の単位から見ると、その文は語から構成されていることがわかる。文単位に述語を見ていくと、文構造において述語に自立して用いる品詞には動詞、形容詞、名詞がある。あそぶ たのしい 健康 この語をそれぞれに発話して、あそびます たのしいです 健康です と用いる場面があるならば、それは、「わたしが遊びます」「わたしが楽しいです」「わたしが健康です」という含意があり、文章を普通体にすれば、わたしはあそぶ わたしはたのしい わたしは健康 と表現しようとするので、その文の持つ意味内容が特定される。名詞を述語とする文は、わたしは健康だ わたしは健康である この二つをもって、健康だ、健康である、と主体から、客体への表現とすることで、文の基本がこの判断指定また存在断定にあることが示される。述語を形容詞の文にすると、その状態の表現が、わたしがたのしい あなたがたのしい、みんながたのしい というように、主体の認識と客体の状態が認識された表現となるので、原初的な叫び、詠嘆の表し方に通ずる。しかし、それを、たのしいです とすることによって、たのしいことです と表現する文の単位を新たに付け加えるようになっている。
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日本語文章の単位は文の集合体である。その文の単位が一文一文において閉じていないと規定をすると、その文は文要素を以ていわゆる完結していない文となることがある。文と文が関係構成をしてそこには文を補い合う要素があるとみる。それでは文を完結し文章を構成する要素とはなにか。文法の構造は単位体の構成を小単位から中単位、大単位へと繰り返し、その構造が表れる。主述関係を閉じた構造とみた文法はその単位を文構造に繰り返しあらわす。単文、重文、複文を文法構造によるとらえ方にするのは、単位文に現れた構成を関係としてみるのである。国語文法論では文の成立を述語の職能とした。文を陳述をもって完結体とする議論である。それを統覚作用として一回の成立を見る。述語における陳述の成立は、それから、統叙作用として見る議論となる。統叙は文の成立にかかわる展叙をもって文を述部の職能で説き明かしている。
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文の構成を文章の単位から見ると、その文は語から構成されていることがわかる。文単位に述語を見ていくと、文構造において述語に自立して用いる品詞には動詞、形容詞、名詞がある。あそぶ たのしい 健康 この語をそれぞれに発話して、あそびます たのしいです 健康です と用いる場面があるならば、それは、「わたしが遊びます」「わたしが楽しいです」「わたしが健康です」という含意があり、文章を普通体にすれば、わたしはあそぶ わたしはたのしい わたしは健康 と表現しようとするので、その文の持つ意味内容が特定される。名詞を述語とする文は、わたしは健康だ わたしは健康である この二つをもって、健康だ、健康である、と主体から、客体への表現とすることで、文の基本がこの判断指定また存在断定にあることが示される。述語を形容詞の文にすると、その状態の表現が、わたしがたのしい あなたがたのしい、みんながたのしい というように、主体の認識と客体の状態が認識された表現となるので、原初的な叫び、詠嘆の表し方に通ずる。しかし、それを、たのしいです とすることによって、たのしいことです と表現する文の単位を新たに付け加えるようになっている。
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日本語文章の単位は文の集合体である。その文の単位が一文一文において閉じていないと規定をすると、その文は文要素を以ていわゆる完結していない文となることがある。文と文が関係構成をしてそこには文を補い合う要素があるとみる。それでは文を完結し文章を構成する要素とはなにか。文法の構造は単位体の構成を小単位から中単位、大単位へと繰り返し、その構造が表れる。主述関係を閉じた構造とみた文法はその単位を文構造に繰り返しあらわす。単文、重文、複文を文法構造によるとらえ方にするのは、単位文に現れた構成を関係としてみるのである。国語文法論では文の成立を述語の職能とした。文を陳述をもって完結体とする議論である。それを統覚作用として一回の成立を見る。述語における陳述の成立は、それから、統叙作用として見る議論となる。統叙は文の成立にかかわる展叙をもって文を述部の職能で説き明かしている。