無や、っと生き、無病む雇化されて、この変換は、わが祝いに記されるか、むや、と生き、むやむやと生かされて、節目をこえた。ここにいま、その思いを、夢や、っとするので、わがことに、あの越えた思いは、これで2度目を超えてきたことを思い合せる。しせんをこえて、とは思わなかったか、どうなるだろうとの、そのいっときの茫漠とした不安にはかわりなく、そのままに、悩み苦しみながら生きようと思い、またそのままに、意識を失ってめざめて、ああいきていたかと、それぞれに同じなのは人に支えられてのことだった。生かされているとは、こともなげに言うが、それはどういうことだろうか。その答えが出るまでは生きていろと言うことだから、それがわかったときには、もうわからなくなっているということだ。おかげさんで、こうしていますよとの、お知らせもとくにすることはなくて、ただに、ありがとう。
あれは、それからは50年と言うことになる。18歳の疾風怒濤にあって、これはなおしようがありません、とは、宣告されたも同様であったか、いまにしておもえば。あの時、父が困ったろうに、わが息子の病は何かと名医をたずねてそのように言われてしまえば、なすすべがない。あのときの、車に乗せられて往路に想った思いには、うらはらに、苦しくてしょうがなかった、帰路にはどうしようもないあきらめに、疲れはてては眠ってしまったか、もらった薬は胃腸薬とビタミン剤だろう、痛みを訴え続ける心嚢の重傷はない、ただ心の臓が痛かっただけであるが、それを高じさせることはなかったのも、なにか、若いが故か、生命の強さか、はて、なんだったろう。ほどなく3か月後には通学を初めて受験期を朦朧と過ぎた。
あれは、それからは50年と言うことになる。18歳の疾風怒濤にあって、これはなおしようがありません、とは、宣告されたも同様であったか、いまにしておもえば。あの時、父が困ったろうに、わが息子の病は何かと名医をたずねてそのように言われてしまえば、なすすべがない。あのときの、車に乗せられて往路に想った思いには、うらはらに、苦しくてしょうがなかった、帰路にはどうしようもないあきらめに、疲れはてては眠ってしまったか、もらった薬は胃腸薬とビタミン剤だろう、痛みを訴え続ける心嚢の重傷はない、ただ心の臓が痛かっただけであるが、それを高じさせることはなかったのも、なにか、若いが故か、生命の強さか、はて、なんだったろう。ほどなく3か月後には通学を初めて受験期を朦朧と過ぎた。
ろくでなし 20130831六で七し 2013083167歳を迎えた。歳を加えてこの2年を生きてきた。救われた思いに感謝を続けて一日ずつをかみしめている。思い出せば2011年にはそこで命運尽きるかとばかり...