0912 連日の攻防がすさまじい。始まってすぐにも、1回にHRがポンポンと飛ぶように外野スタンドへ。大リーグ中継、カブスドジャース戦で、大谷選手は47本塁打目を決めてすぐにも48盗塁を記録した。野球を楽しむ姿にしか見えないような、塁から塁へと走り回る。盗塁を伸ばして本塁打数を近づける。そのペースは日替わりに目標となるから、見ている方はおもしろい。
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0725
朝三暮四を、朝4暮3としての話題、このコラム名の執筆は加地伸行氏で、WiLL毎月号の文章はいかが。
ちょうど9月号が届いて、句は、あやまちて あらためざる これを あやまちという 論語、衛霊公に見える。
老生、老人の押し売りに毎回一読してはにやりと楽しむが今回はいかが。
猫の話、近所の話題よりはましかというと、そうでもない。
アナウンサーの読み間違いに始まって、歌詞にある語 . . . 本文を読む
日常に非日常を刺激とする演劇を鑑賞した。舞台が好きな方だから楽しみ方は様々、切符を回してくれたので出かける。例によってご当地公演がスケジュールにないひとつである。大阪森ノ宮まで、いつぞやは という、難しいドラマをみた。主役降板とセンセーショナルな、その代役やいかにという関心をしたのではない。演劇ののめり込みは舞台と観客とが一体となるそのときであるから、その時空を得た . . . 本文を読む
あと何年か、健康とにらめっこをして、リタイアはシューカツに及ぶ、世の人の生きる齢に男が81.64歳、女が87.74歳と見え、あと何年には数年か、その倍までとして10年を超すかどうか。2020年の日本人の平均寿命、厚生労働省の簡易生命表、令和2年による。ただし、よくわからないデータの示し方である。
胸が痛む、傷む、と。どちらかというと、この痛みには覚えがある。それでぞっとする。疲労が集中しているに . . . 本文を読む
よい日和、屋上にでるのは、これで最後という名古屋中日ビル、そのビアガーデンで、やっとかめ文化祭2018のフィナーレがあった。ストリート歌舞伎と、辻狂言、オープニングの出しもの、狂言の演目内容は異なるが、にぎにぎしく行われた。人出もおおく、中日ビルにふだんから足を運びやすいからだろうかと思った。長くビアガーデンとして使われていた跡があって、屋上の風情も回転レストランも終わりを告げる風景となっていた。大当たりストリート歌舞伎、名古屋心中、辻狂言、竹生嶋参に加えて、飛び入りのアカペラ、ご当地出身のジャズシンガーの登場があって、賑わった。14時から17時までの、立ち見である。 . . . 本文を読む
やっとかめ文化祭寺子屋に行って、金鯱の見る夢の話を聞いた。学芸員の方が若いころに仕事柄、金鯱とツーショットを撮るほどの、話しの内容には経験がある方で興味深かった。寺子屋で万国博に出品した金鯱の講義が、最初にあったので、それに続いて金鯱の命運のことが気になって、わたしにとっては連続講義のようなことになった。会場となった教室からの眺めがまた素晴らしく、名城公園の東、かつては名城内であったという、ながく官舎が並んでいたところ、いまは新しい愛学院のキャンパス建物6階から、金シャチを臨んだ。 . . . 本文を読む
読者登録の通知を受けました。最近、2つあったので、ここに、新しい出会いに、お礼を申します。どうもありがとうございます。ボケをもっぱらとするようになってきました。仕事をやめるとはどういうことかと日に日に身にしみて感じています。隠居、引退、退職、そして退休生活と、環境があって、仲間があって、生きている人間であることをつくづく、思い知っています。最近の出来事と言えば、住所登録の検索に問われて郵便番号を答えたら、住居表示が違って出てきました。単なる思い違いですから、思い出して言えば修正がなるところ、語呂合わせでの記憶が災いしてか、その場で2回間違えてしまって、これは大変なこと、入力番号を3回間違えばロックがかかってしまう時代に、自分の郵便番号が違ってしまうことを繰り返すという始末でした。すぐに3回目を思い出す、と言っても、それは住所から検索すればまた簡単にわかることであったのでしょうが、何しろ、相手に事務方が二人いて、効率よく進める作業に手間取って、恥をかきました。結果はわかってセーフでしたし、間違いはどこから来たかと思いなおして、その場の手続きは済ませました。 . . . 本文を読む
古稀か、古希か、人生七十古来稀となら、古稀である。古希は書き換えのようである。古来、まれなり、その年を迎えて必要があって物入れを整理しはじめたら、偶然のように見つけた。それは構成吟のために、ある方から求められて、人生七十年古来希なりき 友と酒と悲愁と を草稿として書いた作品である。杜甫の詩を、いくつかを並べている。その中で、この詩句の意味を解釈し、それをタイトルにして、名句をとらえなおしたものであるが、それは多く、言葉と詩作における背景を重ねようとする。杜甫である、偉大な詩人の足跡をそんなに短文章で述べつくすことができるものではないから、大胆なことをした。創作したのは、1995年3月に日付があるから、20年以上も前のものと、遭遇して自らがその齢を思う。そのときのテーマは、杜甫のこの作品の詩想が何歳のときだったか、そして杜甫はどのように生涯を終えたかという興味であった。詩作品があらわすように、杜甫は文学を生きていたのである。 . . . 本文を読む