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批判文法

2024-02-06 | 日本語文法論議24





 
批判文法と言うと文法を批判すると読める。しかし、これはネーミングとしてありそうであるが、この語序では用いていない。
文法批判と言うとこれまた文法を批判すると読めそうであるが、日本語では、文法の批判、文法とその批判となるようである。
このように語句として並べてその意味内容をとらえるにもとくに、4字熟語となれば分析することがないか、次のような言い方で解釈することになる。

文法批判とする用語また語句として次のように検索でヒットする。
 三上章の文法教育批判
 学校文法批判
 英語文法批判
 伝統文法批判
 山田文法批判
これを察するに文法批判には文法がまず特定された体系としてあって、文法とする対象が学説、個別の文法論、理論体系のものと見える。
やはりそのとらえるところの、つまりは文法の批判、批判することとなっているようである。
この文字、漢字4字となる語句の語の並び方にすでに働く規則があって、それを国語としての解釈から用いるようである。

検索のいくつかを眺めていると、このブログにも同様のタイトルで載せる。


以下は再録

日本語文法の説79 国語文法批判
2019-09-09 | 日本語文法
>橋本文法学説では形式重視という国語学の受け止め方である。それは議論の表現として便宜のまとめである。しかし、その音韻を重視する主義主張こそが、言語の音韻としての、国語の音韻論となる考え方があるので、そのままに学校文法を理論として言うのは、教科文法についても前提が理解されていないことになる。日本語教育で形態文法を扱うのは、教育手段となる分析では、その前提がある。構造言語学の根本である。
時枝文法学説の仮説は何を前提とするか、言語過程説とはどういうものか、議論をすることになる。国語学に文法学説の諸説を対象とする、その理解を単に、音韻、形式重視とのまとめには何があるか。

それを知ることになるので、その前提に対して、形式が形態になりうるのは、日本語話者が言語として意味を持って用いているものだからで、そこに分析するために文法意味がないという批判は全くナンセンスなことである。山田学説には何があり、松下学説には何があり、渡辺実学説には何があるか。
はて、三上章学説、寺村秀夫学説には、言語本質観、文法観があったのだろうか。学校文法批判の批判を考えなければならない。

国文法批判の批判をすることになる。教科文法、学校文法の解説をもって文法学説のように批判をするのは、いささか、気が引ける。そこに文法理論があるのかどうかを学校文法批判はその批判をしないままに、生産的議論を作ってこなかった。言い換えれば、学校文法に対する、曲解がまかり通り、その批判の形をとって表れる議論の根本的な誤謬である。教育文法の論議ならばそれを認めることにもなるかもしれないが、そこには実践者の苦悩を見るだけになる。その論文をここに紹介するが、ここにある学校文法批判者はわたしの良く知る人であり、思い起こせば某雑談会のメンバーとして1970年代半ばの議論からよく知るものである。名を伏せることもないが、それだけに学校文法批判には、よく知る人が議論する、この日本語学の一文を読んだときにもこれではいけない、これをもって教育学部教員養成でやってはいけないことになると感じたものである。日本語学からの直接引用ではなくて、百留さんのダイジェストによる文章からお借りするのも、学校文法の批判の批判は聞く耳を持たれることではない。
 (以下に引用あり――略)

日本語文法の説80 文節批判の批判
2019-09-10 | 日本語文法
>文節は詞であると気付く。文節は句であるとわかる。橋本文法の文節が文を分かち書きにした話部すなわち品詞に相当するとわかると、時枝学説の句、松下学説の詞、そこに学校文法の文節を分節した単語の扱いになることがわかる。そして連文節に文節相当を分析するかどうかのみかたで、文節の有効な議論の可否が決まる。

国語文法の理解をどうしているだろう。文節は自立語と付属語とあって、その自立語は意味を持つ単語、付属語は実質的な意味に対して文法的な意味を持ち、自立語に付属する語である。ここで自立語、付属語というのは語の単位を構成する要素であるから、自立する、付属するという働きを持った語のレベルが異なっている。それを品詞分類表でも区別されているところに、同じ語であるのは、語という名称がおかしいというのは、それですでに、語の区別を理解していないことになる。語構成に接尾語とあって、単語における接辞の扱いになるかならないかはまた、文法分析を語に及ぼすときの捉え方である。文節にもしも、同等の語のレベルで働くとする付属語を見るのは、そうではないと言えなくなってしまう、単語の規定を変えてしまってくることになる。


さて、批判文法とはどうなるか。語構成としての意味のとらえ方とこの熟語としての意味となると違いがあるようである。

日本語の語順にとらえればどうなるかと思い起こせば国語の語順で批判する文法という読み方にもなるので、古今での批判が動詞であるという読み方にも議論が必要であるが、批判にまつわる語句となると、三大理性批判とやら、はては自己批判あるいは体制批判と時代に生きてきた、その内容はおどろしいことになる。文法批判をすることというのが収まりやすい。その批判であるが,非難する意味内容に用いることがある批判は厳密に言って批正するというのがあって、批判をすることで次のステップへ踏み出すかどうかが批判することのポイントとなる。


>CRITICIZEの意味、批判する
To criticize (verb) is to say what you think is wrong with someone or something.
The noun form is criticism.
動詞の criticize は、人や物事について間違っていると思うことを指摘する、つまり、批判する、という意味です。
名詞形は criticism で、批判、という意味です。
 https://jp.berlitz.com/wm/09atwork/0311.htm







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