「良」と「悪」
「悪っ」て言っちゃなんだけど、
その人が「良い」「悪い」の基準は何でしょう
何かの基準線があって、それより上だったら「良い」下だったら「悪い」とかね
二次元的なラインじゃなくて
もっと複雑かもしれません
個人の欲望であり、その人にとっては「良い」でも
周囲の人や社会全体では「悪い」
あるいは
合成の誤謬という言葉にあるような、
一つ一つは正しいが、みんながそれを行うと不適切となる。
言葉の遊び的には
絶対的な「良い」も完全な「悪い」も定義が難しい
だけど、
「正しくないと思うことは直せばよい」
という考えや行為は、エンドレスで未来に続く、疑いようがない「良い」である。
人を見るということは
「良い」人や「悪い」人がいて
「良い」部分と「悪い」部分を見分けることではない。
「良い」人は良い部分が多いから良いのではない
悪い部分を自覚して、これを良くしようと努力しようとする。
その姿勢が「良い」なのである。
その姿勢・・・誤りを認識してこれを正そうと努力する。
その逆・・・誤りの批判を嫌って、嘘や言い訳をする。
この姿勢がある人ない人は、通常、容易に見分けることができます。
嘘や言い訳ばかりで「良い」ふりをしようとする人、
「悪い」を自覚しているから隠そうとする人
たいていの場合、見破れます。
弱い人ほど・・・
馬鹿にされないように、見下されないように、と思うみたいですね
で、嘘や言い訳、隠ぺいをして責任回避しようとする。
「悪い」を上乗せしている、というように考えられないのです。
ミスや過ちは誰にでもある。どんなことにおいてもあり得ることである。
ミスや過ちを犯すな、とは完全に約束されることではない。
ミスや過ちは「あるもの」だから。
大切なのは、
これを発見したら、原因を調査して速やかに改善すること。
これが「良い」であり、これしかない「良い」である。
人の見方も、仕事の評価も、
過ちを直す姿勢なのだと
「悪っ」て言っちゃなんだけど、
その人が「良い」「悪い」の基準は何でしょう
何かの基準線があって、それより上だったら「良い」下だったら「悪い」とかね
二次元的なラインじゃなくて
もっと複雑かもしれません
個人の欲望であり、その人にとっては「良い」でも
周囲の人や社会全体では「悪い」
あるいは
合成の誤謬という言葉にあるような、
一つ一つは正しいが、みんながそれを行うと不適切となる。
言葉の遊び的には
絶対的な「良い」も完全な「悪い」も定義が難しい
だけど、
「正しくないと思うことは直せばよい」
という考えや行為は、エンドレスで未来に続く、疑いようがない「良い」である。
人を見るということは
「良い」人や「悪い」人がいて
「良い」部分と「悪い」部分を見分けることではない。
「良い」人は良い部分が多いから良いのではない
悪い部分を自覚して、これを良くしようと努力しようとする。
その姿勢が「良い」なのである。
その姿勢・・・誤りを認識してこれを正そうと努力する。
その逆・・・誤りの批判を嫌って、嘘や言い訳をする。
この姿勢がある人ない人は、通常、容易に見分けることができます。
嘘や言い訳ばかりで「良い」ふりをしようとする人、
「悪い」を自覚しているから隠そうとする人
たいていの場合、見破れます。
弱い人ほど・・・
馬鹿にされないように、見下されないように、と思うみたいですね
で、嘘や言い訳、隠ぺいをして責任回避しようとする。
「悪い」を上乗せしている、というように考えられないのです。
ミスや過ちは誰にでもある。どんなことにおいてもあり得ることである。
ミスや過ちを犯すな、とは完全に約束されることではない。
ミスや過ちは「あるもの」だから。
大切なのは、
これを発見したら、原因を調査して速やかに改善すること。
これが「良い」であり、これしかない「良い」である。
人の見方も、仕事の評価も、
過ちを直す姿勢なのだと