南洋諸島の日本語教育といって、一方で、南洋群島の日本語教育といった説明と、このふたつの言い方には何か違いがあるかということになった。諸島と群島と、このそれぞれの語の意味には、使い分けがあるようである。地理上の島の命名においてそうであるように、発見者、占領者、当事者、そして政治的統治による由来などがあるようである。南洋諸島において、南洋群島として統治した日本での委任統治地域の捉え方があるので、日本語教育での日本群島となるとその時期を明確にさす。南洋諸島の委任統治地域の島々は1919年 - 1947年を、南洋群島ととくに呼ぶことがあることになる。ミクロネシアの島々、現在の北マリアナ諸島、パラオ、マーシャル諸島、ミクロネシア連邦をさしている。西太平洋の赤道以北に位置し、東西5000キロ、南北2400キロの海域にある島々のこと。
旧外地関係資料アーカイブ > 南洋群島 南洋群島
大正11年に日本の委任統治領となった南洋群島に設置された南洋庁や、南洋協会の発行物などの資料を収集しています。当時この地域に渡った拓殖大学卒業生も多く、「拓殖大学学友会南洋支部寄贈」と押印された資料や個人から寄贈された資料が数多く含まれています。
世界大百科事典内の群島の言及
【島】より
… 島の集団を総称して〈島群〉という。島群の中には諸島,群島,列島などがある。一般に分布面積の大きい群島を〈諸島〉,小さい島群を〈群島〉といい,島の配置が列状をなす島群を〈列島〉という。…
ウイキペディアより。
>南洋諸島は、かつて大日本帝国が国際連盟によって委任統治を託された西太平洋の赤道付近に広がるミクロネシアの島々を指す。現在の北マリアナ諸島・パラオ・マーシャル諸島・ミクロネシア連邦に相当する地域である。
別名は南洋群島。当時の日本人は内南洋とも言った。
ちなみに外南洋は、内南洋以外のミクロネシア、メラネシア、東南アジアの島嶼部を指す。
>サイパン支庁は北マリアナ諸島、パラオ支庁はパラオ、ヤップ支庁はヤップ州、トラック支庁はチューク州、ポナペ支庁はポンペイ州とコスラエ州とマーシャル諸島の西側、ヤルート支庁はその残りに相当する。
諸島と群島の違い
>明治時代、「南洋諸島」と「南洋群島」の定義と区別は、必ずしも明確でなかった。ただ漠然と日本の南の海に浮かぶ島々という意味で使われており、その範囲もオセアニアや大スンダ列島を包括するかなり広大な地域の呼称であった。1893年に鈴木経勲が著した『南洋風物誌』には、「南洋諸島」と「南洋群島」の両方の用語が使われ、特に区別はしてなかった。
大正時代になると、その定義に差異が生じ始めた。第一次世界大戦で、日本海軍は独領ニューギニアの島嶼部(ミクロネシア)を占領し、その地域を「南洋群島」と称した。1年後、吉野作造が著した『現代双書 南洋』(1915年刊)では、「赤道以北の独領南洋諸島を、単に南洋群島と云う」と定義し、「南洋群島」は「独領南洋諸島」のみを意味する用語という認識が定着し始めた。
その後、ヴェルサイユ条約で旧「独領南洋諸島」地域の委任統治が認められたとき、当局はこの地域を「南洋群島」と正式に命名し、施政に当たることになった。
よって、日本の旧委任統治地域の正式呼称については「南洋群島」を、漠然とした南の島々については「南洋諸島」と区別するのが適当といえる。
大辞林 第三版の解説
なんようぐんとう【南洋群島】
西太平洋の赤道以北に散在するマリアナ・カロリン・マーシャルなどの旧日本委任統治領の諸島群の総称。第二次大戦前・戦中に用いた呼称。南洋諸島。
デジタル大辞泉の解説
なんよう‐ぐんとう 〔ナンヤウグンタウ〕 【南洋群島】
太平洋西部の赤道以北にある諸島群。マリアナ・パラオ・カロリン・マーシャル諸島をさし、大部分はもとドイツ領で、第一次大戦後に日本の委任統治領となり、第二次大戦後は米国の信託統治領。南洋諸島。
世界大百科事典内の南洋群島の言及
ミクロネシアより
…マリアナ,カロリン,マーシャル
ヨーロッパ人による発見以来,スペイン,ドイツ,日本そしてアメリカの統治下に置かれてきた。日本は第1次世界大戦中にそれらの島を占領し,戦後は委任統治領の南洋群島として治めた。最盛期には10万人もの日本人が進出し,漁業,鉱業,農業の開発に従事した。…
南洋群島の関連キーワード
|カロリン諸島 |ギルバート諸島 |トラック諸島 |マリアナ諸島 |南太平洋 |テニアン島 |南支那海 |ニューヘブリディーズ諸島 |ギルバート[諸島] |マリアナ[諸島]
旧外地関係資料アーカイブ > 南洋群島 南洋群島
大正11年に日本の委任統治領となった南洋群島に設置された南洋庁や、南洋協会の発行物などの資料を収集しています。当時この地域に渡った拓殖大学卒業生も多く、「拓殖大学学友会南洋支部寄贈」と押印された資料や個人から寄贈された資料が数多く含まれています。
世界大百科事典内の群島の言及
【島】より
… 島の集団を総称して〈島群〉という。島群の中には諸島,群島,列島などがある。一般に分布面積の大きい群島を〈諸島〉,小さい島群を〈群島〉といい,島の配置が列状をなす島群を〈列島〉という。…
ウイキペディアより。
>南洋諸島は、かつて大日本帝国が国際連盟によって委任統治を託された西太平洋の赤道付近に広がるミクロネシアの島々を指す。現在の北マリアナ諸島・パラオ・マーシャル諸島・ミクロネシア連邦に相当する地域である。
別名は南洋群島。当時の日本人は内南洋とも言った。
ちなみに外南洋は、内南洋以外のミクロネシア、メラネシア、東南アジアの島嶼部を指す。
>サイパン支庁は北マリアナ諸島、パラオ支庁はパラオ、ヤップ支庁はヤップ州、トラック支庁はチューク州、ポナペ支庁はポンペイ州とコスラエ州とマーシャル諸島の西側、ヤルート支庁はその残りに相当する。
諸島と群島の違い
>明治時代、「南洋諸島」と「南洋群島」の定義と区別は、必ずしも明確でなかった。ただ漠然と日本の南の海に浮かぶ島々という意味で使われており、その範囲もオセアニアや大スンダ列島を包括するかなり広大な地域の呼称であった。1893年に鈴木経勲が著した『南洋風物誌』には、「南洋諸島」と「南洋群島」の両方の用語が使われ、特に区別はしてなかった。
大正時代になると、その定義に差異が生じ始めた。第一次世界大戦で、日本海軍は独領ニューギニアの島嶼部(ミクロネシア)を占領し、その地域を「南洋群島」と称した。1年後、吉野作造が著した『現代双書 南洋』(1915年刊)では、「赤道以北の独領南洋諸島を、単に南洋群島と云う」と定義し、「南洋群島」は「独領南洋諸島」のみを意味する用語という認識が定着し始めた。
その後、ヴェルサイユ条約で旧「独領南洋諸島」地域の委任統治が認められたとき、当局はこの地域を「南洋群島」と正式に命名し、施政に当たることになった。
よって、日本の旧委任統治地域の正式呼称については「南洋群島」を、漠然とした南の島々については「南洋諸島」と区別するのが適当といえる。
大辞林 第三版の解説
なんようぐんとう【南洋群島】
西太平洋の赤道以北に散在するマリアナ・カロリン・マーシャルなどの旧日本委任統治領の諸島群の総称。第二次大戦前・戦中に用いた呼称。南洋諸島。
デジタル大辞泉の解説
なんよう‐ぐんとう 〔ナンヤウグンタウ〕 【南洋群島】
太平洋西部の赤道以北にある諸島群。マリアナ・パラオ・カロリン・マーシャル諸島をさし、大部分はもとドイツ領で、第一次大戦後に日本の委任統治領となり、第二次大戦後は米国の信託統治領。南洋諸島。
世界大百科事典内の南洋群島の言及
ミクロネシアより
…マリアナ,カロリン,マーシャル
ヨーロッパ人による発見以来,スペイン,ドイツ,日本そしてアメリカの統治下に置かれてきた。日本は第1次世界大戦中にそれらの島を占領し,戦後は委任統治領の南洋群島として治めた。最盛期には10万人もの日本人が進出し,漁業,鉱業,農業の開発に従事した。…
南洋群島の関連キーワード
|カロリン諸島 |ギルバート諸島 |トラック諸島 |マリアナ諸島 |南太平洋 |テニアン島 |南支那海 |ニューヘブリディーズ諸島 |ギルバート[諸島] |マリアナ[諸島]