そこに、こう書いてある。
この言い回しが広まったか。
とても困ったことであるが、人民は民衆ではないし、まして人々でもない、国民かと思えば、それも違うのであろう。
それが日本で作られた意味とはなり得ないのであるから、逆輸入と言ってみて、輸出した方は使わない語である。。
共和はおいて、共和国となれば、それは君主国に対比するのであるが、そこにもまた、日本語にはない意味があるといってよい。
もとより翻訳概念を援用しても、共和国、英語での、republic は、人民のもの、その国なのであるから、日本語と異なる。
>中国へ逆輸入された日本製の熟語も数知れない。正式国名である「中華人民共和国」の「人民」も[共和]も古典のなかにあったことばに日本人が新しい意味を与えた言葉なのだ。16ページ
日本語漢字辞典を作った人の著書にある。
2007年に完成したとあるから、ただし11年の、歳月を費やしたそうであるから、1990年代の後半からの物言いであったかもしれない。
漢和辞典が現代日本の日常生活で使えないことにこの辞典の発想があるようであるが、それは辞典の編集目的によるところで、国語辞典である限り、日本語辞典になり得ないことも同様であるから、そもそも漢和辞典をどうとらえてきたかにもよる。
その試みは、1994年に出版された、新漢語辞典にも見えたことである。
さらにこれを日本語でとらえるとなると、出版社は長く国語辞典として推奨した中型の広辞苑でさえ、国語をやめて、日本語との宣伝を入れ出したのであるから、その国語と日本語の乖離は避けられないとことと言うのはよしとして、日本語漢字辞書をその目的において、もと見出すことはできる。
新潮日本語漢字辞典|新潮社
www.shinchosha.co.jp/wadainohon/730215/
>刊行のことば
漢字は、中国からきました。いまからおよそ一五〇〇年前のことといわれています。以来、日本人は、日本語のなかに漢字を取りこみ、中国とはまったく異なる柔軟・多様な漢字の文化を育ててきました。
しかし、これまで、その「日本語としての漢字」を知るための辞書はありませんでした。漢和辞典のほとんどが、古代の中国語を日本で学ぶための辞書でした。したがって、日本で育った漢字の字形、意味、熟語などを引こうとしても、載っていないということがしばしばあったのです。
『新潮日本語漢字辞典』は、そこを解決しました。これはまさに画期的な、「日本からきた漢字」の辞典です。日々の暮らしの中で、漢字を読み書きするときの頼もしい味方であることはもちろん、漢字の世界の楽しさ、面白さをも十分に味わっていただける辞典です。
ご愛用を心からお願いいたします。
平成十九年七月 新潮社
>漢字は一五〇〇年前にわが国へ伝来したが、以来、創造力あふれる先人達はそれを巧みに日本語に取りこみ、中国とはまったく異なる独自の漢字文化を育ててきた。英語文化がゲルマン文化でもラテン文化でもないのと同様、漢字文化は日本文化である。本書はその立場に立った初めての辞典である。
これまでの漢和辞典は中国の言葉、とりわけ古代中国の言葉を読むための辞典であった。だからそこには、木漏れ日(こもれび)、東風(こち)、浴衣(ゆかた)、秋刀魚(さんま)のような美しい言葉はなかったし、秋桜(コスモス)、硝子(ガラス)、倫敦(ロンドン)のような外来語も当然なかった。
だからであろう、漢和辞典をパッと開いた時には見たことのない異国の言葉が並ぶ。一方、明治以降の日本文学にも目を配った本書を開くと、意味の分りそうな漢字ばかりが現れる。用例も前者は漢文が主であるのに後者は日本人に縁深いものが主だから見ていて楽しい。
これからは、漢文を読むには漢和辞典、日本語文中の漢字を読むためには「日本語漢字辞典」ということになるだろう。
本書は「漢字は日本語である」を宣言する書である。ここまで来るのに一五〇〇年かかったということである。国語史における偉業である、と同時に、感慨ひとしおである。
藤原正彦
岩波書店の書籍 辞典
www.iwanami.co.jp/shoseki/jiten.html
辞典の代名詞とされ、「日本語の規範」と称される累計1000万部以上を誇る『広辞苑』をはじめ、岩波書店では数々の辞典を刊行しています。
岩波新漢語辞典 国語辞典テイストの、表現力冴える漢和辞典
www25.atpages.jp/takeforce179/kanji/kanwa.../iwanami_shinkango.html
【岩波新漢語辞典】. 発行所:岩波書店. 沿革. 1994年 第一版. 2000年 第二版. 編著:山口明穂・竹田晃. 広辞苑、岩波国語辞典など、国語辞典業界を牽引する岩波が送る、ひと味違う漢和辞典。こういう漢和辞典が存在することを知った時、ある意味衝撃を受け ...
>
漢語を輸入された日本語として捉え、あくまで日常語、文章語をベースとして熟語を紹介している辞典となっている。よって、熟語の解説は国語辞典のようなテイストで、語釈を交えながら解説を加えているところに大きな特色があり、他社の辞典とは一線を画する内容であるといえるだろう。また、字義の説明にも、語釈を交えているような部分が見られ、なかなか読んでいて興味深いものがある。
たとえば、「念」「性」という字について、『漢辞海』と比較してみると
念 〈岩波〉心中に深くとどめて(祈るような気持ちで)思う。常に心の中にあって離れないおもい (漢辞海)なつかしく思う。気にかける
どうだろう。大抵の漢和辞典での解釈は後者が主流である。ところが、岩波の場合、念とはただ思うだけでなく、祈るような気持ちだとか、心中に深くとどめるだとか、それなりのシチュエーションを伴っているものだと説明している。字義に対しても、こういう説明していると、ああいかにも国語辞典らしい解釈だなと、膝を打つことだろう。
部首見出し:なし
親字数:11800
熟語数:36000
さて先の著述を読み進めると、もっと困ったことになる。
先の例で言えば、日本製の熟語ということである。
熟語に日本製と中国製があるのかとかんがえてみれば、熟語は熟語であって、成立した2文字またそれ以上の字数の言葉である。
中国語の漢字は1文字が言葉であると考えることができるので、それを日本語は訓読みをしたのである。
そうすれば、公孫樹は、こうそんじゅ であって、 秋桜子は、秋櫻子 しゅうおうし なのである。
それを銀杏と読み、コスモスと読むのは熟語だからである。
どの熟語が日本でできたか、故事成句の熟語が中国でできたか、それを知ることは、ことばをどう学ぶかによる。
おおく日本語で熟語と呼ぶものは日本語であるといってよい。
この言い回しが広まったか。
とても困ったことであるが、人民は民衆ではないし、まして人々でもない、国民かと思えば、それも違うのであろう。
それが日本で作られた意味とはなり得ないのであるから、逆輸入と言ってみて、輸出した方は使わない語である。。
共和はおいて、共和国となれば、それは君主国に対比するのであるが、そこにもまた、日本語にはない意味があるといってよい。
もとより翻訳概念を援用しても、共和国、英語での、republic は、人民のもの、その国なのであるから、日本語と異なる。
>中国へ逆輸入された日本製の熟語も数知れない。正式国名である「中華人民共和国」の「人民」も[共和]も古典のなかにあったことばに日本人が新しい意味を与えた言葉なのだ。16ページ
日本語漢字辞典を作った人の著書にある。
2007年に完成したとあるから、ただし11年の、歳月を費やしたそうであるから、1990年代の後半からの物言いであったかもしれない。
漢和辞典が現代日本の日常生活で使えないことにこの辞典の発想があるようであるが、それは辞典の編集目的によるところで、国語辞典である限り、日本語辞典になり得ないことも同様であるから、そもそも漢和辞典をどうとらえてきたかにもよる。
その試みは、1994年に出版された、新漢語辞典にも見えたことである。
さらにこれを日本語でとらえるとなると、出版社は長く国語辞典として推奨した中型の広辞苑でさえ、国語をやめて、日本語との宣伝を入れ出したのであるから、その国語と日本語の乖離は避けられないとことと言うのはよしとして、日本語漢字辞書をその目的において、もと見出すことはできる。
新潮日本語漢字辞典|新潮社
www.shinchosha.co.jp/wadainohon/730215/
>刊行のことば
漢字は、中国からきました。いまからおよそ一五〇〇年前のことといわれています。以来、日本人は、日本語のなかに漢字を取りこみ、中国とはまったく異なる柔軟・多様な漢字の文化を育ててきました。
しかし、これまで、その「日本語としての漢字」を知るための辞書はありませんでした。漢和辞典のほとんどが、古代の中国語を日本で学ぶための辞書でした。したがって、日本で育った漢字の字形、意味、熟語などを引こうとしても、載っていないということがしばしばあったのです。
『新潮日本語漢字辞典』は、そこを解決しました。これはまさに画期的な、「日本からきた漢字」の辞典です。日々の暮らしの中で、漢字を読み書きするときの頼もしい味方であることはもちろん、漢字の世界の楽しさ、面白さをも十分に味わっていただける辞典です。
ご愛用を心からお願いいたします。
平成十九年七月 新潮社
>漢字は一五〇〇年前にわが国へ伝来したが、以来、創造力あふれる先人達はそれを巧みに日本語に取りこみ、中国とはまったく異なる独自の漢字文化を育ててきた。英語文化がゲルマン文化でもラテン文化でもないのと同様、漢字文化は日本文化である。本書はその立場に立った初めての辞典である。
これまでの漢和辞典は中国の言葉、とりわけ古代中国の言葉を読むための辞典であった。だからそこには、木漏れ日(こもれび)、東風(こち)、浴衣(ゆかた)、秋刀魚(さんま)のような美しい言葉はなかったし、秋桜(コスモス)、硝子(ガラス)、倫敦(ロンドン)のような外来語も当然なかった。
だからであろう、漢和辞典をパッと開いた時には見たことのない異国の言葉が並ぶ。一方、明治以降の日本文学にも目を配った本書を開くと、意味の分りそうな漢字ばかりが現れる。用例も前者は漢文が主であるのに後者は日本人に縁深いものが主だから見ていて楽しい。
これからは、漢文を読むには漢和辞典、日本語文中の漢字を読むためには「日本語漢字辞典」ということになるだろう。
本書は「漢字は日本語である」を宣言する書である。ここまで来るのに一五〇〇年かかったということである。国語史における偉業である、と同時に、感慨ひとしおである。
藤原正彦
岩波書店の書籍 辞典
www.iwanami.co.jp/shoseki/jiten.html
辞典の代名詞とされ、「日本語の規範」と称される累計1000万部以上を誇る『広辞苑』をはじめ、岩波書店では数々の辞典を刊行しています。
岩波新漢語辞典 国語辞典テイストの、表現力冴える漢和辞典
www25.atpages.jp/takeforce179/kanji/kanwa.../iwanami_shinkango.html
【岩波新漢語辞典】. 発行所:岩波書店. 沿革. 1994年 第一版. 2000年 第二版. 編著:山口明穂・竹田晃. 広辞苑、岩波国語辞典など、国語辞典業界を牽引する岩波が送る、ひと味違う漢和辞典。こういう漢和辞典が存在することを知った時、ある意味衝撃を受け ...
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漢語を輸入された日本語として捉え、あくまで日常語、文章語をベースとして熟語を紹介している辞典となっている。よって、熟語の解説は国語辞典のようなテイストで、語釈を交えながら解説を加えているところに大きな特色があり、他社の辞典とは一線を画する内容であるといえるだろう。また、字義の説明にも、語釈を交えているような部分が見られ、なかなか読んでいて興味深いものがある。
たとえば、「念」「性」という字について、『漢辞海』と比較してみると
念 〈岩波〉心中に深くとどめて(祈るような気持ちで)思う。常に心の中にあって離れないおもい (漢辞海)なつかしく思う。気にかける
どうだろう。大抵の漢和辞典での解釈は後者が主流である。ところが、岩波の場合、念とはただ思うだけでなく、祈るような気持ちだとか、心中に深くとどめるだとか、それなりのシチュエーションを伴っているものだと説明している。字義に対しても、こういう説明していると、ああいかにも国語辞典らしい解釈だなと、膝を打つことだろう。
部首見出し:なし
親字数:11800
熟語数:36000
さて先の著述を読み進めると、もっと困ったことになる。
先の例で言えば、日本製の熟語ということである。
熟語に日本製と中国製があるのかとかんがえてみれば、熟語は熟語であって、成立した2文字またそれ以上の字数の言葉である。
中国語の漢字は1文字が言葉であると考えることができるので、それを日本語は訓読みをしたのである。
そうすれば、公孫樹は、こうそんじゅ であって、 秋桜子は、秋櫻子 しゅうおうし なのである。
それを銀杏と読み、コスモスと読むのは熟語だからである。
どの熟語が日本でできたか、故事成句の熟語が中国でできたか、それを知ることは、ことばをどう学ぶかによる。
おおく日本語で熟語と呼ぶものは日本語であるといってよい。