日本語と文字意識、日本人の考える文字意識を、文字そのものは言葉であると中田祝夫は説いた。文字に対応する記号をもってとらえるのではなくて、文字がことばなのである。文字論を記号論とおなじにはしない。文字学、文字論とすれば、記号学、記号論と対照することになるが、これは言語記号の考え方にあるものかどうか、言語を記号と考える言語学の理論の展開にあって、日本語をそれに合わせてみれば記号学の分野にもなる言葉の対象を設定する。文字は漢字をとらえるところから、漢字学文字学とも、日本語、漢字文化圏の文字としてある。漢字を学ぶ、漢語を入れる、言葉はその文字そのものであったと、日本語は見てきた、行ってきた。近代になって、造語をするときに、言葉を作るということは、その新しい概念を漢字に翻訳することがまずあった。国語は和語から、その和語は、漢字の訓に用いて意味内容を明らかにし、国語の中に漢語を音訓の語として位置づけて来た。和語の和らげと大和詞と、それを漢字文字と仮名文字と交えて用いる、それが日本語となったから、文字はそのままに言葉であったのである。
河野六郎(1977):文字の研究、とりわけ文字の言語的機能を扱う文字論 ともいうべき領域が、当然言語学の中にあってしかるべきであるが、現在のところ、いまだ十分に理論構成がなされていないため、その分野の研究は今後の発展に期待しなければならない。もとより、それぞれの文字の字形についての考察はなされて来ている。中国などでは『説文』以来、文字学の伝統がある。しかし、ここで問題にしているのはそういう外形的なことではなく、そもそも文字とはどういう言語的機能を持つ言語記号であるか、を研究することである。(p. 4)
西田龍雄(1986):文字を対象とする言語学の分野は、「文字学」と呼ばれる。英語では “grammatology”という。(p. 220) 文字学の最も中心的な領域が、それらの研究の基本にある文字の組織自体にあることはいうまでもない。それは、後述する「字素論」、「統字論」、「形字論」を中核とするだけでなく、あらゆる文字の性格付けに適用できる類型論的基準の設定も含まなければならない。(p. 222)
河野 六郎 (1977)「文字の本質」『文字』岩波講座日本語8. 1-22. 岩波書店
河野 六郎・千野 栄一・西田 龍雄 編 (2001)『言語学大辞典 別巻 世界文字辞典』三省堂
西田 龍雄 (1981)『世界の文字』講座言語第 5 巻. 大修館書店
―― (1986)『言語学を学ぶ人のために』世界思想社