昨日RotKの途中までだったので続きです。
まずはサムがついに帰れないということを受け入れたこのシーン。ちょっと長いですが・・・
こうしていろいろ考えをめぐらしているうちに、新たなくらい考えが徐々にその心に芽生え始めました。軒子なかれの心の中にいつまでも望みがとだえたままでいることなどはついぞないことでしたし、今まではいつだって帰りの旅のこともいくらか念頭にありました。しかし遂にかれは仮借ない現実に目覚めました。(略)任務が遂行されたあと、かれらはそこで終わることになるのです。(略)帰ることはできません。
「それじゃ、出発の時に、おらのしなきゃなんねえと感じた仕事はこれかね?」とサムは考えました。「最後の最後までフロドの旦那を助けて、それから旦那と一緒に死ぬちゅうことかね? ままよ、もしこれがおらの仕事なら、どうしてもこれをしなきゃなんねえ(略)」(略)
しかし、サムの中で望みが消えた、あるいは消えたかに思われたちょうどその時、それは新たな力に転じました。(略)そしてかれは四肢に震えが走るのをおぼえ、まるで自分が絶望にも疲労にもはたまた終わることない不毛の旅路にも克服されない、石か鋼の生きものに変わっていくかのように感じました。
ずっと楽天的に帰りのことを考えていたサムが、ついに帰れないと悟ることに胸が塞がれるように思うのですが、「これがおらの仕事ならしなきゃなんねえ」と言い切るサムの強さにも感動します。
ちょうどさっき、邦訳を読んでいて、サムの「出発のときにしなきゃなんねえと感じた仕事」の部分が出てきて、感慨深かったです。ギルドールたちに会った翌朝のフロドとの会話に出てきたのですね・・・
サムがあの時この言葉を言ったのは単なる偶然だったのか、それも何者かが(キリスト教的には神・・・)サムに予言のように授けたものだったのか・・・
そして、絶望したことで新たな力を得るサムの姿に鳥肌が立つ思いでした、初めて読んだ時には。
それもこれも、素朴で単純だったあのサムが・・・というところに感動するのであって、最初から偉い人だったら「ふーん」で済んでいたかもしれません。
そしてもう少し後、自分との言い合いに決着をつけるサムのこの台詞。
「行き着いてみせるとも、この骨のほかは何もかも置いて行くとしても。」と、サムはいいました。「そしてフロドの旦那は、おらが背負って行く。たとえこの背中が折れ、心臓が破れたとしてもよ。(略)」
これも、素朴なサムが言うからこそ感動する台詞かもしれません。
そして、サムの決意が、あくまでもフロドを助けることにあるのであって、指輪を捨てることではないこともわかりますよね・・・
いや、映画見るまではこんなこと考えもしないで自然に読んでたんですけどねー(汗)
そして、襲い掛かってきたゴクリに哀れみを感じて、殺すことができなかったこのシーン。
(略)しかしかれの心の奥底には何か彼の手をとどめるものがありました。かれは土にまみれて横たわっているこの生きもの、しおたれ、零落した、惨めさそのもののこの生きものに打ってかかることができませんでした。(略)
かつてビルボが感じたのと同じ憐れみを感じたサム。ビルボの、そしてサムの憐れみがなかったら、指輪を捨てることはできなかったのですよね・・・
こんな重要なエピソードが抜け落ちている映画にはやはり疑問を感じずにはいられないのですが・・・
そして、指輪棄却後、岩の上に取り残される二人。
自分たちを包む世界のこの破滅の最中に、一瞬かれが感じたのは、ただ喜びでした。大きな歓喜でした。主人は救われました。もとの自分を取り戻しました。解放されたのです。
これで死ぬ、という時に、フロドが救われたことがただ嬉しかったサム。やはりサムがフロドを救うということだけを考えて行動していたことがわかります。
これからどうなるのか、などということよりも、ただフロドが解放されたことを喜ぶサムの純粋さにも打たれます。
読んでいる方も、フロドが心の平安を取り戻したことにホッとする場面ではありますが。(完全に元に戻ったのではないけれど・・・)
ここも映画はなあ・・・。普通に感動的ではあるんですけど。(フロドがサムを慰めてますよね・・・)
サムは、ただフロドを助けたかった、その思いが結果として指輪を捨てるという重大な使命を果たすことになったんですよね。サムは自分がそんなだいそれたことをするなんて考えてもいなかったのに。
このあたりがサムの、そして「指輪物語」全般に渡る驚きと感動の源だよなあと、懐かしく初読のころを思い出しました。
サムの名台詞、このあともいくつかあるんですが、私的にインパクトが強かったのはこれで終わりです。
やっぱりRotKに集中してるんだなあと・・・私の「指輪」の感動の原点が、モルドールでのサムだったことに思い至ります。
だから映画に文句たらたらなんだよなあ・・・(汗)
まずはサムがついに帰れないということを受け入れたこのシーン。ちょっと長いですが・・・
こうしていろいろ考えをめぐらしているうちに、新たなくらい考えが徐々にその心に芽生え始めました。軒子なかれの心の中にいつまでも望みがとだえたままでいることなどはついぞないことでしたし、今まではいつだって帰りの旅のこともいくらか念頭にありました。しかし遂にかれは仮借ない現実に目覚めました。(略)任務が遂行されたあと、かれらはそこで終わることになるのです。(略)帰ることはできません。
「それじゃ、出発の時に、おらのしなきゃなんねえと感じた仕事はこれかね?」とサムは考えました。「最後の最後までフロドの旦那を助けて、それから旦那と一緒に死ぬちゅうことかね? ままよ、もしこれがおらの仕事なら、どうしてもこれをしなきゃなんねえ(略)」(略)
しかし、サムの中で望みが消えた、あるいは消えたかに思われたちょうどその時、それは新たな力に転じました。(略)そしてかれは四肢に震えが走るのをおぼえ、まるで自分が絶望にも疲労にもはたまた終わることない不毛の旅路にも克服されない、石か鋼の生きものに変わっていくかのように感じました。
ずっと楽天的に帰りのことを考えていたサムが、ついに帰れないと悟ることに胸が塞がれるように思うのですが、「これがおらの仕事ならしなきゃなんねえ」と言い切るサムの強さにも感動します。
ちょうどさっき、邦訳を読んでいて、サムの「出発のときにしなきゃなんねえと感じた仕事」の部分が出てきて、感慨深かったです。ギルドールたちに会った翌朝のフロドとの会話に出てきたのですね・・・
サムがあの時この言葉を言ったのは単なる偶然だったのか、それも何者かが(キリスト教的には神・・・)サムに予言のように授けたものだったのか・・・
そして、絶望したことで新たな力を得るサムの姿に鳥肌が立つ思いでした、初めて読んだ時には。
それもこれも、素朴で単純だったあのサムが・・・というところに感動するのであって、最初から偉い人だったら「ふーん」で済んでいたかもしれません。
そしてもう少し後、自分との言い合いに決着をつけるサムのこの台詞。
「行き着いてみせるとも、この骨のほかは何もかも置いて行くとしても。」と、サムはいいました。「そしてフロドの旦那は、おらが背負って行く。たとえこの背中が折れ、心臓が破れたとしてもよ。(略)」
これも、素朴なサムが言うからこそ感動する台詞かもしれません。
そして、サムの決意が、あくまでもフロドを助けることにあるのであって、指輪を捨てることではないこともわかりますよね・・・
いや、映画見るまではこんなこと考えもしないで自然に読んでたんですけどねー(汗)
そして、襲い掛かってきたゴクリに哀れみを感じて、殺すことができなかったこのシーン。
(略)しかしかれの心の奥底には何か彼の手をとどめるものがありました。かれは土にまみれて横たわっているこの生きもの、しおたれ、零落した、惨めさそのもののこの生きものに打ってかかることができませんでした。(略)
かつてビルボが感じたのと同じ憐れみを感じたサム。ビルボの、そしてサムの憐れみがなかったら、指輪を捨てることはできなかったのですよね・・・
こんな重要なエピソードが抜け落ちている映画にはやはり疑問を感じずにはいられないのですが・・・
そして、指輪棄却後、岩の上に取り残される二人。
自分たちを包む世界のこの破滅の最中に、一瞬かれが感じたのは、ただ喜びでした。大きな歓喜でした。主人は救われました。もとの自分を取り戻しました。解放されたのです。
これで死ぬ、という時に、フロドが救われたことがただ嬉しかったサム。やはりサムがフロドを救うということだけを考えて行動していたことがわかります。
これからどうなるのか、などということよりも、ただフロドが解放されたことを喜ぶサムの純粋さにも打たれます。
読んでいる方も、フロドが心の平安を取り戻したことにホッとする場面ではありますが。(完全に元に戻ったのではないけれど・・・)
ここも映画はなあ・・・。普通に感動的ではあるんですけど。(フロドがサムを慰めてますよね・・・)
サムは、ただフロドを助けたかった、その思いが結果として指輪を捨てるという重大な使命を果たすことになったんですよね。サムは自分がそんなだいそれたことをするなんて考えてもいなかったのに。
このあたりがサムの、そして「指輪物語」全般に渡る驚きと感動の源だよなあと、懐かしく初読のころを思い出しました。
サムの名台詞、このあともいくつかあるんですが、私的にインパクトが強かったのはこれで終わりです。
やっぱりRotKに集中してるんだなあと・・・私の「指輪」の感動の原点が、モルドールでのサムだったことに思い至ります。
だから映画に文句たらたらなんだよなあ・・・(汗)