1920年代の山東省。18歳の九児(コン・リー)は、親子ほども年の離れた造り酒屋の男のもとへ嫁いだ。
嫁いで3日目に実家に戻るという風習に則り、ラバに乗って故郷へと向かう途中、広大な自生のコーリャン畑で男に襲われる。
その男は、実は婚家へ九児を送る輿を担いでいた余占鰲(チアン・ウェン)だった。
婚儀当日、同じコーリャン畑で輿を強盗に襲われた際に自分を助けてくれた占鰲に淡い好意を抱いていた九児は、そのまま身を任せてしまう。
日を置かずして夫は何者かに殺され、造り酒屋を継ぐことにした九児は、占鰲と結婚した。
男の子も生まれ、商売も繁盛して平和な日々を送っていたが、日本軍が侵略してくる。
かつて酒屋の“番頭”として働いていた羅漢(トン・ルーチェン)が、抗日ゲリラとして日本軍に捕らえられ、見せしめとして衆人環視の中で惨殺されたことに報復するため、九児達は立ち上がる…
「初恋のきた道」「HERO」「単騎、千里を走る。」「サンザシの樹の下で」などを撮ってきた名匠チャン・イーモウの監督デビュー作だったので、かねてより観たいと思っていた。
大阪は九条の「シネ・ヌーヴォ」で、現在「中国映画の全貌 2012-3」という企画上映が開催されているが、その中で上映されていたので駆けつけた。
とにかく“映像の力”に圧倒された
「初恋のきた道」や「サンザシの樹の下で」が大好きな自分にとって、恋心を抱くヒロインを美しく、繊細に描くことに長けているというイメージを勝手に持っていたのだが(当たらずとも遠からずとは思うが)、チャン・イーモウ監督は映像監督出身だけあって、かくも力のある画面を作れる人なのだと感じ入った。
特に、全編で象徴的に使われる「赤」の鮮烈さは凄まじい。
これと対照的に描かれる、夜のシーンにおける「青」の静かさ、冷やかさ。
見事なコントラストを放っていて、澄み渡った蒼い夜空に浮かぶ冷たい月影が、日中の赤い躍動感や生命力を引き立てる。
後から振り返るほどに、“映像の力”というものが心の中に込み上げてくる。
タイトルにもなっている色である「赤(紅)」。
物語においてそれは、不安の色、情熱の色、生きる喜びの色、血の色、前進する生命力の色。
ただ前へ進む為に、心に燃えたぎらせる炎の色。
あらゆる心象風景を、さまざまな赤い色が描き出す。
そして、力強く大地に佇む親子を包む、真っ赤な太陽の光。
泥まみれの顔の中で鋭く光る眼を更に際立たせ、多くの血の上に立ち、それを乗り越えて生きていこうとするたくましい生命力が、圧倒的な迫力を伴って胸に迫ってくる。
映画の映像が持つ力というものを、再認識させられた。
映画を観終わって、真紅の中国国旗は、大地を踏みしめて前へ進む中国人民そのものを表しているのかと、今さらながら思いを巡らせた。
日本人には無い逞しさを、かの国の人々は持っている。
しかし日本には、かの国が及ばない繊細さがある。
お互いの持つ長所を互いに尊重し、「対立する国」としての各論的な視点ではなく、「共存するアジア人」として大局に立ち、それぞれの長所を活用し合えれば、また一歩、人類は進歩できるだろうに…
帰りがけ、劇場に戻る途中だった支配人の山崎さんが、自分に気づいて声をかけてくださった。
(山崎さんには、お忙しかったのに、わざわざありがとうございました!)
「今、上映する意味のある作品だと思うんです。」
その言葉の深さが胸に染みた。
「紅いコーリャン」
1987年/中国 監督:チャン・イーモウ
出演:コン・リー、チアン・ウェン、トン・ルーチェン、リウ・チー、チェン・ミン、チー・チェンホア
嫁いで3日目に実家に戻るという風習に則り、ラバに乗って故郷へと向かう途中、広大な自生のコーリャン畑で男に襲われる。
その男は、実は婚家へ九児を送る輿を担いでいた余占鰲(チアン・ウェン)だった。
婚儀当日、同じコーリャン畑で輿を強盗に襲われた際に自分を助けてくれた占鰲に淡い好意を抱いていた九児は、そのまま身を任せてしまう。
日を置かずして夫は何者かに殺され、造り酒屋を継ぐことにした九児は、占鰲と結婚した。
男の子も生まれ、商売も繁盛して平和な日々を送っていたが、日本軍が侵略してくる。
かつて酒屋の“番頭”として働いていた羅漢(トン・ルーチェン)が、抗日ゲリラとして日本軍に捕らえられ、見せしめとして衆人環視の中で惨殺されたことに報復するため、九児達は立ち上がる…
「初恋のきた道」「HERO」「単騎、千里を走る。」「サンザシの樹の下で」などを撮ってきた名匠チャン・イーモウの監督デビュー作だったので、かねてより観たいと思っていた。
大阪は九条の「シネ・ヌーヴォ」で、現在「中国映画の全貌 2012-3」という企画上映が開催されているが、その中で上映されていたので駆けつけた。
とにかく“映像の力”に圧倒された
「初恋のきた道」や「サンザシの樹の下で」が大好きな自分にとって、恋心を抱くヒロインを美しく、繊細に描くことに長けているというイメージを勝手に持っていたのだが(当たらずとも遠からずとは思うが)、チャン・イーモウ監督は映像監督出身だけあって、かくも力のある画面を作れる人なのだと感じ入った。
特に、全編で象徴的に使われる「赤」の鮮烈さは凄まじい。
これと対照的に描かれる、夜のシーンにおける「青」の静かさ、冷やかさ。
見事なコントラストを放っていて、澄み渡った蒼い夜空に浮かぶ冷たい月影が、日中の赤い躍動感や生命力を引き立てる。
後から振り返るほどに、“映像の力”というものが心の中に込み上げてくる。
タイトルにもなっている色である「赤(紅)」。
物語においてそれは、不安の色、情熱の色、生きる喜びの色、血の色、前進する生命力の色。
ただ前へ進む為に、心に燃えたぎらせる炎の色。
あらゆる心象風景を、さまざまな赤い色が描き出す。
そして、力強く大地に佇む親子を包む、真っ赤な太陽の光。
泥まみれの顔の中で鋭く光る眼を更に際立たせ、多くの血の上に立ち、それを乗り越えて生きていこうとするたくましい生命力が、圧倒的な迫力を伴って胸に迫ってくる。
映画の映像が持つ力というものを、再認識させられた。
映画を観終わって、真紅の中国国旗は、大地を踏みしめて前へ進む中国人民そのものを表しているのかと、今さらながら思いを巡らせた。
日本人には無い逞しさを、かの国の人々は持っている。
しかし日本には、かの国が及ばない繊細さがある。
お互いの持つ長所を互いに尊重し、「対立する国」としての各論的な視点ではなく、「共存するアジア人」として大局に立ち、それぞれの長所を活用し合えれば、また一歩、人類は進歩できるだろうに…
帰りがけ、劇場に戻る途中だった支配人の山崎さんが、自分に気づいて声をかけてくださった。
(山崎さんには、お忙しかったのに、わざわざありがとうございました!)
「今、上映する意味のある作品だと思うんです。」
その言葉の深さが胸に染みた。
「紅いコーリャン」
1987年/中国 監督:チャン・イーモウ
出演:コン・リー、チアン・ウェン、トン・ルーチェン、リウ・チー、チェン・ミン、チー・チェンホア