JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

少子化に思う

2007年05月05日 | s-u

今日は『端午の節句』、こどもの日ですが、朝日新聞に「地方の少子化進む」の記事。「子供(15歳未満)の占める割合が、対前年で都市圏では多少なり上昇しているものの、地方での低下が目立つ」とのこと、総務省担当者は「働き手の都心回帰などで、都市圏では少子化が鈍っているのでは」との見解だそうです。

そんな記事をふまえて、私の身近で一昨日から昨日にかけて起きた、ちょっとした事例を紹介したいと思います。

ゴールデン・ウイーク=帰省ということで、我が旧友H.S君も妻子と共に東京から帰省をしています。
H.S君の奥様はとてもお若い方で(我々友人の中ではこの結婚を犯罪と称しております。笑)、しかるに子供は、彼にとっては孫であっても不思議ではないほどの幼い一歳の息子です。
その息子が、帰省をして環境の変化を敏感に感じてしまったのか、一昨日の晩、突然の発熱を起こしたのです。
その晩、私は例によっていつものバーで飲んでいたのですが
「バブ、夜遅くに悪いんだけど、どっか小児科の先生知らないかなぁ?」との電話。

当然のことでありますが、私などに電話をするより、救急病院に電話をする方が確実なわけですけど、この地域の総合救急病院に問い合わせたところ、二時間以上の待ち時間がかかる上に、診察に当たる医師も小児科医ではなく、内科医しかいないとの回答であったのだそうです。それで、せめて小児科医に対処方法だけでも訊けないかと、私にまで頼ってきたのであります。

「わかった」
ともかく、私の知る範囲であたってはみたものの、小児科とのお付き合いは、我が子供達の年齢を考えればすでに遠い昔、行きつけだった病院は廃業しましたし、我が家の近くにある小児科医院も、先生のご自宅までは存じておりません。

「そうだ!亡くなったI君の義理のお父さんは小児科医だったはず!」
失礼とは思いましたが、I君の奥様に電話をさせていただきました。
「ごめんねぇ、うちもお父さんが亡くなって、病院締めちゃったし・・・・・・あのね、開業医が仮にいたとしても、診察は難しいと思うの、今、医薬分離で薬を扱ってないでしょ、だから、対応が難しいってこともあるのよ。」
と言いながらも、考えられる病院を教えていただきました。

とりあえずは、その病院をH.S君に連絡し、私の役目は終わったのですけど、心配だったので、昨日、確認をしたら「けっきょく何処も診てもらえなかったものの、何とか熱も下がってきたので、これから今日なら診てもらえるという医者に連れて行くところだ」ということでした。

それにしても、なんだか田舎の医療事情をかいま見たようで、いい気分がしません。もちろん、二時間待ちとはいえ、総合救急があるだけこのあたりはマシだという考えもありますが、このあたりでも二時間待ちで、しかも内科医しかいないということは、もっと田舎に行けば、さらに適切な医療対応を望めないということで・・・・・。
産婦人科医の都市圏集中や、地方の医師不足など、安心して子供を産めない、子育てができない環境で、はたして少子化を食い止めることができるのでしょうか?

私が子供の頃、繊細な私は(笑)『熱性痙攣』いわゆる『ひきつけ』をよく起こす可愛い男の子でした。(大笑)
母は何度も、舌を噛まないように指を口の中に入れたまま、行きつけの医者に駆け込んだそうです。(しばらくしてからは、救急箱に割り箸にガーゼを巻いた『舌押さえ棒』を用意して、慣れた手つきで対応していたそうですが)
我が息子も、繊細な(しつこい!)父の血をひいたのか小さい時に『熱性痙攣』を起こす子でした。まぁ、母のアドバイスで慌てることもなく、対処できたのは幸いでしたけど、それでも最初の頃は右往左往したものです。

ともかく、我が子が、高熱を出したり、嘔吐したり、心配なことが起きれば、慌てるのが親として当然ですし、核家族化なればこそ、さらにそれは頻繁に起こりえることでしょう。医療技術が大幅に進んでいる現代に、それに対する医療対応が貧弱になっているというのはなんとも歯がゆいし、納得いきません。
昔は現在のようにシステマチックな体制ではなかったのでしょう、それでもこんな田舎であっても、もっと人間を人間として扱う医療が存在していたように思えてならないのです。

こんなこと、素人がとやかく言うことでは無いでしょうけど、他の地域格差はある程度しょうがないとしても、こと医療に関しては、全員が同等の、いや、最低限でもいいから、受けられる環境はできないものなのでしょうかね?
幸いにも、H.S君の子供は、大事にならずに済みましたが、ふと、そんな疑問を感じた出来事でした。

さて、今日の一枚は、じつに十数年ぶりに聴いたアルバムにしました。
何故このアルバムを引っ張り出してきたのか?
今日、NHK-FMで「今日は一日 ジャズ三昧」なる番組をやっておりまして、たまにはレコード、CDに頼らず、ラジオでも聴きながら読書でもしようかと耳を傾けていると、新宿のジャズ喫茶「DIG」そして「DUG」のオーナーであり、写真家でもある中平穂積氏がゲストとして登場されました。

「まだ、ジャズ喫茶を開店する前でしたけど、新宿のとあるジャズ喫茶で、たまたま同席されていた植草甚一先生とお話をさせていただくきっかけとなったアルバムなんです。」
と、このアルバムの「AIR」をおかけになったのです。

「いやぁ、アーチー・シェップかぁ・・・・・・・・んんんんんん、待てよ。ひょっとして今だったら、これ聴けるかもしんない。」
ということで、引っ張り出してきたのであります。
聴けました。(笑)
セシル・テーラーもそれほど聴いたというミュージシャンではないのですが、
「コルトレーンはいいけど、アーチー・シェップは完全に違うんだよなぁ」などと、当時のシェップを毛嫌いしていた私が、大丈夫、聴けました。

そもそも、この手はダメという方も多いかとは思いますが、これに限らず「昔ダメだったけど今は聴ける」みたいなのは、他にもあるかも知れませんよ。

THE WORLD OF CECIL TAYLOR
1960年10月12,13日録音
CECIL TAYLOR(p) ARCHIE SHEPP(ts) BUELL NEIDLINGER(b) DENNIS CHARLES(ds)

1.AIR
2.THIS NEARLY WAS MINE
3.PORT OF CALL
4.E.B.
5.LAZY AFTERNOON

追伸、
キャンディドは、小説『ジャズ・カントリー』の著者であり白人評論家のナット・ヘントフが監修を努めた、マイナー・レーベルです。現代音楽をやっていたセシル・テイラーは、彼から大きな影響を受けました。
そして、このアルバムがこんどはその後の前衛ジャズに大きな影響を与えたのです。