面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

「映画 立川談志」

2013年01月10日 | 映画
2011年11月21日に立川談志が亡くなってから、早や1年が経ち、年も変わってしまった。
談志の一周忌追善プロジェクト「映画 立川談志」が、1月12日より、全国各地の劇場で公開される。
以前、チラシを目にして絶対行こう!と決めていた自分は、ひと足早く12月8日に公開されたなんばパークスシネマに、年末の慌ただしさの合い間をぬって仕事帰りに駆けつけた。

冒頭、東日本大震災の10日前に仙台で開かれた一門会で高座に上がる談志の姿が映し出される。
ほとんど聞き取れないほどに声が枯れ、マイクが拾う空気が漏れるような音が痛々しい。
手術で声を失う直前の正に“談志の最期”の貴重な映像だが、そのあまりのやつれた姿に、なんというか、談志が亡くなったことに対する納得感を持ってしまった。

「落語は人間の『業』の肯定である。」
「落語とは寄席という独特の空間で『江戸』の風や匂いを演じること。」
有名な語録で落語哲学が語られるなか、数々の高座から練り上げられ、突き詰められて出てきた「イリュージョン」という言葉は心にしみた。
人間の心の奥底には、言葉には表せない、もちろん形など無いワケの分からないもの、「イリュージョン」が存在していて、これを互いに表に出してしまうと「社会」が成り立たないため、「常識」という枠を作ってその中に収めることで、何とか維持している。
落語が人間を描くものである以上、そういった「イリュージョン」まで語るべきである。

ドキュメンタリー映像の中で語られる談志の言葉は、その意味を追って頭で理解しようとすると骨の折れる作業になるが、二つの高座を丸々収録することで談志の哲学を感じ取れるようになっている。
まず、「イリュージョン」については「やかん」。
そして「人間の業の肯定」や「江戸の風」は「芝浜」。
二席の高座を堪能することで、噺家・立川談志の思想・思念を体感できる構成が秀逸!
ちなみにこれは、ほぼ正面からの映像のみに徹した、落語を楽しむことを理解できているカメラワークに因るところが大。
以前に某BS放送で見た志の輔の落語番組のような、演者を頭上から俯瞰したり、斜め下から顔をアップにしてみたりという無駄なアングルが無いから、今はもう見られない談志の高座をゆっくりと楽しむことができるのである。

「落語は一期一会」という談志。
同じ噺であっても、高座に上がるたびに常に違うものであるのが落語。
その噺家が演じる高座を見たお客さんは、たまたまそこにいて、たまたまその時に演じられた噺に触れる。
これが半年後に同じ噺家の同じ噺の高座を見ても、そこには前回と違うものが演じられる。
この「一期一会」もまた、落語の楽しさなのである。

談志の高座をライブで見たのは、大学4回生の時に行った京都南座での「芝浜」のみ。
その「芝浜」に、鳥肌が立つ感動を覚えたのではあるが、まだ若かった自分は、談志の奔放なふるまいに共感しきれず、彼の落語の本当の面白さを理解しようとはしなかった。
たまたまラジオで聞いた、ほぼ1時間にも渡る「居残り佐平次」にも唸らされたが、それでもまだ、談志の高座に対する執着心のようなものは持てなかった。
もっと談志の高座を追いかければよかったとは思うが、談志の存命中にそんな気にあまりならなかったのだから仕方が無い。
本作を含めて、談志の高座は様々な媒体に残されているのだから、これからまた機会あるごとに触れていこう。


映画 立川談志
2012年/日本  監督:加藤たけし
出演:立川談志
ナレーション:柄本明