えー前回の続きなんですが、これ書くのしんどいんですよね。
止めたいんですが、前回取り上げた、なんとかいうルポライターの酷い出鱈目文そのままにしとくのも腹立つので、今日はちょこっとだけ。
前回、「暴力を絵に描いたような「強制連行」があったかどうかが問題なのではない。」と論理のすり替えが行われたのを指摘しました。
で、その直後とんでもない言いがかりというか、日本への憎悪ともいうべき出鱈目文が続いていたので、これは見過ごすことはできません。以下がそれ。
「他国を侵略して植民地とし、人々の生活と財産を奪い、困窮させた挙げ句の果てに、労働者や「慰安婦」にした・・・・」うんぬんと続いているわけ。
「他国を侵略し植民地とし」ってのも決定的に間違ってますが、それ以後が特にヒドイ。
「人々の生活と財産を奪い、困窮させた挙句・・・」
ちなみに、韓国の小学校の教科書では今でもこのように教え、日本人を嫌うように教育してるんですが、この人はもう、そのまんま。ホントそのまんまのレベルなんですね。
よくもまぁ、この知的レベルでルポライターを名乗れるんですから、気楽な商売です。
日本は、そもそも朝鮮から搾取したのか?
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結論から言えばですよ、もう勉強してる人はこんなの常識でしょうから、小生としては書くのも恥ずかしいのですが・・・・・真実は・・・
世界の中でも最貧国であった「李氏朝鮮」の人々の暮らしは、日本の鎌倉時代の末端の人々の暮らしとほぼ同じレベルであり、ぼろをまとい、糞尿にまみれた、まさにケダモノの生活でした。
なので、併合後の日本は朝鮮から〝奪う〟ものなど、何一つ存在せず、むしろ日本から〝与えた〟ものは今では信じられないほど莫大なものでした。
併合(1910年)後の朝鮮総督府がやったのは、
「学校」「鉄道」「病院」「司法の整備」「港湾」「工場」「治山」「治水」「植林」「農地改良」近代国家として必要なありとあらゆるものを、日本本国の血税で整備していったのです。
「学校」一つとっても、日本語を教えたんじゃないですよ、彼らの母国語「ハングル語」の普及に努めたのです。日本人の税金で。
さて、併合前はどうであったか?・・・・・
はっきり言って書くのも不愉快なんですが、当時(1890年代)4回にわたって朝鮮各地を旅した時のことを英国人イザベラ・L・バードは著書「朝鮮旅行ー英国夫人の見た李朝末期」の中でこう書いています。
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「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。
礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民は主に
迷路のような道の「地べた」で暮らしている。
路地の多くは荷物を積んだ牛同士が擦れ違えず、荷牛と人間ならかろうじて
擦れ違える程度の幅しかない。おまけに、その幅は家々から出た糞、尿の
汚物を受ける穴か溝で狭められている。酷い悪臭のするその穴や
溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たちと
疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、
日向でまばたきしている。
ソウルの景色のひとつは小川というか下水というか水路である。
蓋のない広い水路を黒くよどんだ水がかつては砂利だった川床に
堆積した排泄物や塵の間を悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく。
水ならぬ混合物を手桶にくんだり、小川ならぬ水たまりで洗濯している女達の姿。 」
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ね、吐き気のするようなレベルの酷さでしょ。
ちなみにですが、明治維新前の「江戸」の写真がこれ。
で、話を戻して、なんでこんなヒドイ有様だったのかといえば・・・
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朝鮮の政治的命脈は気息奄奄(きそくえんえん)であつた。
「何時滅亡するか」といふ状態 だつた。
鶏林各道の山河は開拓すれば将来、大富源となることは疑ひ ないところだつた。
だが、政治は腐敗し、堕落は横行し、巨費を投じ て官を買ふ徒は財を奪ふなど人々を苦しめた。
十三の長官などは、三 年その職に居れば子孫は三代の後まで寝転んで我が世の春を謳歌でき た。
かういふのが実情だから、富めば役人に奪はれるため、人々は働 いて富を得ようとする者はいない。
人民は怠け者となる。
唯、その日 暮らしの衣食さえ足りればいい、とした。
土地があつても耕さない。
鉱山があつても採掘もしない。
漁民も働かない。
山林は乱伐にまかせ た。
国をあげてその日暮らしである。
かうして国運は日に日に衰える 一方だつた。
【坪谷善四郎 「北清戦観戦記」】
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写真と文章見てもらえれば解るんですが、日本がこの国から、財や富を奪ったとかあり得ないんです。だって・・・・
なーんにも無いんですもん。
あるのはクソまみれの汚物だけ。
さて、 明治維新後のアジアの状況は、ほとんど全てが西洋列強の植民地となっていて、日本とお隣の中国(清)がかろうじて独立していました。まぁその保護国の李氏朝鮮もね。
ところが、この李氏朝鮮自らの力で独立する気概などなく、中国へふらふら依ったかと思えば、今度はロシアへふらふらとします。
正直日本としては、一番の脅威が南下を進める世界帝国「ロシア」。
この大帝国は当時凍らぬアジアの港がほしくて、虎視眈々と朝鮮半島を狙っていました。
それを、面白くないもう一つの世界帝国ブリティシュエンパイアーすなわち大英帝国はロシア南下の野望を挫くため1902年日本と「日英同盟」を結んだのですね。
ちなみに、当時「帝国」とは決して悪い意味で使われいなくて、むしろ良い(?)ニュアンスだったのですよ。なんだか、スターウォーズ見てると、悪い国って感じですもんね。いずれにせよ、現代のモラルで、過去の行動をはかるのは間違いです。
地図をみてもらえればお解りになるかと思いますが、朝鮮半島をロシアに獲られれば、日本の独立はもう風前のともしびだった訳です。
結局「日露戦争」(1904年)とは、ロシアに占領されそうだった朝鮮をめぐっての戦いであり、これに負ければ日本は最低でも九州をロシアに割譲されていただろうと言われていますし、ましてや朝鮮半島は未だにロシア領だったのは間違いありません。
一度自分の物にしたら全体放さないでしょロシアは。
さて、幸いにもロシアに辛勝した日本はその後、世界の大国としての責任を求められていきます。
凍らぬ港が欲しかったロシア以外は、この糞まみれの国とは関わりあいたくなかったのです。
・・・・・とここからいいところなんですが、眠い。
眠いですので、続きはまた次。テーマは・・・
「日本は、朝鮮を軍事占領して、植民地としたのか?」