いじめで自殺事件

2006-10-08 15:34:37 | 時事報道放談
先週の報道で、自殺した小学生の女の子・・・
遺書の公開で、無視されていたこと、疎外感からの自殺・・・
教育委員会や学校側の対応をめぐっての報道・・・

多分探せば、誰かがブログなんかで書いているんでしょうが・・・そういうものを一切見ないで書いてみます。

「いじめがあったことを認める」かどうかに焦点を当ててどうなるのでしょうか?
誰かの損害賠償・・・ですか?
教育委員会の人や校長先生の会見のお話を聞く限りでは、ことの全体は見えません。マスコミの人は「体制批判」「権力への対抗意識」みたいな質問ばかりなので、客観事実が見えにくくなります。

印象的だったのは、校長先生の会見で、「イジメが全ての要因ではない・・・」発言に記者のツッコミがあり、その後、言いよどんでしまった校長先生の表情。
ひょっとして、真実の把握に努める姿勢があるのは彼かもしれない。

全ての要因が「無視されたこと」や「言葉での暴力」からの疎外感であるならば、
そうされた経験がある多くの人(間違いなくほとんどの人)は、自殺しているのかもしれません。・・・・間違いなく、そうではないはずです。

学校、いや共同生活を営むことになる全ての社会では、多くの人と関わります。そこでは心の交流があります。気が合う人とそうでない人に出会うものです。
気が合わない人は、様々な理由があって・・・距離をおきます。時には相手に冷たく接することもあります。あるがままの認識ということでは、それが集団の中における人間関係と思います。

ほとんどの人は、そういうことに、そういう場面に出くわします。それが人間関係におけるストレス。
焦点すべきは、そういう場面で、多くの人はその問題をどういう風に解決しているのか、ということなのでしょう。
間違っても、イジメの存在を認めた以上、犯人を特定して、それを矯正し、損害賠償の対象としなければならない・・・という懸念を皆が持つような集団社会であることも異常。
嫌な奴はイヤ!いつでもどこでもいるじゃないですか。そのイヤな奴は、どうやって、いやがられないように努力するのでしょうか。これは全ての人です。
全ての人は〇X△があるといいましたように、人に嫌がられる部分を持っているのです。直す努力と、理不尽なイジメに敢然と対抗する自我の確立が、イジメることの罪悪視より効果的と考えます。

それを学校教育で、示してほしい。
全ての人はイジメたり、イジメられたりします。全ての人は高慢を心に持つからです。問題は、それに如何に対処すべきなのかということです。

今回(毎回かな)、マスコミは教育委員会の人たちを言葉でイジメました(笑)。
教育委員会や学校は、「イジメをなくすためには、生命の尊厳や人権教育の徹底」という答えを出すでしょうが、100回言っても、書いて配布しても、何をどうすれば良いのか意味不明です。

人に好かれる、信頼される、尊敬される・・・(=相手を知るということ)
それは、相手の話を良く聞いてあげることから始まるように思います。いや、話しかけなければ始まりませんね。
話しかけることに大変な勇気が必要な人もいます。口下手の人もいます。その人には、こちらから話を聞きだすように語りかけることも必要です。

話しかけてください。
イヤだと思っていた人の、意外性を見つけたときの感動は誰にもあるのです。
誰もが〇X△をもつ存在だと謙虚に考えて、自分の嫌がられている部分をさらして話題にしてみてください。

あんなにしっかりした文章で自己主張できる人が、自殺のほかに解決策があったかも。何故親や兄弟に相談して解決できていないのだろうか?先生や友人(一人もいない?)に相談して解決できていないのだろうか?
直接的に日常的に接する人しか救えない問題ですよね。(個別に接することがない市長や教育長に何の関係が・・)

直接接する:会話:コミュニケーション:そのために、どういう企画教育やカリキュラムがあるのでしょうか、ということを考えた方が、人に優しい・・・

誰かの責任にするための批判や、思考、姿勢を、当たり前のように新聞・テレビで見せていることの弊害は、報道の利益より・・・かなり・・大きい・・かも・・