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意味探求

2021-06-28 | 日本語意味

言語の意味について考える。意味論は20世紀の哲学議論であった。言語の意味は欧州から北米大陸の議論になって言語に意味はないという言語形式論とでもいうべき流れができた。意味は言葉により実現する人間行動になるか、論理式による意味の抽象を求めるか、心理、経験、知識の脳内作用をさぐるか。それでは、日本語の意味とはどう探求するだろう。

http://www.jaist.ac.jp/project/NLP_Portal/doc/glossary/index.html
言語情報処理 用語集
意味論 (semantics)
 記号論の一分野で、単語や文が持つ意味をとりあつかう分野。
意味解析 (semantic analysis)right arrowWE
 与えられた文もしくは文章の意味を決定する処理。意味解析の持つ意味は広く、文の意味を明らかにする処理は何でも意味解析と呼ばれる。文の論理式への変換、格解析、述語項構造解析、多義性解消、比喩理解などが意味解析の例として挙げられる。




げん‐ご【言語】 の解説
>音声や文字によって、人の意志・思想・感情などの情報を表現・伝達する、または受け入れ、理解するための約束・規則。また、その記号の体系。音声を媒介とするものを音声言語(話し言葉)、文字を媒介とするものを文字言語(書き言葉)、コンピューターなど機械を媒介とするものを機械言語・アセンブリ言語などという。ことば。ごんご。げんぎょ。
出典:デジタル大辞泉

>言語(げんご)は、 広辞苑や大辞泉には次のように解説されている[1]。
人間が音声や文字を用いて思想・感情・意志等々を伝達するために用いる記号体系[1]。およびそれを用いる行為(広辞苑[1])。音声や文字によって、人の意志・思想・感情などの情報を表現したり伝達する、あるいは他者のそれを受け入れ、理解するための約束・規則。および、そうした記号の体系(大辞泉[2])。
ある特定の集団が用いる、音や文字による事態の伝達手段[1]。(個別言語のことで、英語・フランス語・日本語などのこと[1])
(言語学用語)ソシュールの用語「langue ラング」の日本語での訳語。
『日本大百科事典』では、「言語」という語は多義(的)である、と解説され、大脳の言語中枢(英語版)に蓄えられた《語彙と文法規則の体系》を指すこともあり、その体系を用いる能力としてとらえることもある、と解説され、一方では、抽象的に「すべての人間が共有する言語能力」を指すこともあるし、「個々の個別言語」を指すこともある、と解説されている[3]。
^ a b c d e 広辞苑 第六版「げんご(言語)」
^ 大辞泉「げんご(言語)」
^ 『日本大百科事典』(ニッポニカ)、言語
^ a b c d e ブリタニカ百科事典「言語」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

意味論(いみろん、Semantics)とは、意味について研究する学問である。 言語学、哲学、コンピューター科学、心理学など、いくつかの異なる分野の下位分野を指して使用される。
ウィクショナリーに関連の辞書項目があります。
意味論
意味論 (言語学) - 言語学における意味論。
意味論 (論理学) - 論理学(哲学)における意味論。
プログラム意味論 - コンピュータ科学での意味論。
意味論 (心理学)(英語版)
一般意味論 - A.コージブスキーが提唱した。


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1 コメント

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言語の文字表現における意味 (Maria)
2021-06-29 14:13:57
Maria です。
「言語活動における “意味” 」になると、相手が大きすぎてしまいますので、言及は控えておきたく思います。
ただ、「記述されたテキスト」における「名詞の意味」「述語の意味」に関しては、ある程度確言できる部分があります。
まずは「名詞の意味」です。「漱石」「マリリン・モンロー」は名詞ですが、その背景には「個物(=個人・個体。インディビジュアル。「分割できないもの」)」があります。これは、「漱石やモンローが生まれてから死ぬまで」を俯瞰して、「漱石」「モンロー」として把握しているわけです。
ですが、漱石は「漱石」と號する以前は夏目金之助であって、「マリリン・モンロー」はセックス・シンボルとして崇められる以前は、「ノーマ・ジーン」でした。
そうなると、それぞれの生涯における、ある一点において切断すると、その点における「個物」は、また別の「個物」と認識しないと不都合です。
このとき、それを「切断する機能を持つもの」が「述語」だと、うちらは考えています。つーてもうちらが思いついたわけではなく、カタストロフィ理論のルネ・トムとか、様相論理学者のモンタギューとか、そういった人の話の辻褄を合わせただけですが。
つまり、「言語の文字表現における、形式的な“意味”」というのは、「個物を(述語によって)切断することによって生じたカタストロフィの関係の記述」であろうと考えます。
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