リマインダーが気づかせるものは、忘れるなよ、というメールである。それがまた、覚えているか、とならないのは、記憶の喚起がそうはならないことがあるからである。思い出せよと、というならば、何を記憶に探すかとなるが、霜月になるたびにブログには異名を書き続けてきているだろうから、そうしたことをまたすっかりと忘れてしまっているわけで、脳の記憶という働きに気づかせるものがある。しまいこんだものは、こうして取り出して見ると、といっても、自分の脳の回路ではなくて、コンピュータにある脳の回路だから、それに出会うと不思議な気持ちになる。その不思議さが解明できれば、説明ができようものなら、脳の働きを知ることができるだろうか、というようなことをリマインダーは気づかせてくれる。
しもつき
2013-11-01 21:43:44 | 日本語百科
暦、月の異名、霜月である。
日本書記に見える、十有一月、ここに訓が付けられている。ただ室町時代訓とあるので、しもつき と呼ぶようになってのことか
竹取物語では、霜月 の表記が見えるが、これについても物語りの成立時期とされることがらと、写本の成立をみなくては表記がわからないところである。
源氏物語は、しもつき と伝え、色葉字類抄に、十一月 俗霜月 シモツキ と見えて、やはり、しもつき という発音が定着していたと考えられる。
辞書は、霜降月、霜見月などを紹介する。
異称とするのも、異名と同じであるが、別名、別称と言い、和名であって、わみょう は、名の呉音、日本で昔から呼ばれている事物の名称、日本での呼び名、邦名、わめい、との言いかえが辞書に記載されるのも、、異称を多くするゆえんである。
ウイキペディアは異名を並べて、説明する。
かぐらづき(神楽月)、
かみきづき(神帰月)、
けんしげつ(建子月)、
こげつ(辜月)、
しもつき(霜月)、
しもふりづき(霜降月)、
しもみづき(霜見月)、
てんしょうげつ(天正月)、
ゆきまちづき(雪待月)、
ようふく(陽復)、
りゅうせんげつ(竜潜月)
日本国語大辞典より
陰暦一一月の異称。霜降月(しもふりづき)。霜見月。《季・冬》
*書紀〔720〕神武即位前(北野本室町時代訓)「十有一月(シモツキ)の癸の亥朔己巳のひ」
*竹取〔9C末~10C初〕「霜月しはすの降り氷り、みな月の照りはたたくにも障(さは)らず来たり」
*源氏〔1001~14頃〕蓬生「しもつきばかりになれば、雪・霰(あられ)がちにて、ほかには消ゆる間(ま)もあるを」
*色葉字類抄〔1177~81〕「十一月 俗霜月 シモツキ」
日本大百科全書(ニッポニカ)
霜月 しもつき
陰暦11月の異称。だいたい陽暦の12月にあたる。この月になると霜がしきりに降るから霜降月といったのが、霜月に転じたといい、露ごもりの葉月、神楽(かぐら)月、雪待月などともいう。冬も深みゆく季節で、まだ極月(ごくげつ)師走の慌ただしさは世間にもみられず、冬の季節に入ったことをしみじみと味わう日々が続く。歌舞伎(かぶき)の世界では、この月の1日を顔見世といい、元旦(がんたん)の心でこの日を祝うが、これは中国古代の周の風俗に倣ったものともいい、周正(しゅうせい)、周の正月などの名もある。
[宇田敏彦]
日本大百科全書(ニッポニカ)
霜月会 しもつきえ
11月(霜月)14日から10日間、比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)で天台大師智(ちぎ)忌の24日を期して営まれる法華十講(ほっけじっこう)をいう。天台宗の諸山諸寺で毎年営まれている。十一月会とも天台会とも称する。伝教(でんぎょう)大師最澄(さいちょう)が798年(延暦17)始修、ついで801年、南都七大寺から十大徳を請(しょう)じて一乗止観院(いちじょうしかんいん)で『法華経(ほけきょう)』8巻および開結二経が講じられ、後の天台宗のいわゆる広学竪義(りゅうぎ)と称される論義が加えられた。当初は、10日間の講論を終わってその明くる24日の朝、天台大師供(だいしく)を行ったものであるが、しだいに5日ないし4日と短縮され、1日限りで終わることも、また最澄の忌日の六月会にあわせて行われることもあったらしい。
[西山蕗子]
ウイキペディアより。
>11月(じゅういちがつ)はグレゴリオ暦で年の第11の月に当たり、30日間ある。
日本では、旧暦11月を霜月(しもつき)と呼び、現在では新暦11月の別名としても用いる。「霜月」は文字通り霜が降る月の意味である。他に、「食物月(おしものづき)」の略であるとする説や、「凋む月(しぼむつき)」「末つ月(すえつつき)」が訛ったものとする説もある。また、「神楽月(かぐらづき)」、「子月(ねづき)」の別名もある。
英語での月名、November(ノーベンバー)は、「9番目の月」の意味で、ラテン語で「第9の」という意味の「novem」の語に由来している。実際の月の番号とずれているのは、紀元前46年まで使われていたローマ暦が3月起算で、(そのため年末の2月は日数が少ない)3月から数えて9番目という意味である。
しもつき
2013-11-01 21:43:44 | 日本語百科
暦、月の異名、霜月である。
日本書記に見える、十有一月、ここに訓が付けられている。ただ室町時代訓とあるので、しもつき と呼ぶようになってのことか
竹取物語では、霜月 の表記が見えるが、これについても物語りの成立時期とされることがらと、写本の成立をみなくては表記がわからないところである。
源氏物語は、しもつき と伝え、色葉字類抄に、十一月 俗霜月 シモツキ と見えて、やはり、しもつき という発音が定着していたと考えられる。
辞書は、霜降月、霜見月などを紹介する。
異称とするのも、異名と同じであるが、別名、別称と言い、和名であって、わみょう は、名の呉音、日本で昔から呼ばれている事物の名称、日本での呼び名、邦名、わめい、との言いかえが辞書に記載されるのも、、異称を多くするゆえんである。
ウイキペディアは異名を並べて、説明する。
かぐらづき(神楽月)、
かみきづき(神帰月)、
けんしげつ(建子月)、
こげつ(辜月)、
しもつき(霜月)、
しもふりづき(霜降月)、
しもみづき(霜見月)、
てんしょうげつ(天正月)、
ゆきまちづき(雪待月)、
ようふく(陽復)、
りゅうせんげつ(竜潜月)
日本国語大辞典より
陰暦一一月の異称。霜降月(しもふりづき)。霜見月。《季・冬》
*書紀〔720〕神武即位前(北野本室町時代訓)「十有一月(シモツキ)の癸の亥朔己巳のひ」
*竹取〔9C末~10C初〕「霜月しはすの降り氷り、みな月の照りはたたくにも障(さは)らず来たり」
*源氏〔1001~14頃〕蓬生「しもつきばかりになれば、雪・霰(あられ)がちにて、ほかには消ゆる間(ま)もあるを」
*色葉字類抄〔1177~81〕「十一月 俗霜月 シモツキ」
日本大百科全書(ニッポニカ)
霜月 しもつき
陰暦11月の異称。だいたい陽暦の12月にあたる。この月になると霜がしきりに降るから霜降月といったのが、霜月に転じたといい、露ごもりの葉月、神楽(かぐら)月、雪待月などともいう。冬も深みゆく季節で、まだ極月(ごくげつ)師走の慌ただしさは世間にもみられず、冬の季節に入ったことをしみじみと味わう日々が続く。歌舞伎(かぶき)の世界では、この月の1日を顔見世といい、元旦(がんたん)の心でこの日を祝うが、これは中国古代の周の風俗に倣ったものともいい、周正(しゅうせい)、周の正月などの名もある。
[宇田敏彦]
日本大百科全書(ニッポニカ)
霜月会 しもつきえ
11月(霜月)14日から10日間、比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)で天台大師智(ちぎ)忌の24日を期して営まれる法華十講(ほっけじっこう)をいう。天台宗の諸山諸寺で毎年営まれている。十一月会とも天台会とも称する。伝教(でんぎょう)大師最澄(さいちょう)が798年(延暦17)始修、ついで801年、南都七大寺から十大徳を請(しょう)じて一乗止観院(いちじょうしかんいん)で『法華経(ほけきょう)』8巻および開結二経が講じられ、後の天台宗のいわゆる広学竪義(りゅうぎ)と称される論義が加えられた。当初は、10日間の講論を終わってその明くる24日の朝、天台大師供(だいしく)を行ったものであるが、しだいに5日ないし4日と短縮され、1日限りで終わることも、また最澄の忌日の六月会にあわせて行われることもあったらしい。
[西山蕗子]
ウイキペディアより。
>11月(じゅういちがつ)はグレゴリオ暦で年の第11の月に当たり、30日間ある。
日本では、旧暦11月を霜月(しもつき)と呼び、現在では新暦11月の別名としても用いる。「霜月」は文字通り霜が降る月の意味である。他に、「食物月(おしものづき)」の略であるとする説や、「凋む月(しぼむつき)」「末つ月(すえつつき)」が訛ったものとする説もある。また、「神楽月(かぐらづき)」、「子月(ねづき)」の別名もある。
英語での月名、November(ノーベンバー)は、「9番目の月」の意味で、ラテン語で「第9の」という意味の「novem」の語に由来している。実際の月の番号とずれているのは、紀元前46年まで使われていたローマ暦が3月起算で、(そのため年末の2月は日数が少ない)3月から数えて9番目という意味である。
しもつき
暦、月の異名、霜月である。日本書記に見える、十有一月、ここに訓が付けられている。ただ室町時代訓とあるので、しもつき と呼ぶようになってのことか竹取物語では、霜月 の表記が見え...