節分は季節を分けると書く。立春は春が立つと言う。
雑節の一つ、季節の始まりの日..
立春、立夏、立秋、立冬の前日のこと。
春になる年初の前日、旧暦12月30日に鬼やらいの行事。追儺は大晦日に行われる、宮中の年中行事である。旧暦12月30日で疫鬼、疫神を払う儀式。儺、な、疫鬼を追い払うこと。
>古く中国に始まり,《周礼(しゆらい)》によれば方相氏(ほうそうし∥ほうしようし)と称する呪師が熊の皮をかぶり,四つの黄金の目玉のある面をつけ,黒衣に朱の裳(も)をつけ,手に戈(ほこ)と盾(たて)とをもって疫鬼を追い出した。
世界大百科事典内の儺の言及
立春は、響きの良い語である。
>春の季節が始るとした。すなわち立春は正月節 (1月前半) のことで,太陽の黄経が 315°に達した日 (太陽暦の2月4日か5日) から雨水 (太陽の黄経 330°,2月 19日か 20日) の前日までの約 15日間であるが,現行暦ではこの期間の第1日目をさす。
>昔中国ではこれをさらに5日を一候とする三候 (東風解凍,蟄虫始振,魚上氷) に区分した。これは,東風が吹いて氷が解けはじめ,地中に冬ごもりした虫が動きはじめ,水中に休止していた魚が氷を出てくる時期の意味である。
春一番、南から、強い南寄りの風が吹くと、南からの気を運ぶ、昔もそうか、気象の変化で海が荒れたりするので要注意でもある。
(セチブンとも)
①季節の移り変わる時、すなわち立春・立夏・立秋・立冬の前日の称。
②特に立春の前日の称。この日の夕暮、柊ひいらぎの枝に鰯いわしの頭を刺したものを戸口に立て、鬼打豆と称して炒いった大豆をまく習慣がある。〈[季]冬〉
広辞苑「節分」
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旧暦の元旦は、新暦でいうと2月初旬で、一番寒い時期を越え生物が躍動し始めるころです。 年賀状に迎春などと書くのはこうした名残りです。 昔の暦は大変貴重品 ...
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追儺と節分・・・
今回は、平安時代の宮中行事のひとつで大晦日の夜、内裏で催されていた祓の行事、「追儺」をご紹介します。
別名、儺(おにやらい)ともいいます。
大晦日の夜、悪鬼を祓い、厄災を除いて、新年を迎える宮中の年中行事で、現代の節分の行事のルーツです。
節分は年に四回あります。
春分、夏至、秋分、冬至の各季節を区切る節気の前日を節分といいますが、このうち、立春が1年の初めと考えられることから春の節分が最も重視され、一般には単に「節分」と言えば、春の節分を指すものとなっています。
立春(春分)を新年とすれば春の節分は大晦日にあたります。
追儺の儀式・・・
平安時代の宮中の追儺の儀式を簡単に説明しますと
『----戌の刻(午後八時頃)から始められ、天皇は紫辰殿に出御します。
まず、陰陽師が祭文を読み、次に「シン子」と呼ばれる童子二十人ほど従えて、鬼払い役の「方相氏」が登場します。
黄金の4つ目の怖い面をつけた方相氏(主役・祓い役)が矛と盾を持ち、その矛を地面に打ち鳴らしながら「鬼やらい、鬼やらい」と大声で唱えながら、宮中を歩き回り、目に見えない疫鬼を内裏の四門に追い回し退散させます。
そしてその後には殿上人たちが桃の弓と葦の矢を持って続きます。----』
桃や葦にも古来より邪気を祓う力があるとされていました。
方相氏は普通、大舎人の中から体の大きなものが務めることになっていました。
枕草子や源氏物語にもその行事の様子が記されています。
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