上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

弥生時代の幕開け「板付遺跡」(1):博多区板付

2013年08月17日 06時00分00秒 | ふるさとの風景
遺跡の位置関係。


現在の市内の中心部は豊臣秀吉によって埋め立てられ陸地となりましたので、弥生時代の遺跡はもっと水辺に近かったと思います。

板付遺跡の入り口。



板付遺跡の説明。



現在の遺跡の全体模型。


集落周辺は用水路と水田に囲まれていましたが、現在西側に用水路と水田の一部が再現されています。

模型横の説明。


用水路には堰があり、水田に引く水量が調整されていました。
住民は高度な稲作技術を持って大陸から渡ってきた「渡来人」ではないかと考えられています。

「竪穴住居」と作物を保存した「貯蔵穴」、「墓地」などの説明。



周辺で一番高い位置にあった集落の入り口。



集落の周りはⅤ字形の深い溝が掘られていました。



環濠は10人が1年近くもかけて掘られた規模だったそうですが、掘られた目的は分かっていません。


後には濠は自然と埋まりました。
周辺部族との争いが無くなり、不要になったからではないかと考えられています。

縄文時代の狩猟や木の実の採取など自然のままの生活から、耕作し作物を貯蔵する集団共同生活の弥生時代へと移っていきます。
佐賀県の吉野ケ里遺跡などと合わせて見学すると興味が倍増します。


撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS