文法則は「が」のレベル、文章法則は「は」のレベルと考える。「が」は国語の助詞であり、「は」は同じく係助詞と言われる。「は」助詞は現代語文法では副助詞に分類される。文章をシンタクスまたは構文の分野で扱うとすると、それは文法における意味を分析するが、その文章論すなわち統辞また統語では形態に対する文法論議となるため、「は」を助辞と分類する。接辞のひとつである。格助詞「が」、副助詞「は」をそれぞれレベルの相違において、助詞と助辞とに呼わけることになる。文の法則、文章の法則はかくして、主語の議論と主語に主題をもとらえる法則を説明する。日本語文章は助辞waによって明らかにされる。
日本語文法と日本語文章論たとえば文法を法文とすると、そこには言葉の意味の違いがあって、文における法と、法における文と、日本語は使い分ける。そうなるのは、説明をもってすることと、すでに用法において理解してき......
>日本語文法と日本語文章論
2017-02-05 04:06:55 | 日本語文法文章論
たとえば文法を法文とすると、そこには言葉の意味の違いがあって、文における法と、法における文と、日本語は使い分ける。そうなるのは、説明をもってすることと、すでに用法において理解してきているからである。それを、文の法則規則、法律法則の文、として、使い分ける日本語の語順である。そこには言葉の規範が働くことになり、それを長い時間をかけて学び、習い、それを語順として知る。これを、言語とするのを、聞いていて、ゴゲン、それを語言とするならば、日本語では、ごげん とは、語源のことだろうと思う。言語を語言としないのは、すでにその発想を持つからであるし、ゴゲン学院と言われて、語言を当てて理解すれば、それはなにも、語源学院とはしなくなるし、そこに言葉をとらえようとする。言語とする感覚と、語言とする理屈が、わからないからであると言えばそれまでのことであるが、こちらで言語学というのを、あちらでは語言学というのだから、これはその違いを持っている。