【9月24日は何の日】
1877年 西南戦争で敗れ、西郷隆盛が自刃する
【前の答】十五夜
Q1,「ちゅうしゅうのめいげつ」を漢字で書くと?
a,中秋の名月 b,中秋の明月 c,仲秋の名月 d,仲秋の明月
→a,c。
「中秋の名月」:秋のちょうど真ん中の日を中秋といい、8月15日が中秋にあたります。
そのため、中秋の名月=8月15日の名月という意味になり、
十五夜のときは中秋の名月と書く場合が多いです。
「仲秋の名月」:旧暦において秋とは7月・8月・9月をさし、
さらに7月を初秋、8月を仲秋、9月を晩秋といいます。
つまり仲秋とは8月の別称で、仲秋の名月=8月の名月という意味になります。
Q2,「十五夜」はいつのことでしょう?
a,8月15日 b,9月15日 c,毎年違う
→c,旧暦の8月15日なので
太陽暦では9月中旬~10月上旬の間になり、毎年違います。
Q3,「十五夜」は満月ですか?
a,当然満月です b,いいえ、満月ではありません c,毎年違います
→c,月と地球の公転軌道の関係で新月から満月までの日数が
14日間から16日間と日数に差があるため、
十五夜が満月にあたる年のほうが稀なのです。
しかし、今年から3年間は満月ですが2024年からはズレ、
次に同じになるのは2030年です。
Q4,満月の別名はどれでしょう?
a,望月 b,観月 c,名月 d,盈月
→a,藤原道長の「この世をばわが世とぞ思う望月の 欠けたることもなしと思へば」が有名でしょうか。
Q5,「名月や池をめぐりて夜もすがら」は誰の句でしょう?
a,松尾芭蕉 b,与謝蕪村 c,小林一茶 d,高浜虚子
→a,この句の解釈は3つあります。
①中秋の名月の夜、池の水面に映る月に感動し、池の周りをそぞろ歩いて趣を楽しんでいたところ、
いつのまにか夜が明けてしまった。
②明るく照らす中秋の名月を眺めながら、池の周りをそぞろ歩いて趣を楽しんでいたところ、
いつのまにか夜が明けてしまった。
③佇む芭蕉の頭上を、中秋の名月が池の周りをめぐっていき、
その美しさに感動しているといつの間にか夜が明けてしまっていた。
通説は①です。
しかし①は水面に映る月は、反対側では見えないのでは?
②どれくらい歩いたんだ?・・・などと考えると、
私は③の解釈が好きですが、どれだと思いますか?
Q6,十五夜に月の都へ帰ってしまうお姫様の話は?
a,竹取物語 b,枕草子 c,源氏物語 d,伊勢物語
→a,
Q7, 英語で満月は何?
a,new moon b,crescent moon c,half moon d,full moon
→d,new moonは新月、crescent moonは三日月、half moonは半月のこと。
【脳トレの答】うこん
【今日の話】
平安時代、ボクは貴族や僧侶に珍重される贅沢品であり、
庶民なんてとんでもない貴重な食品でした。
ですから、ボクは貴族たちの月給にも使われていたんです。
しかも現在のように料理に使うのではなく、
食べ物にかけたり、つけたりしていました。
つまり、おかずとして利用されていただけでなく、薬としても利用していました。
今では日本人の食生活には欠かせない調味料ですが、
これは鎌倉時代に「一汁一菜」という武士の食事習慣が確立し、
ボク汁という形の食べ方が流行してからのことなのです。
きっかけは「すりボク」。
宋から帰国した禅僧の影響ですり鉢が使われるようになり、
すり鉢を使って粒ボクをすりつぶした「すりボク」がつくられるようになりました。
「すりボク」は水に溶けやすいので汁ものに使われるようになり、
ボク汁が調理されるようになったんです。
こうして日本人の食事スタイルが確立したのです。
室町時代には裕福な庶民の間で
自家醸造も始まるほど大豆の生産も増えました。
そして、ボク汁が広まっただけでなく、
今つくられているボク料理の大部分がこの時代につくられたのです。
下剋上の戦国時代。
合戦の際、米とボクを兵糧として持って行きました。
武田信玄は戦場へ行くまでの間にボクを完成させる「陣立ボク」を発明。
その仕組みはこう。
出発前に煮大豆をすり潰して塩と麹を加えてから丸め、袋に入れて腰につるして出発。
歩いているうちにすれたり温まったりして発酵が進み、
戦場に着く頃には味噌が完成するというもの。
豊臣秀吉の家臣増田長盛は、
ごぼう、にんじん、鰹節を入れて煮詰めたボク汁を乾燥させた
「インスタントボク汁の元祖」ともいえるものを発明しました。
伊達政宗は「ボク蔵」と呼ばれる日本最初のボク工場兼倉庫をつくったほどでした。
仙台ボクは、文禄・慶長の役で朝鮮に行った時、
他の大名のボクが腐ってしまったのに腐らなかったことから一躍有名になったとか。
江戸時代に入ると、ボクは今と変わらず、なくてはならない食品となっていき、
広く生産されるようになりました。
江戸の人口が50万人を超えると江戸の生産だけでは間に合わず、
三河や仙台からも運ばれるようになったのです。
また、レシピ本も刊行され、料理が一気に広がりました。
元禄8(1695)年に刊行された『本朝食鑑』によると
「ボクはわが国では昔から上下四民とも朝夕に用いた」もので、
「1日もなくてはならないもの」であり、
「大豆の甘、温は気をおだやかにし、腹中をくつろげて血を生かし、百薬の毒を消す。
麹(こうじ)の甘、温は胃の中に入って、食及びとどこおりをなくし、消化をよくし閉塞を防ぐ。
元気をつけて、血のめぐりをよくする」効果があるとしています。
Q1,「自分や身内のことを一番良いと自慢すること」を何と言うでしょうか?
Q2,「失敗する、面目を失うこと」を何と言うでしょうか?
Q3,「聞くにたえないこと」を何と言うでしょうか?
Q4,「お世辞などを言ったり、媚びたりと、相手に気に入られるような振る舞いをすること」を何と言うでしょうか?
Q5,「大雑把で細かい点にこだわらないこと。道具や方法は立派だが不適切で役に立たないこと」を何と言うでしょう。
Q6,「つまらない自慢話を盛んにすること」を何と言うでしょうか?
Q7,「通ぶった雰囲気をいやらしく醸し出している」ことを何と言うでしょうか?
Q8,「良いものと悪いもの、価値のあるものと価値の無いものを一緒だと扱うこと」を何と言うでしょうか?
【今日のひと言】今できることを精一杯やる!
【今日の脳トレ】
1877年 西南戦争で敗れ、西郷隆盛が自刃する
【前の答】十五夜
Q1,「ちゅうしゅうのめいげつ」を漢字で書くと?
a,中秋の名月 b,中秋の明月 c,仲秋の名月 d,仲秋の明月
→a,c。
「中秋の名月」:秋のちょうど真ん中の日を中秋といい、8月15日が中秋にあたります。
そのため、中秋の名月=8月15日の名月という意味になり、
十五夜のときは中秋の名月と書く場合が多いです。
「仲秋の名月」:旧暦において秋とは7月・8月・9月をさし、
さらに7月を初秋、8月を仲秋、9月を晩秋といいます。
つまり仲秋とは8月の別称で、仲秋の名月=8月の名月という意味になります。
Q2,「十五夜」はいつのことでしょう?
a,8月15日 b,9月15日 c,毎年違う
→c,旧暦の8月15日なので
太陽暦では9月中旬~10月上旬の間になり、毎年違います。
Q3,「十五夜」は満月ですか?
a,当然満月です b,いいえ、満月ではありません c,毎年違います
→c,月と地球の公転軌道の関係で新月から満月までの日数が
14日間から16日間と日数に差があるため、
十五夜が満月にあたる年のほうが稀なのです。
しかし、今年から3年間は満月ですが2024年からはズレ、
次に同じになるのは2030年です。
Q4,満月の別名はどれでしょう?
a,望月 b,観月 c,名月 d,盈月
→a,藤原道長の「この世をばわが世とぞ思う望月の 欠けたることもなしと思へば」が有名でしょうか。
Q5,「名月や池をめぐりて夜もすがら」は誰の句でしょう?
a,松尾芭蕉 b,与謝蕪村 c,小林一茶 d,高浜虚子
→a,この句の解釈は3つあります。
①中秋の名月の夜、池の水面に映る月に感動し、池の周りをそぞろ歩いて趣を楽しんでいたところ、
いつのまにか夜が明けてしまった。
②明るく照らす中秋の名月を眺めながら、池の周りをそぞろ歩いて趣を楽しんでいたところ、
いつのまにか夜が明けてしまった。
③佇む芭蕉の頭上を、中秋の名月が池の周りをめぐっていき、
その美しさに感動しているといつの間にか夜が明けてしまっていた。
通説は①です。
しかし①は水面に映る月は、反対側では見えないのでは?
②どれくらい歩いたんだ?・・・などと考えると、
私は③の解釈が好きですが、どれだと思いますか?
Q6,十五夜に月の都へ帰ってしまうお姫様の話は?
a,竹取物語 b,枕草子 c,源氏物語 d,伊勢物語
→a,
Q7, 英語で満月は何?
a,new moon b,crescent moon c,half moon d,full moon
→d,new moonは新月、crescent moonは三日月、half moonは半月のこと。
【脳トレの答】うこん
【今日の話】
平安時代、ボクは貴族や僧侶に珍重される贅沢品であり、
庶民なんてとんでもない貴重な食品でした。
ですから、ボクは貴族たちの月給にも使われていたんです。
しかも現在のように料理に使うのではなく、
食べ物にかけたり、つけたりしていました。
つまり、おかずとして利用されていただけでなく、薬としても利用していました。
今では日本人の食生活には欠かせない調味料ですが、
これは鎌倉時代に「一汁一菜」という武士の食事習慣が確立し、
ボク汁という形の食べ方が流行してからのことなのです。
きっかけは「すりボク」。
宋から帰国した禅僧の影響ですり鉢が使われるようになり、
すり鉢を使って粒ボクをすりつぶした「すりボク」がつくられるようになりました。
「すりボク」は水に溶けやすいので汁ものに使われるようになり、
ボク汁が調理されるようになったんです。
こうして日本人の食事スタイルが確立したのです。
室町時代には裕福な庶民の間で
自家醸造も始まるほど大豆の生産も増えました。
そして、ボク汁が広まっただけでなく、
今つくられているボク料理の大部分がこの時代につくられたのです。
下剋上の戦国時代。
合戦の際、米とボクを兵糧として持って行きました。
武田信玄は戦場へ行くまでの間にボクを完成させる「陣立ボク」を発明。
その仕組みはこう。
出発前に煮大豆をすり潰して塩と麹を加えてから丸め、袋に入れて腰につるして出発。
歩いているうちにすれたり温まったりして発酵が進み、
戦場に着く頃には味噌が完成するというもの。
豊臣秀吉の家臣増田長盛は、
ごぼう、にんじん、鰹節を入れて煮詰めたボク汁を乾燥させた
「インスタントボク汁の元祖」ともいえるものを発明しました。
伊達政宗は「ボク蔵」と呼ばれる日本最初のボク工場兼倉庫をつくったほどでした。
仙台ボクは、文禄・慶長の役で朝鮮に行った時、
他の大名のボクが腐ってしまったのに腐らなかったことから一躍有名になったとか。
江戸時代に入ると、ボクは今と変わらず、なくてはならない食品となっていき、
広く生産されるようになりました。
江戸の人口が50万人を超えると江戸の生産だけでは間に合わず、
三河や仙台からも運ばれるようになったのです。
また、レシピ本も刊行され、料理が一気に広がりました。
元禄8(1695)年に刊行された『本朝食鑑』によると
「ボクはわが国では昔から上下四民とも朝夕に用いた」もので、
「1日もなくてはならないもの」であり、
「大豆の甘、温は気をおだやかにし、腹中をくつろげて血を生かし、百薬の毒を消す。
麹(こうじ)の甘、温は胃の中に入って、食及びとどこおりをなくし、消化をよくし閉塞を防ぐ。
元気をつけて、血のめぐりをよくする」効果があるとしています。
Q1,「自分や身内のことを一番良いと自慢すること」を何と言うでしょうか?
Q2,「失敗する、面目を失うこと」を何と言うでしょうか?
Q3,「聞くにたえないこと」を何と言うでしょうか?
Q4,「お世辞などを言ったり、媚びたりと、相手に気に入られるような振る舞いをすること」を何と言うでしょうか?
Q5,「大雑把で細かい点にこだわらないこと。道具や方法は立派だが不適切で役に立たないこと」を何と言うでしょう。
Q6,「つまらない自慢話を盛んにすること」を何と言うでしょうか?
Q7,「通ぶった雰囲気をいやらしく醸し出している」ことを何と言うでしょうか?
Q8,「良いものと悪いもの、価値のあるものと価値の無いものを一緒だと扱うこと」を何と言うでしょうか?
【今日のひと言】今できることを精一杯やる!
【今日の脳トレ】