上海下町写真館2010

上海より半年ぶりに帰国しました。マイペースで故郷の風景や歴史などをご紹介します。

中山東一路27号:怡和洋行大楼

2010年08月29日 06時00分32秒 | 上海優秀歴史建築
怡和洋行(Jardine,Matheson & Co.,Ltd)はイギリスの東インド会社が前身。
1832年、スコットランド出身のイギリス東インド会社の元船医で貿易商のウィリアム・ジャーデンとジェームス・マセソンにより広州に設立されました。
アヘンの密輸と紅茶の輸出が主な業務でした。
二人はいったんは英国に強制送還されましたが、上海開港とともに捲土重来、1843年に第一番に上海に開業しました。

1871年の統計ではアヘンの上海輸入量は62,300箱あり、中国へ輸入された総量の68%だったそうで、アヘンの利益が莫大で、各商社ににとって繁栄の基盤になったことが想像できます。

1908年の怡和洋行<黄浦江人文热线>


1845年、怡和洋行は当事外灘1号地であった外灘と北京路の角の一等地に土地を借り、3階建ての社屋を建設しました。

2度目には同地に東インド風の社屋を建築しましたが、3度目に現存する6階建て鉄筋コンクリート造り6階立ての社屋を建築しました。

占地面積は2,100m2、建築面積は14,300m2。屋上はルーフバルコニーになっており、4方の手すりの壁には精巧な人物や動物、帆船等のレリーフがあり、中央には旗竿の立つ3段式円形の屋根を持った搭屋がありました。

太平洋戦争中は日本の三井洋行の管理下に置かれました。終戦の1845年秋には営業を再開しましたが、上海で「洋行の王」と称された昔日の繁栄には至りませんでした。

1983年、上海政府が屋上に2階分増築した時に、それらの芸術品は全て遺棄されたそうです。

今では上海市の文物保護法によって優秀歴史建築は保存されています。

歴史上「HSBCは彼らの利益を本国へ送金するために設立した」「彼らが英国議会を動かしアヘン戦争は決定した」とまで語り継がれる香港の怡和洋行は、今でも「香港政庁の次に従業員が多い」と言われるほど繁栄しており、「ヌーンデイ・ガン」の時報を今でも鳴り響かせています。

以前は回転寿司店が営業していましたが、今では高級レストランが入居しています。南京路側から1階中庭で営業しているカフェテラスに入ることができます。

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2 コメント

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Unknown (ごーさん)
2010-08-29 10:50:17
アヘンの輸入量は相当なものだったことが分かりますがこのアヘンはまさか医療品にのみ使われていたとは思えないのですがどのように使っていたのか気になりますね。
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ごーさん (haichaolu)
2010-08-29 13:09:15
今日は。
フランスが共同租界から離脱して、フランス租界を復活させたのは、租界でアヘンが禁止となったからで、フランス租界では暗黙のうちに解禁され続けました。
TV映画にも出てきますが、当時は暗黒街のボスがフランス租界の警察署長で、勿論アヘン売買の利益の或る部分は租界政府に献上されました。
暗黒街で「三宝」と呼ばれたのが「アヘン・売春・賭博」す。「東洋の魔都上海」と呼ばれた所以ですね。
市内には沢山のアヘン屈があったそうで、禁止される前は喫茶店と同じように誰でも自由に楽しめたそうです。
旧日本軍が上海を制圧した後には、麻薬売買を軍資金にしていたとも言われています。
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