森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

村山聖にもらった人形

2011-04-22 06:05:59 | 村山聖
 一度どこかで掲載した写真だが、これはかっての大淀に住んでいた頃のものである。村山聖が私の家に来て漫画の本を読んでいる。その奥の三段ボックスの上に日本人形がある。それは確か奨励会旅行で静岡あたりに行ったときに、何故か村山聖がお土産で買ってきてくれたのだ。
 
今思うと、全く女っ気がない師匠の私に、早くお嫁さんをの意味だったのか?そのときにきいても答えてくれなかった。
 この人形は宝塚に引越したときに持ってきたのだが、阪神大震災のときになくしてしまったのが残念である。

 村山聖が私の部屋に来るのは、別に用事もないときが多かったが、頭を洗いにくるのが目的だったかもしれない。関西将棋会館から一緒の方向に戻るとき、「寄っていくか?」「はい」そういう感じだった。あるいは次の一手の検討の依頼だった。

 棋士になってからは、なるべく干渉しないようにしていたが、体調を崩して対局の不戦敗のときは、仕方なく?どう対応するかアドバイスした。そういうときは腹をくくって向き合った。
 そうでないと頑として自分の意志を曲げないからだ。意志を曲げさすのなくて、そのときの最善策を一緒に考えて決めさせる・・そういう意図だった。

 基本的に今でもそうだが、私は弟子といえども人に深く関わるのは苦手である。弟子と言えども、また年齢差があっても、対等の付き合いが好きなのだ・・できればみんな何とかやっていってほしい・・でもやはりきつく言わないと気づいてくれないこともあるのだが・・
 自然の流れでどうなろうともしょうがないのが人と人とのからみである。師弟関係も、私に関していうと、将棋の世界の範囲での師匠と弟子と思っている。その分、できるだけ信頼して任せたいのが本音である。自分の力で切り開いて育っていってほしいのだ・・

 村山聖との出会いは、いろいろ考えさせられて、自分の生き方にも大きな影響があったように思う。「村山君と関わってからはなあ、わしはなあ百勝は損したと思うで・・」冷やかしでそういうと、困ったような呆れたような表情で「はあ?」と返事があった。その間合いが村山聖流なのである。
コメント (4)
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