いや~ようやく読み終わりました(汗)何年も買ったまま放置してたんで・・・
他にも読まないといけない本があったのがそんなに長く放置した最大の理由ですが、それだけでなく、わりと論文ぽいので、気軽に読めなかったというのもあります・・・(汗)そんなに難しいわけではないんですけど。
読んでみて、色々と面白かったです。もっと早く読めばよかったなあ。
ほぼ公式伝記と言われている
J.R.R.トールキン―或る伝記でも、トールキンの絵についてはほとんど触れていなくて、そういう意味ではトールキンの全てを書いてあるわけではないんだなあと改めて思いました。トールキンと馬とのかかわりも書いてないしね・・・
そうそう、今までずっと謎だった、「ホビットの耳はなんでとがっているのか」(エルフも)の謎があっさり解けました・・・(汗)以前どなたかに「どこかでトールキン自身がそう言ってたときいたことがある」と教えていただいたことがあったんですが、この本に書いてありました~。出版社への手紙の中で、ホビットの耳はとがっている、エルフほどではなくわずかに・・・と書いていたんですね~。やっとすっきりしました(笑)
この本の中ではトールキンの絵を年代別、種類別に分けて解説しています。
少し残念なのは、他の本に出ていない絵を掲載することに重きを置いているため、他の本で扱われている絵は載っていないことが多かったことです。
とくに、今ではユーズドで高値でしか手に入らないらしい
Pictures by J. R. R. Tolkienに載っている絵はがかなり載っていなかったので、観たいなあと思ってしまいましたよ・・・
まずは幼少期から書いていた風景画ですが、なかなかの画力にびっくりです。特に水彩画なんか素晴らしい出来でした。
結局人物画が苦手で風景画の方が得意、というのもあるのでしょうが、後に指輪やホビットの挿絵でも、風景がメインで人物は豆粒のよう、という絵を描くようになる素地がこの時すでにできていたのかなあと思います。
アラン・リーやジョン・ハウも似たようなアプローチで挿絵等を描いていましたが、トールキンの作品には合っていたんですね。というか、トールキンのそういう作風を知っていてそういう風にしたのかな。他の画家も風景を中心に描く人が多いですよね。
トールキンの風景描写の巧みさも、風景画を描く才能がある人の目で観たものを文章で描いているなら・・・と納得します。
しかしトールキンはある時期以降風景画を描くのをほとんどやめてしまい、幻想的な、自らishnessという名づけた一群の絵を描くようになったそうです。このあたりの絵は、
サンタ・クロースからの手紙の絵に近い感じになって、トールキンの絵としては親しみ深いかも。
これらの絵がトールキンのイメージの中にあったのだとしたら、かなりヤバイ感じ・・・(失礼(汗))トールキン自身も嫌っていたというように、シュールレアリスムとは違うんですが、何とも形容しがたい不思議さと不気味さがありますね。
ただ、実写的な表現からこういう抽象的な表現になってくるあたり、トールキンの画家としてのレベルが上がって行ったんだろうなあということも感じさせますが。
しかし、こういうイメージからヴァリノールの光景などが構築されていたんだなあと思うと、トールキンの描いた絵というのはかなり重要なファクターですね。
しかも、後のホビットや指輪と違い、物語のために絵を描くのではなく、頭の中のイメージから膨らませて物語が生まれて行ったというのが面白いなあと。
トールキンにとっては、エルフ語に発展した言語の創作や、詩とともに、絵のイメージからもあの神話世界が生まれていたんだということがよくわかります。
そして、ホビットや指輪物語の挿絵等になると、逆に、物語を書く上で、地形や建物の形などをはっきりイメージして、矛盾しないように書くために絵を描いていたことが多かった、というのが面白いと思いました。
もちろん、頭の中にイメージが浮かんで、というのが前提にあるのでしょうが。
ただ、トールキン自身、自分の絵をあまり評価していなかったといいますが、確かにプロの画家に比べると技術的に不足している部分はもちろんありますし、絵によっては、文章から受けるイメージよりも劣るというか(汗)想像力を膨らませるためにあるべき、というトールキンの考えとは逆の方向に行っているかな、という部分もあるかなと思いました。やはりアラン・リーやジョン・ハウ、ポーリン・ベインズの絵は素晴らしいですね。それらとくらべるとどうしても・・・
でも、トールキン自身の絵が残っていることで、トールキンがどういうイメージを持っていたのかがわかるのは興味深いし、後代の人が挿絵等を描く時に、トールキン自身のイメージから遠くないものを描くことができるという意味でも重要だったのですね。PJ映画にも少なからず役立てられたはずですし。
あと、「サンタ・クロースからの手紙」などからも窺えますが、トールキンのデザイン能力の高さにも唸らされましたね。自らホビットや指輪の表紙のデザインにもこだわっていたとは。「誰か他の人がやってくれれば」といいつつも、出版社の案にはダメ出ししたりして(笑)
噂には聞いてましたが、モリアのマザルブルの間で見つかった焼け焦げた本を再現するのにこだわったりとか、ちょっとマニアックなこだわりがあったようで(笑)単なる文章だけ書く作家ではなく、視覚的なイメージも含めてのこだわりがあったのがうかがえて面白いです。
作中には歌もよく出てきますが、本当は音楽にもこだわりがあったんじゃないかなあと思うんですけどね。絵以上に専門性を持っていなかったので残っていないだけで。
The Road Goes Ever onにはドナルド・スワン氏のガラドリエルの曲にダメ出しして、トールキン自ら歌ったメロディを元にした歌が収録されてますしね。
あと、ちょっと気になっていた、やはり絵のイメージから作品を書いていたミヒャエル・エンデとの関係?について、訳者あとがきに書いてあってなるほど、と思いました。エンデはどうしてもシュール・レアリスムの影響があるため、物語に不自然なところがあるという指摘もあるそうで、トールキンとはまた違うようです。
そんな訳で、なかなか面白い内容でした。これを読まずに多少なりともトールキンを語ろうとしていたことが恥ずかしいくらい、必読本でしたね~。
そうそう、文中に引用されている原作からの文を、既訳の岩波版や評論社版とは別に改めて訳していたようなのですが、不適切な訳だとも思わないし、まずい訳だとも思えないんですが、やはりどこか瀬田訳のような魅力を感じないな・・・と思ってしまいました。指輪なんか、瀬田訳のような丁寧語ではなく、である調の方が合っていると思うのにもかかわらず・・・。瀬田貞二さんの文学的センス?のようなものを改めて感じましたね。