これは村山聖が八段昇段の祝賀会のときの挨拶のシーンである。ちょうど、今日と明日で森内名人と挑戦者羽生二冠の名人戦第四局が行なわれている。
村山君が亡くなって、今年の8月8日で10年になる。今でもその日のことは覚えているが、あれから自分は一体何をして生きてきたのだろう。
歳月は人を待たず、流されるのみなのかもしれない。それでも自分の足跡は自分で作って自分で消していくものなのだろう。
「この世に自分が生きた証は、何にも残したくないのです」村山聖の言葉、少しその気持ちが理解できるようになってきた・・
村山君が亡くなって、今年の8月8日で10年になる。今でもその日のことは覚えているが、あれから自分は一体何をして生きてきたのだろう。
歳月は人を待たず、流されるのみなのかもしれない。それでも自分の足跡は自分で作って自分で消していくものなのだろう。
「この世に自分が生きた証は、何にも残したくないのです」村山聖の言葉、少しその気持ちが理解できるようになってきた・・
命とは生きるって事はそうゆうものではないでしょうか??
消せません、、、生まれたって事は。
人の歴史が続く限り。
森先生も奥様も皆、みんな、ミンナ。
市内でもあり昨年はじめての墓参りをしたのですが
今年も機会があればと思っています
名人戦の4回戦は、またまた最後に紙一重
のすごい切り合いに堪能しまして、第5回戦
で面白い星になることを期待したいところです
消したくないのに消える命の不条理さに対する抵抗であり、あきらめであり、それでも流れに任せる潔さから出ている勇気ある言葉のような気がしています。
名人戦は羽生3-1ですが、森内名人の堂々たる姿勢も好感がもてます。最後まで熱闘の将棋を見せてほしいですね。
ちょっと前に読ませていただきました。
村山さんの「生きた証を残したくない」という言葉、彼は常に死を意識しながら生きてたんでしょうね。切ないです。村山さんの将棋をリアルタイムで見れなかったことが残念です。
この写真は、森さんの結婚式のときのスピーチでしょうか。いい表情ですね。
失礼しました。
まともに受け取るのもどうかと思ったので、「そんなこと言わないで、みんな色紙を楽しみにしているのだから」と答えたように記憶しています。
この写真の表情はいいですね。
以前、聖の青春を読んだながれで、こちらのサイトの村山さんの写真にコメントさせてもらいました。久しぶりに拝見したら、新たな村山さんの写真が!
「生きた証を残したくない」
という言葉、重いですね。でも勝手ながら、ちょっと共感できる気がします。
一人の人間の命。その命そのものが、大きな自然とか宇宙とかのなかでは、生まれ、なくなり、また生まれて繰り返されていく一呼吸にすぎなくもあると感じたそんな結果の言葉に思えます。
個人の命は無くなってもまた命の源に帰り、また別の命となるというか。。
自分の命の「限り」を知りながら生きた村山さんだからこそ、出てきたようなそんな気が勝手にしています。
生きていくのは常に、心の葛藤なのでしょうね。答なぞありはしない、そんな気もします。