日本哲学1
哲学する、というけれど、分からない、おかしな言葉である。
哲学する、日本語にこの語があるかどうか、名詞サ変動詞とする、それは研究する、学習する、というような語であるから、あるかどうか、ないわけではない、使うことがあれば、そう言ってみて、その語の表すことが何か。する哲、読む哲、とか使うことがあるらしく、これなどは、果たして、その語の持つ意味内容が、哲学をすること、哲学書を読むこと、という言い方のことらしいと見当がつくけれど、どうなんだろう、実際は位相を持つかもしれない。自分で考えることが哲学することや哲学的であることの重要な要素という対談のページで、 https://note.com/newq/n/n0615913b6f35
寺田俊郎先生と考える「哲学する」ってどういうこと?(前編)
>「読む哲」だけではダメな理由をまとめてみると、さっきも言ったように「する哲」をしたことがないと「読む哲」も本当には面白くならない場合が多いからというのと、その人の問い、その人の謎、その人の戸惑い、その人の悩みを考えるのが哲学だから…ですかね。これについては、哲学とは最終的には「自分の生き方を考えることなんだ」としか言いようがないかなあ。
というふうに述べて、哲学書を読むことに対して、哲学することとはどうするかを答えている。
https://www.nhk.or.jp/www.nhk.or.jp › kokokoza › radio › r2_rinri › archive › rinri_06
哲学すること - NHK
哲学すること. ~旅立ちの準備~. 第 2 章 人間としての自覚. 倫 理. 第 6 回. 考えるとはどういうことか. 青年期には、子ども時代には考えもしなかったようなことを考えるようになる。とくに、自. 分自身のことについて、深く考えるようになる。何の仕事をして生きていく ...
http://www.ikeda-column.jp/article/15339641.html
教育コラムマガジン 「先生の学校」-よのなか科
>哲学は、概念を作り出し、ものごとを成り立たせている要因や原理を解明するものであるが、(これを存在論という)同時に、その過程で、自分自身をも、包含していかなければならない。
すなわち、哲学するということは、人間いかに生きるべきか、という認識論につながらなければならないのである。