面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

「アラトリステ」

2009年01月06日 | 映画
1622年、スペイン国王フェリペ4世に仕える傭兵、アラトリステ(ヴィゴ・モーテンセン)は、フランドルの戦場で勇猛果敢に戦い、マドリードに帰還した。
ある日彼に、イギリスからやって来る異端者を殺せ、という依頼が来た。
それは、プロテスタントを忌み嫌う異端審問所長のエミリオ神父(ブランカ・ポルティージョ)と、国王秘書官アルケサス(ヘスス・カステヨン)による、イギリス皇太子チャールズを抹殺しようとする謀略だった。
独特の“嗅覚”で陰謀を嗅ぎ取り、暗殺を思いとどまったアラトリステは、その後、何者かに追われるように謀略に襲われ、ささやかな幸せまでも邪魔されるのだが…

アルトゥーロ・ペレス=レベルテ原作の同名小説の映画化作品。
歴史上の出来事の中に架空の人物であるディエゴ・アラトリステを登場させた歴史スペクタクル。
「ロード・オブ・ザ・リング」の後、ヴィム・ベンダース監督作品で、“破壊的”なキャラクターで凄みをみせるヴィゴ・モーテンセンが、スペインの国民的ヒーローであるアラトリステを熱演し、見事な英雄に仕立て上げてみせた、硬派な歴史劇。

ヴィゴ・モーテンセン、脂ノってるねぇ。


アラトリステ
2006年/スペイン  監督:アグスティン・ディアス・ヤネス
原作:アルトゥーロ・ペレス=レベルテ
出演:ヴィゴ・モーテンセン、エドゥアルド・ノリエガ、ウナクス・ウガルデ、ハビエル・カマラ

偽メール事件その後…

2009年01月05日 | ニュースから
永田・元民主党議員が自殺 偽メール問題で06年辞職(共同通信) - goo ニュース


“偽メール事件”で失脚していった永田氏が、自ら命を絶ったとか。
Wikiにも略歴など情報が掲載されているが、“偽メール事件”のときに初めて知った議員だった。
事件以前から暴言連発でかなり問題のある議員生活だったようだが、辞職後は議員時代の傍若無人な言動がアダとなったかのように、窮地に追い込まれていったのではないだろうか。
資産家出身で東大卒のボンボン議員が、社会の荒波に飲み込まれて消えていった、と言ったら言い過ぎか。
最後は精神的にかなりまいっていた様子がみてとれて哀れである…
冥福を祈るばかり。

合掌


派遣村

2009年01月04日 | ニュースから
厚労省講堂を宿泊用に開放=派遣村に300人超-元小学校も・東京(時事通信) - goo ニュース


「派遣村」というネーミングには、何やら心地悪い響きがするのだが、それはともかくとしてこの緊急避難措置としての簡易宿泊施設に人々が押し寄せているのは、異常な光景と言うべきだ。
主催者が用意したテントでは足りず、近隣にある厚生労働省の講堂などを解放するというのは良いことだが、この“村”に来れていない人々はどのくらいいて、皆、どうしているのだろう…?
東京だけでなく、大阪や名古屋、福岡など、他の大都市圏にも同様の住むのに不自由している人々がたくさんいるものと思われるが、皆どうしているのだろうか…

このような人々が0になることは不可能だとは思うが、今年ほどの大人数は異常事態であると、国としてどれほどの認識があるのだろう。
民間のボランティア等に任せて放ったらかしにして、我関せずとボーッとしているようにしか見えない厚生労働省は、何を考えているのだろうか…いや、何も考えていないのだろう。
彼ら官僚には、全く関係の無いことであるから。


大晦日の過ごし方

2009年01月03日 | ニュースから
NHK「紅白」視聴率は42.1%=3年ぶり40%台に(時事通信) - goo ニュース


旅行にも行かず、またどこかへ出かけることもなく、大晦日の夜に家にいる人が多かったということか。
また、実家で2世代、3世代で過ごしていた家族が多かったということもあるのではないだろうか。
家で何も考えず、BGM感覚でテレビをつけておくには、紅白は最適な番組だ。
そして老若男女が共通の話題として見ることができるのも、紅白の特徴である。

久しぶりの紅白視聴率好調は、“ミゾーユー”の不況の産物ではないだろうか。


六代目桂文枝

2009年01月03日 | 落語
桂三枝さん「文枝」襲名 きん枝さんは「小文枝」に(産経新聞) - goo ニュース


やはりというか、桂三枝が師匠の名跡を継ぐという。
文枝一門の総領弟子であり、上方落語協会会長であり、「ゴルフ夜明け前」他で文化庁芸術祭大賞も受賞しており、襲名については条件的に何ら問題はない。
何年か前から、師匠である五代目文枝の小文枝時代の出囃子を使っていたが、初めて聞いたときはいよいよ布石を打っているものと解釈していたので、いよいよか、というところ。

しかし、おまけみたいな話になるが、きん枝が小文枝を継ぐというのも驚いた!
今さら何で?という感じがしてならない。
きん枝は三枝の腰巾着みたいなもんであり(やや私的偏見ではあるが)、三枝としては、そんなに文珍を師匠から切り離したかったのか!というのは、あまりにもうがった見方か!?
文珍としてはどう思っているのだろう。
まあ条件面から客観的に見て、仕方ないところではあるので、諦めていたのかもしれないとは思うが、文枝一門の他の名跡を継ぐのだろうか。
元々は文枝一門の名前である枝雀を継ぐとかどう!?
(ありえないが…)

ところで文枝一門では、ここ数年の間に何人もの弟子が一門の名跡を次々に継いでいた。
先代が亡くなる前に話はしていたものと思われるが、これも三枝が文枝を継ぐに当たっての布石のひとつだったのかもしれない。
米朝一門でも小米朝が米団治を継ぐという慶事があったところで、毎年のように名跡が復活するのは、上方落語界にとっては喜ばしいことである。
個人的にも、昔からの名跡が復活するのを見るのは楽しい。

さあ後は、笑福亭の大名跡である松鶴の名を、果たして誰が継ぐのだろう!?


大ヴァカ者

2009年01月02日 | ニュースから
とんでもない!のぞみドア連続こじ開け・急停車…広島駅(読売新聞) - goo ニュース


タイトルを少しソフトな感じにしました(そのつもり)

増え続ける自分の都合だけを最優先する大馬鹿者。
ドアをこじ開けたら新幹線が停止し、多くの乗客だけでなく、運行ダイヤを乱して何千何万という人々に迷惑をかけることに思いが及ばないというクソタワケが、また大晦日の慌しいときに現れた。

しかし、立て続けに二人出たというところに、何も関連性は無いのだろうか?
一人目は、搬送される途中の犯人。
二人目は、うっかり眠りこけていて犯人を逃がしてしまった若手刑事。
エエように解釈し過ぎ!?
(良くもないが…)


チェック機能

2009年01月02日 | よもやま
年賀状もう届いた…名古屋・岐阜で誤って配達(読売新聞) - goo ニュース


まず最初に、クライアントから持ち込まれた岐阜北支店で、仕分けの際に「年賀」と認識されずに配送拠点に送られたところで、チェック機能が働かなかった。
次に、配送拠点を総括する各拠点(支店)で「年賀」であるかどうかのチェック機能が働かなかった。
そしていよいよ配送という段になり、配達するための顧客毎の仕分けの際に「年賀」であるかどうかのチェックが働かなかった。
最低3つあるチェック機能がいずれも働かなかったというのも俄かには信じがたいことではあるが、ミスが発生するときというのは、えてしてそんなもんだろう。

しかし今回のようなミスは、郵便局時代にもあったのだろうか?
民営化による現場レベルでの人材不足によるものなのか、はたまた国家事業の頃には表沙汰にならなかったことが表出するようになったのか…?


テレビ番組

2009年01月01日 | ニュースから
「地上波民放」をトヨタが恫喝(ファクタ) - goo ニュース


以前トヨタの奥田相談役が、民放放送に対して恫喝したことに対して憤慨したが、改めて今回のニュースでは納得・同感。
ここ最近の、民放各社の“お手軽番組”は目を覆うばかりの惨憺たるありあさま。
この元旦もしかりで、見るもの・見たいものが皆目見当たらない。
これでは、スポンサーが降りるのも無理からぬところ。

聞けばここ最近の番組制作現場は、テレビ局スタッフが練りに練って考えに考え抜いて企画し、それを制作会社と共に番組へと組み立てていくというような、昔ながらの番組作りをやっていることなどほとんどないとか。
一から十まで番組制作会社に“丸投げ”し、出来上がってきたものをほぼノーチェックで電波に“垂れ流し”て一丁上がり♪という安易な姿勢が蔓延っている様子。
そしてそんなことを何年も続けてきた結果、各局の番組制作能力は低下し、コンテンツの確保に四苦八苦とかなんとか…

「あるある大辞典」のスキャンダル以降、さすがにそのテの下請け制作会社丸投げは減ったかと思っていたが、最近はただただお笑い芸人を並べ立てて一発芸を垂れ流し、面白くもなんともない芸を大爆笑ネタように見せて、視聴者に笑いを“押し付け”てくるような番組や、芸能人の「バカさ加減」をこれでもかと見せつけて、視聴者の日々の生活における不満に対する溜飲を下げさせようという安易な番組がはびこっている。
その結果、結局のところ各放送局における番組制作能力の向上は図られないまま、ついには自壊の道に踏み込んでしまったということか。

民放各社とも、自社内(自局内)の人材育成を怠ってきたツケが回ってきたということではないのだろうか。
特にコンテンツ制作における“お手盛り”を続けてきた証しかもしれない。
いよいよのっぴきならない状況にギョーカイが追い込まれてきたところに、この“ミゾユー”の不況が拍車をかけることになるのではないだろうか。


謹賀新年

2009年01月01日 | よもやま
明けました。

どんなに世の中がエライことになっていても、地球が太陽の周りを回る限り、年は必ず改まる。
ただただ「明けましておめでとう」とだけ言っていられない新年があろうとは、少し前には思いもよらなかったこと。
年が明けても、決してめでたい気分にはなく、ただ日の出を迎えただけという人々が、世界はともかく日本においてこれだけの人数にのぼることになろうとは…

しかしそれでも、誰の上にも日はまた昇り、明けない夜は来ない。
そのことだけは確かである世の中でありつづけますよう…