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諒解

2017-12-18 | 木瓜日記

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諒解 トップには

>りょうかい
【了解・諒解・領解・領会】
《名・ス他》さとること。わかること。承知。 「意図を―する」
「諒解」を次の言語に翻訳:
1. Appreciated

とある。諒解の、文字に、もっぱら、了解とするのは、同音の書き換えが進んだからであるが、文字に領字を用いると、辞書による解説になる。

類語辞典で、意義素とするところ、日本語WordNet(類語) を理解している 何かをする許可をげて、そのあとに、意味をとらえる という類語に、それぞれ、領会 をあげている。

https://thesaurus.weblio.jp/content/%E8%AB%92%E8%A7%A3

諒解  意義素 類語

を理解している
呑込む ・ 会釈 ・ わかる ・ 同情 ・ 了解 ・ 分る ・ 事解 ・ 領会 ・ 理解 ・ 分かる ・ かみ分ける ・ 呑みこむ ・ 同感 ・ 受け取る ・ 領解 ・ 呑み込む ・ 会得 ・ 判る
何かをする許可

諒承 ・ 承諾 ・ 了解 ・ 納得 ・ 領会 ・ 承知 ・ 許諾 ・ 同意 ・ 合点 ・ 承認 ・ 承允 ・ 領解 ・ 降心 ・ 諾了

意味をとらえる
呑込む ・ 解る ・ 了解 ・ 掴みとる ・ 分る ・ 納得 ・ 領会 ・ 解する ・ 解せる ・ 把捉 ・ 汲み取る ・ 掴む ・ 領得 ・ 捉らえる ・ 解す ・ くみ取る ・ 汲取る ・ 読取る ・ 把握 ・ 分かる ・ 掴取る ・ 掴み取る ・ 呑みこむ ・ 捉える ・ 領解 ・ 会得 ・ 読解 ・ 読みとる ・ 了する ・ 判る


辞書義では、了解と諒解の意味内容を同じとしながら、その違いを表そうとするのは、表記、文字遣いとする。したがって、領会のばあいは、その了解の意義に合わせて解説する。


りょう‐かい〔リヤウクワイ〕【領会】の意味
出典:デジタル大辞泉(小学館)
[名](スル)「了解1」に同じ。

りょう‐かい〔レウ‐|リヤウ‐〕【了解/×諒解】の意味
出典:デジタル大辞泉(小学館)
[名](スル)
1 物事の内容や事情を理解して承認すること。了承。「―が成り立つ」「来信の内容を―する」

2 《(ドイツ)Verstehen》ディルタイ哲学で、文化的、歴史的なものを生の表現とみなし、その生を追体験によって把握すること。理解。

[用法]了解・[用法]理解――「彼は友の言う意味をすぐに了解(理解)した」「その辺の事情は了解(理解)している」など、意味がわかる、のみ込むの意では、相通じて用いられる。◇「了解」には、相手の考えや事情をわかった上で、それを認める意がある。「暗黙の了解を得る」「お申し越しの件を了解しました」◇「理解」は、意味や意図を正しくわかる意が中心となる。「文章を理解する」「何を言っているのか理解できない」◇「了解できない」は、意味はわかるが承認できないの意になり、「理解できない」は単に意味がわからないの意になる。◇類似の語「了承」は「了解」とほぼ同じに使うが、「了解」よりも承認する意が強い。「上司の了承を得る」「双方とも大筋で了承した」

そこで、領解とすると、表記上は、りょうかい とも読みうるし、その一方で、りょうげ と読むと、用語の意味範囲に仏教語としての説明が現れてくる。


りょう‐げ〔リヤウ‐〕【領解】の意味
出典:デジタル大辞泉(小学館)
仏の教えを聞いて悟ること。

ここに現わされた意味は、了解の語義にもあらわされていることがわかるので、会得、領会、領解の意味によって、了解、諒解が説明されている。

果たして、諒とする、了となる、領である、のか、この字義に及ぶことである。










うろうろと
2006年12月18日23:21

熊猫になって笑っているといいかな

 いま猛威をふるっている感染性胃腸炎の犯人ノロウイルスの語源は、ノーウォークという米オハイオ州の町の名だ。1968年に堺市のO157と同じく小学校で患者が集団発生し、このウイルスが見つかった。「おなかの風邪」とも呼ばれるが油断は禁物。感染力は際立って強く様々なルートで人に襲いかかる。


憂楽帳:諒解するということ
 今月初め、九州大学であった日本有機農業学会の大会で、哲学者の内山節さんが、こんなことを話していた。

 「理解する」ことと「諒解(りょうかい)する」こととは違う。理解するためには仕組みや道筋の認識が不可欠。けれど諒解のためには必ずしもそれらは必要ではない。自然の仕組みを知らずとも、自然とともに人は生きているのだと諒解することはできるように、と。

 近代化とはそれまで諒解された世界に住んでいた人々を、理解された世界に引き入れることだった。その結果、私たちは理解出来なければ納得しなくなり、諒解する精神を失ってしまったようだ。

 最近出た『戦争という仕事』という本の中で、内山さんはこうも書いている。いくら生命誕生や死のメカニズムを理解できても、生の意味も死の意味もつかむことはできない。生も、死も、自然や家族とともに生きる意味も、理解するものではなく、諒解するものだからだ、と。

 毎年3万人以上が自殺するなど、生き惑う日本人。生きる意味を問うのではなく、諒解する精神を取り戻すことの大切さを思う。【福岡賢正】

毎日新聞 2006年12月19日 西部夕刊


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