仕方がないので、修理しました。
仕方がないので、修理しました。
2015年10月6日05時23分
今年のノーベル医学生理学賞に輝いた大村智さんは、山梨県韮崎市神山町の農家に生まれた。5人きょうだいの長男。子どものころは、家畜の世話などの手伝いが忙しかったという。弟の泰三さん(75)は、智さんが勉強している姿は見たことがないという。「きょうだいで遊んでばかり。高校生のころも、机はいつもほこりをかぶっていた」
ただ、そのころから「理論家」だったという。「たっころがし」という農機具で田んぼの雑草を取る際は、ゆっくり歩いて使うのが普通だった。走りながら使う大村さんを見て、近所の大人が「それでは雑草が取れない」と言うと「原理的にはこれで取れるはず」と説明した。
韮崎高校ではスキー部と卓球部の主将。運動に明け暮れた。父親から「勉強したいなら大学へ行っていいぞ」と言われ猛勉強し、山梨大に入学。卒業後は地元での教職を目指したが、その年は募集がなく、東京都の墨田工業高校定時制の教師になった。それが、研究者への道につながった。
「近くの工場から仕事を終えて駆け込んできて勉強する生徒がほとんど。期末試験に飛び込んできた一人は、まだ手のまわりに油がいっぱい付いていた。そういうふうに勉強しているのを見て、私ももっと勉強しなきゃいかんなと思った」と会見で振り返った。
生徒の学ぶ姿に胸を打たれ、東京教育大(当時)の聴講生に。その後、東京理科大の大学院で化学を学び直し、山梨大助手を経て北里大に転じた。
36歳で米国に留学した際は、「戻ってきても研究費はない」と言われた。「米国で集めるしかない」と製薬会社を回って研究費を集め、生まれたのが抗寄生虫薬イベルメクチン。家畜用の薬として広く普及した。この開発で得た特許料など200億円以上は北里研究所に入れた。
大村さんにとって、育った環境は大きいという。忙しい母親に代わり、育ててくれた祖母からは「人のためになることをしろ」と教えられ、農作業と村の世話役にいそしむ父親からは勤勉さを、教師の母親がカイコを飼いながらつけていたノートからは、科学する心を学んだという。
女子美術大の理事長も務め、美術品の収集家としても知られる。約5億円をかけて集めた絵画などを収蔵する「韮崎大村美術館」を韮崎市に設立。市に寄贈し、公共施設にも作品を貸し出す。「気取らず、芸術鑑賞してほしい」と、美術館の横には温泉とそば店を開いた。
仲間と山梨科学アカデミーを立ち上げ、小中高校生に第一線の研究者が講義する活動を続けるなど、次世代の育成にも力を入れる。