イデオロギーとは何か。独語で、Ideologie これは日本語になって、イデオロギー となったが、 英語で、 ideology と理解された。
また、観念を言う、イデオロジー という発音の語もある。イデオロジスト idéologiste は、政治的に空論ばかりいう奴らと侮蔑的ニュアンスを込めたイデオローグ idéologuesという呼称も生まれる。
さてしかし、イデオロギーについて、社会科学の用法での社会に支配的な集団によって提示される観念となると、それはどのように受け止められるか。
言葉の用法を素朴にとらえて、
>語源はギリシャ語の「イデア」+「ロゴス」日本ではドイツ語から移入されたので「イデオロギー」というカタカナ語になりましたが、英語では「アイデオロジー」(ideology)、フランス語では「イデオロジー」(idéologie)となります。これらの語源を追っていくと、ギリシャ語で「観念」を意味する「イデア」(idea)と「言語」を意味する「ロゴス」(logos)に辿り着きます。
ということであるから、 観念による、それを論理化しようとしたものとなる。
イデオロギー
人間の行動を左右する根本的な物の考え方の体系。観念形態。「―は社会的立場を反映する」。俗に、政治思想。社会思想。
世界大百科事典内のイデオロジーの言及
【イデオロジスト】より
…命名者はデステュット・ド・トラシー。彼は感覚論の立場をおし進め,観念の感覚的起源,観念の特質,観念と記号との関係などの研究を目的とする新しい哲学を構想し,これをイデオロジーidéologie(観念学)と呼んだ。イデオロジストは,その研究者のことで,彼のほか,カバニス,ボルネ,ガラ,ドヌーらがこの学派に属する。
観念学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/03 01:02 UTC 版)
(イデオロジー から転送)
観念学(idèologie, イデオロジー)は、フランスで18世紀後半から19世紀前半にかけて主導的だった哲学思潮を指す。ジョン・ロックのイギリス経験論の流れを汲むフランスの哲学者エティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤックの分析論と理想言語論(記号論)はフランス自然科学(化学、生物学、生理学など)の分野で応用され大きな成果をあげた。人間の観念[idée、イデ](思惟・感覚・意思など)領域に対してものコンディヤックの思想、方法論を適用することで人間を学的に理解することをもって人間の幸福実現をめざしたフランス革命前後の思想・哲学潮流が「観念学(イデオロジー)」である。
ウイキペディアより
観念学
>
デステュット・ド・トラシー(Destutt de Tracy)『イデオロジー原論』(1804-1815)に見られる。
彼に代表される活動家達はイデオローグ(ide'ologues)と呼ばれ、1789年のフランス大革命以降、怪しげなものとして見られていたアンシャン・レジーム時代の思想のなかで啓蒙主義的な自由主義を復興させようとし、革命期から帝政にかけてフランスリベラル学派の創始者、指導的立場となった。
「観念学(イデオロジー)」という言葉は、1798年にデステュット・ド・トラシーが提唱し自ら1801年より「観念学原論」の刊行を始めたことによって定着していった。 唯物論と対立する意味での「観念論」や、日本では主に「主義」として捉えられているドイツ語由来の「イデオロギー」と混同されやすいが別である。
イデオロギー
>政治や宗教における観念を指しており、政治的意味や宗教的意味が含まれている。
世界観のような、物事に対する包括的な観念。
日常生活における、哲学的根拠。ただ日常的な文脈で用いる場合、「イデオロギー的である」という定義はある事柄への認識に対して事実を歪めるような虚偽あるいは欺瞞を含んでいるとほのめかすこともあり、マイナスの評価を含むこともある。
主に社会科学の用法として、社会に支配的な集団によって提示される観念。殊にマルクス主義においては、階級的な立場に基づいた物の見方・考え方。
>藤田省三は『天皇制国家の支配原理』において、天皇制を支えたイデオロギーとしてヨーロッパ的な社会有機体説と東洋的な儒教政治論が矛盾しながら結合した「家族国家論」を措定した。この「家族国家」は内面的には政治・学問の分野において官僚主義的立場を徹底させ、外面的には「家」の拡大という形での膨張主義を伴うとされた。またこのような「家族国家論」は天皇制国家を家と同質に自然的なものと見なす非政治的な本質を持っており、このことによって天皇制それ自体は日本社会のあらゆる利害を中和する象徴としてイデオロギー的に祭り上げられたと説いている。
年譜
1801年 - デステュット・ド・トラシー『観念学要理大綱』
1841年 - ルートヴィヒ・フォイエルバッハ『キリスト教の本質』
1844年 - カール・マルクス『経済学・哲学草稿』
1846年 - カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』
1867年 - カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス『資本論』
1895年 - エミール・デュルケム『社会学的方法の規準』
1916年 - ヴィルフレッド・パレート『社会学大綱』
1922年 - ジェルジ・ルカーチ『歴史と階級意識』
1929年 - カール・マンハイム『イデオロギーとユートピア』、V・N・ヴォロシノフ『マルクス主義と言語哲学』
1947年 - テオドール・アドルノ、マックス・ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』
1975年 - ミシェル・ペシュ『言語、意味論、イデオロギー』
1979年 - ピエール・ブルデュー『ディスタンクシオン』
http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/topic/10minnw/045ideologie.html
>
語源はギリシャ語の「イデア」+「ロゴス」日本ではドイツ語から移入されたので「イデオロギー」というカタカナ語になりましたが、英語では「アイデオロジー」(ideology)、フランス語では「イデオロジー」(idéologie)となります。これらの語源を追っていくと、ギリシャ語で「観念」を意味する「イデア」(idea)と「言語」を意味する「ロゴス」(logos)に辿り着きます。
また、観念を言う、イデオロジー という発音の語もある。イデオロジスト idéologiste は、政治的に空論ばかりいう奴らと侮蔑的ニュアンスを込めたイデオローグ idéologuesという呼称も生まれる。
さてしかし、イデオロギーについて、社会科学の用法での社会に支配的な集団によって提示される観念となると、それはどのように受け止められるか。
言葉の用法を素朴にとらえて、
>語源はギリシャ語の「イデア」+「ロゴス」日本ではドイツ語から移入されたので「イデオロギー」というカタカナ語になりましたが、英語では「アイデオロジー」(ideology)、フランス語では「イデオロジー」(idéologie)となります。これらの語源を追っていくと、ギリシャ語で「観念」を意味する「イデア」(idea)と「言語」を意味する「ロゴス」(logos)に辿り着きます。
ということであるから、 観念による、それを論理化しようとしたものとなる。
イデオロギー
人間の行動を左右する根本的な物の考え方の体系。観念形態。「―は社会的立場を反映する」。俗に、政治思想。社会思想。
世界大百科事典内のイデオロジーの言及
【イデオロジスト】より
…命名者はデステュット・ド・トラシー。彼は感覚論の立場をおし進め,観念の感覚的起源,観念の特質,観念と記号との関係などの研究を目的とする新しい哲学を構想し,これをイデオロジーidéologie(観念学)と呼んだ。イデオロジストは,その研究者のことで,彼のほか,カバニス,ボルネ,ガラ,ドヌーらがこの学派に属する。
観念学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/03 01:02 UTC 版)
(イデオロジー から転送)
観念学(idèologie, イデオロジー)は、フランスで18世紀後半から19世紀前半にかけて主導的だった哲学思潮を指す。ジョン・ロックのイギリス経験論の流れを汲むフランスの哲学者エティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤックの分析論と理想言語論(記号論)はフランス自然科学(化学、生物学、生理学など)の分野で応用され大きな成果をあげた。人間の観念[idée、イデ](思惟・感覚・意思など)領域に対してものコンディヤックの思想、方法論を適用することで人間を学的に理解することをもって人間の幸福実現をめざしたフランス革命前後の思想・哲学潮流が「観念学(イデオロジー)」である。
ウイキペディアより
観念学
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デステュット・ド・トラシー(Destutt de Tracy)『イデオロジー原論』(1804-1815)に見られる。
彼に代表される活動家達はイデオローグ(ide'ologues)と呼ばれ、1789年のフランス大革命以降、怪しげなものとして見られていたアンシャン・レジーム時代の思想のなかで啓蒙主義的な自由主義を復興させようとし、革命期から帝政にかけてフランスリベラル学派の創始者、指導的立場となった。
「観念学(イデオロジー)」という言葉は、1798年にデステュット・ド・トラシーが提唱し自ら1801年より「観念学原論」の刊行を始めたことによって定着していった。 唯物論と対立する意味での「観念論」や、日本では主に「主義」として捉えられているドイツ語由来の「イデオロギー」と混同されやすいが別である。
イデオロギー
>政治や宗教における観念を指しており、政治的意味や宗教的意味が含まれている。
世界観のような、物事に対する包括的な観念。
日常生活における、哲学的根拠。ただ日常的な文脈で用いる場合、「イデオロギー的である」という定義はある事柄への認識に対して事実を歪めるような虚偽あるいは欺瞞を含んでいるとほのめかすこともあり、マイナスの評価を含むこともある。
主に社会科学の用法として、社会に支配的な集団によって提示される観念。殊にマルクス主義においては、階級的な立場に基づいた物の見方・考え方。
>藤田省三は『天皇制国家の支配原理』において、天皇制を支えたイデオロギーとしてヨーロッパ的な社会有機体説と東洋的な儒教政治論が矛盾しながら結合した「家族国家論」を措定した。この「家族国家」は内面的には政治・学問の分野において官僚主義的立場を徹底させ、外面的には「家」の拡大という形での膨張主義を伴うとされた。またこのような「家族国家論」は天皇制国家を家と同質に自然的なものと見なす非政治的な本質を持っており、このことによって天皇制それ自体は日本社会のあらゆる利害を中和する象徴としてイデオロギー的に祭り上げられたと説いている。
年譜
1801年 - デステュット・ド・トラシー『観念学要理大綱』
1841年 - ルートヴィヒ・フォイエルバッハ『キリスト教の本質』
1844年 - カール・マルクス『経済学・哲学草稿』
1846年 - カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』
1867年 - カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス『資本論』
1895年 - エミール・デュルケム『社会学的方法の規準』
1916年 - ヴィルフレッド・パレート『社会学大綱』
1922年 - ジェルジ・ルカーチ『歴史と階級意識』
1929年 - カール・マンハイム『イデオロギーとユートピア』、V・N・ヴォロシノフ『マルクス主義と言語哲学』
1947年 - テオドール・アドルノ、マックス・ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』
1975年 - ミシェル・ペシュ『言語、意味論、イデオロギー』
1979年 - ピエール・ブルデュー『ディスタンクシオン』
http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/topic/10minnw/045ideologie.html
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語源はギリシャ語の「イデア」+「ロゴス」日本ではドイツ語から移入されたので「イデオロギー」というカタカナ語になりましたが、英語では「アイデオロジー」(ideology)、フランス語では「イデオロジー」(idéologie)となります。これらの語源を追っていくと、ギリシャ語で「観念」を意味する「イデア」(idea)と「言語」を意味する「ロゴス」(logos)に辿り着きます。