赤い彷徨 part II
★★★★☆★☆★★☆
↑次にお星さまが増えるのはいったいいつになるのでしょう…
 



前回からのつづき)

翌日は早朝から15時過ぎまで働いて無難にミッションを果たす。帰りの飛行機は念のため最終の19時40分発にしておいたため、その時間を利用して松江城へ。また城というのは我ながら芸がないが、まあ出張先に全国に12しかない現存天守のひとつがあるというのだから抗う術もあるまい。県庁方面から登城した我々の進路において最初に目に入ったのは南櫓、ここからも松江市街を見下ろすことができた。



突然洋館が目に飛び込んできてびっくりさせられた。興雲閣と呼ばれるこの建物は、もともと明治天皇行幸の際に宿泊先として建立されたロシア風?建築物で、結局日露戦争の煽りでその行幸は実現しなかったが、後に後の大正天皇が宿泊されたのだとか。館内は「松江郷土館」として展示物がずらり。1回は松江の昔の写真や生活用品、2階は地元の方々製作の芸術作品がメイン。



その興雲閣の隣には松江神社。徳川家康公、堀尾吉晴公、松平直政公、松平不昧公らが祀られており、明治以降にここに建てられたものらしい。つまり天守よりは歴史が浅いということになるのかなと。



狛犬はお尻がプリっと上がっていて、威嚇しているのかもしれないが、見様によってはキュートなどと言えなくもない。そういえば先日タモリ倶楽部で狛犬特集やっていたな・・・。いやそこまで守備範囲を広げる気はさらさらありませんが。



一ノ門。ここをくぐるといよいよ本丸、そしてすぐ左手にチケットボックス?があり、松江城天守を登るだけなら550円、そして周辺にある小泉八雲記念館と武家屋敷も合わせて回るのなら900円ちょっとのセットチケットを購入することになる。



松江城は千鳥が羽根を広げたように見える千鳥破風の屋根が見事なことから、別名千鳥城(ちどりじょう)と呼ばれ、関ケ原で戦功をあげた堀尾吉晴により1600年台初頭に建立されたもの。堀尾吉晴公は遠州浜松から出雲・隠岐24万石の大名として当初は月山富田城に入城したが、戦略上、そして城下町を形成するには手狭という2つの理由から、宍道湖のほとりのこの地亀田山に改めて築城したということらしい。



(つづく)

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