マメちゃんが1歳になりました。
新しい読者のために、この1年をざっとふりかえってみたいと思います。
<出産数日後>
「左耳小耳症である」と医師から告げられる。
10歳ごろに形成手術で耳のかたちを整えられるとのこと。
聴力についてはまだよくわからないので、検査していくとのこと。
<生後1ヶ月半>
くわしい聴力検査(ABR検査)で、両耳難聴を宣告される。
音に対する反応のほとんどない平坦なグラフを見せられてガックリ。
重度難聴または完全聾を覚悟する。
<生後2ヶ月半>
二度目の精密検査。
完全聾ではなく音への反応はあること、補聴器で聴力改善が望めるとのこと。
かなり気分が上向く。
ここで安心してしまい、つぎのステップが遅れてしまったのは反省。
<生後5ヶ月>
紹介状を持って娘夫婦居住地の県立こども病院に転院。
ここでの検査で(ABRとCOR?)、難聴の度合いは重度でなく中等度であることがわかる。(60dbくらい。)
<生後6ヶ月半>
耳かけ式のレンタル補聴器を大きい右耳につけ始める。(と言っても、始めは一日に15分程度がやっと。)
このころ小耳症児の親のライングループ「こみこみライン」に祖母の立場で参加。
補聴器で聴力が大改善している子どもたちの様子を知って、勇気百倍になる。
<生後7ヶ月>
こども病院に紹介され、聾学校の乳児教室に通い始める。
月に2~3回、数組の母子グループで遊んだり、単独母子で遊んだり、個人面談を受けたり。
<生後7ヶ月半~8ヶ月>
「こみこみライン」に集う子どもたちの多くは伝音性難聴で、マメちゃんは感音性難聴であることがわかる。
(前者は単に音が小さく聞こえるだけ。後者はさらにその上、音がひずんで聞こえる。)
激しく落ちこむが、「デフサポ」の牧野由香子さんに会って気持ちを立て直す。
(120dbという最重度感音性難聴なのに、普通校に通って一流企業に就職を果たし、ふつうに口話する若い女性。)
<生後8ヶ月~9ヶ月>
牧野さんに「補聴器の常時装用を急いだ方がいい」と言われて焦るわたし。
のんきに構えている(ように見える)娘とのあいだで衝突をくりかえす。
だんだん、娘が「さぼっている」わけでないことに気づき、気長に対応しようと緊張をゆるめる。
<生後10ヶ月~11ヶ月>
自分用の補聴器を購入し、それに合わせてイヤーモールドも作り替える。
それをきっかけに、長時間補聴器をつけていられるようになるマメちゃん。(1日数時間。)
でも、1歳の今にいたるも、まだまだ常時装用への道は遠い。