いきなり大層なタイトルですが、そんなすごい内容ではありません…(汗)
ちなみにここでいうホビットとは、作品としての「ホビット」ではなく、ホビットという種族のことです。
昨日ツイッターでタクト(@bedtown0922)さんが、ホビット終盤のビルボのかけひきについて考察されていて、とても面白かったのですが(まとめがあればリンク貼るのですが。私がまとめるのも何だし…(汗))、それを読んでいてふと思ったことがあったので、書き散らしてみようかなと。
タクトさんは、ビルボがあくまでも武力によらず、口先だけで(意訳?です(汗))戦争を回避しようと渡り合っていたのがすごい、とおっしゃっていて、そのとおりだなあと思いました。そこが「ホビット」の、他のファンタジーや冒険物語と一味違うところだなと思うんですよね。
ビルボの言動はすごく「大人」で「社会的」で、それが変わってるなあと。ドワーフたちの自分勝手な様子も現代人の人間観察から来てるんじゃないか、と思ったりするのですが。このあたりが、初読時に「これホントに子ども向けなのかなあ?」と思った部分です。そしてすごく面白いな、と思ったし、好きな部分でもあるのですが。
「ホビット」と似たような雰囲気を持つ作品として、農夫ジャイルズの冒険があります。(なんか今出版されてないようですね…ちょっとショック。中古はかなりお安くなってはいますが)
これも農夫ジャイルズが、竜を、全く戦わずに口先だけで倒すというか負かしてしまうところが、既存の竜退治の話と大分違っていて面白いんですよね。「ホビット」でもビルボがスマウグと言葉で渡り合う場面がありますが、さすがにビルボは勝ってはいませんが。
ちなみにこの作品、最初に発表された(オックスフォードのウースター学寮で授業?の際に学生たちに朗読したものだそうです)のはホビット出版前ですが、ホビットを書き終えてから書いたもののようです。ホビットを書き上げ、こういうスタイルのお話を作るのが面白くなって作ってみた、という感じでしょうか。私には色々と「ホビット」との共通点も感じられて、面白い作品です。トールキン自身も洗練された中篇になったとして気に入っていたようです。
そんなことを考えていて、ふと思ったのです。武力よりも理論で戦うビルボやジャイルズは、トールキンの分身なのではないかなと。
幼少の頃から神話伝説の類に興味があったトールキンですから、もし自分が神話伝説の中の登場人物だったら、なんて考えてみたこともきっとあるのじゃないかな、と思います。でもきっと、自分は剣を取ってドラゴンを倒す英雄の柄じゃないな、なんてことも思っていたのではないでしょうか。
武力ではなく弁舌でドラゴンと渡り合ったり、戦争回避のためのかけひきを仕掛けたりしたビルボやジャイルズは、もしかしたらトールキン自身の分身として、物語の中で戦っていたのではないかな、とふと思ったのです。
そう言えば、ホビットの存在は、中つ国の中で、他の種族と比べるとちょっと違うというか、浮いてる部分があると思います。
何かで読んだのですが、ホビットの文化は19世紀前半くらいだけれど、他の種族はもっと古い、中世や古代の文化だ、と言っていて、なるほど、と思ったのを覚えています。ドワーフたちやローハンなんかは中世というかバイキングっぽいし、エルフやゴンドールは古代と言ってもいいですよね。
だから、ビルボにしてもフロドたちにしても、ホビット庄を出て旅するうちにタイムスリップしたように現代人が過去の世界に足を踏み入れるような感覚があって、現代人である読者はホビットと同じような感覚を味わいながら、ホビットに感情移入しつつ読み進んで行くのですよね。
ホビットが生まれたのは偶然からで、トールキンが最初から自分の分身を自分で作った神話世界に送り込もうとしたわけではないと思いますが、そのホビットの冒険の世界を、自分が予てから考えていた神話世界に織り込むことで、思いがけず現代人としての自分の分身を送り込むことになったのではないか、と思います。
もっとも、「指輪物語」になると、ホビットたちはもっと大きな世界のうねりに巻き込まれて行き、ビルボやジャイルズのような活躍はしなくなります。ホビットの続編を書くにあたり、自分の作った神話世界により深く入り込むことにしたために、そういうライトで現代的な部分はそぐわなくなったのでしょう。
それでも、「ホビット」や「農夫ジャイルズ-」を書いていた頃には、そういうつもりで、送り込まれた「現代人」を自分の代わりに活躍させて楽しんでいたのではないかな、と想像するのです。
ちなみにここでいうホビットとは、作品としての「ホビット」ではなく、ホビットという種族のことです。
昨日ツイッターでタクト(@bedtown0922)さんが、ホビット終盤のビルボのかけひきについて考察されていて、とても面白かったのですが(まとめがあればリンク貼るのですが。私がまとめるのも何だし…(汗))、それを読んでいてふと思ったことがあったので、書き散らしてみようかなと。
タクトさんは、ビルボがあくまでも武力によらず、口先だけで(意訳?です(汗))戦争を回避しようと渡り合っていたのがすごい、とおっしゃっていて、そのとおりだなあと思いました。そこが「ホビット」の、他のファンタジーや冒険物語と一味違うところだなと思うんですよね。
ビルボの言動はすごく「大人」で「社会的」で、それが変わってるなあと。ドワーフたちの自分勝手な様子も現代人の人間観察から来てるんじゃないか、と思ったりするのですが。このあたりが、初読時に「これホントに子ども向けなのかなあ?」と思った部分です。そしてすごく面白いな、と思ったし、好きな部分でもあるのですが。
「ホビット」と似たような雰囲気を持つ作品として、農夫ジャイルズの冒険があります。(なんか今出版されてないようですね…ちょっとショック。中古はかなりお安くなってはいますが)
これも農夫ジャイルズが、竜を、全く戦わずに口先だけで倒すというか負かしてしまうところが、既存の竜退治の話と大分違っていて面白いんですよね。「ホビット」でもビルボがスマウグと言葉で渡り合う場面がありますが、さすがにビルボは勝ってはいませんが。
ちなみにこの作品、最初に発表された(オックスフォードのウースター学寮で授業?の際に学生たちに朗読したものだそうです)のはホビット出版前ですが、ホビットを書き終えてから書いたもののようです。ホビットを書き上げ、こういうスタイルのお話を作るのが面白くなって作ってみた、という感じでしょうか。私には色々と「ホビット」との共通点も感じられて、面白い作品です。トールキン自身も洗練された中篇になったとして気に入っていたようです。
そんなことを考えていて、ふと思ったのです。武力よりも理論で戦うビルボやジャイルズは、トールキンの分身なのではないかなと。
幼少の頃から神話伝説の類に興味があったトールキンですから、もし自分が神話伝説の中の登場人物だったら、なんて考えてみたこともきっとあるのじゃないかな、と思います。でもきっと、自分は剣を取ってドラゴンを倒す英雄の柄じゃないな、なんてことも思っていたのではないでしょうか。
武力ではなく弁舌でドラゴンと渡り合ったり、戦争回避のためのかけひきを仕掛けたりしたビルボやジャイルズは、もしかしたらトールキン自身の分身として、物語の中で戦っていたのではないかな、とふと思ったのです。
そう言えば、ホビットの存在は、中つ国の中で、他の種族と比べるとちょっと違うというか、浮いてる部分があると思います。
何かで読んだのですが、ホビットの文化は19世紀前半くらいだけれど、他の種族はもっと古い、中世や古代の文化だ、と言っていて、なるほど、と思ったのを覚えています。ドワーフたちやローハンなんかは中世というかバイキングっぽいし、エルフやゴンドールは古代と言ってもいいですよね。
だから、ビルボにしてもフロドたちにしても、ホビット庄を出て旅するうちにタイムスリップしたように現代人が過去の世界に足を踏み入れるような感覚があって、現代人である読者はホビットと同じような感覚を味わいながら、ホビットに感情移入しつつ読み進んで行くのですよね。
ホビットが生まれたのは偶然からで、トールキンが最初から自分の分身を自分で作った神話世界に送り込もうとしたわけではないと思いますが、そのホビットの冒険の世界を、自分が予てから考えていた神話世界に織り込むことで、思いがけず現代人としての自分の分身を送り込むことになったのではないか、と思います。
もっとも、「指輪物語」になると、ホビットたちはもっと大きな世界のうねりに巻き込まれて行き、ビルボやジャイルズのような活躍はしなくなります。ホビットの続編を書くにあたり、自分の作った神話世界により深く入り込むことにしたために、そういうライトで現代的な部分はそぐわなくなったのでしょう。
それでも、「ホビット」や「農夫ジャイルズ-」を書いていた頃には、そういうつもりで、送り込まれた「現代人」を自分の代わりに活躍させて楽しんでいたのではないかな、と想像するのです。