上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

博多カメラ散歩:神屋宗湛の屋敷跡と「豊国神社」-博多区奈良屋町 

2014年08月29日 06時00分00秒 | ふるさとの風景
1.神屋宗湛屋敷跡に再建された豊国神社
「九州征伐」前夜の1587年正月3日、豊臣秀吉は大阪城に全国の大名を集め恒例の新年茶の湯会を開きましたが、神屋宗湛は大名や堺・京の商人に混じり招かれました。
秀吉は宗湛を「筑紫の坊主」と呼び特別親しく歓待したそうです。

2.昭和通りから西町筋を北へ進みすぐ右手に豊国神社はあります。


太閤町割りから300年目の1868年に山崎藤四郎ら博多商人が建立しました。
現在の社殿は戦後地元住民により再興されました。

3.この場所は神屋宗湛の屋敷跡でした。



4.神屋宗湛の屋敷跡の説明


各地の豊国神社は徳川家康の命により廃絶となりましたが、明治維新後復興しました。

5.りっぱな神輿なども奉納されています。



6.屋敷跡は現在の博多小学校の敷地となっています。



7.神屋宗湛は屋敷に秀吉を招き茶会を開催しています。


当時は武家や豪商たちの接待や社交のために茶会を開くのが通例でした。
神屋宗湛は先の秀吉茶会出席前に古渓和尚の戎師により剃髪得度を行いましたが、当時身分の低い者が武家と接触するための儀礼だったようです。

8.世界一の大富豪


当時世界一の軍備を持った秀吉と世界一の大富豪が結束し、明国征服を計画しました。

撮影:CANON PowerShot S100