
日常に非日常を刺激とする演劇を鑑賞した。舞台が好きな方だから楽しみ方は様々、切符を回してくれたので出かける。例によってご当地公演がスケジュールにないひとつである。大阪森ノ宮まで、いつぞやは という、難しいドラマをみた。主役降板とセンセーショナルな、その代役やいかにという関心をしたのではない。演劇ののめり込みは舞台と観客とが一体となるそのときであるから、その時空を得た。
難しい理論は板の上で現実となる。演出家であるうえで脚本を書く行為には友人の生をドラマとする。作中人物にドラマは戯曲、本来に脚本を言うからそのまま、ギリシア語のドラン 、行動する に由来という悲劇、喜劇のいずれか、市民劇となるではないか。そこに劇があるのはどう。ところが戯曲と翻訳した語源的には漢語、雑戯の歌曲の略とかいうからこれはどうなのか。ドラマトゥルギーであるのか、舞台を観ては。
ドラマトゥルギー、ギリシア語の、脚本上演を意味するドラマトゥルギアdramaturgiaに由来というニッポニカに見える解説で劇作術に及ぶ。
dramaturgy それよリ、舞台装置にシンプルな道具は場面を観客とともに色彩変化が出るほどに光の加減があったそこには難しいせりふまわしにあれよと、暗転と終劇になるのは非日常が日常に消えてしまった。
あの役者はどうなってしまったか、この非日常は1週間前の降板という出来事そのままという皮肉である。ステージ4とは生死の別れ際に等しいとステージ1にもならないサバイバーには想像もつかない。ここで生きるかと言うときに降りるとはしに宣告になる。板が命の地であるから、天に上がってしまったかのよう、まだ地上で七転八倒かもしれない、剥離骨折のクボタさまに起こったドラマのよう。
ひとつまともな感想を言うならムスイサクランの境界は誰で何処であれ一人片付ける人生であることを知る。夢酔錯乱見るものかは。
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【いつぞやは】公演ダイジェスト
