1.南京西路
南京西路は1862年に英国租界により建設されましたが、当時は「静安寺路」と呼ばれていました。
この年の5月には高杉晋作が上海を訪問していますが、ひょっとすると彼も参拝したかもしれませんね。
2.華山路
南のフランス租界からくる華山路。
3.「百楽門(パラマウント)舞庁」
租界当時は有名なダンスホールで1000人も収容できる大きさでした。
4.「静安寺」
三国時代、呉の赤鳥年間(西暦247年)の創建と伝えられています。
5.「山門」。
寺は太平天国の乱で大殿を残して焼失し、1881年に再建されていますが、山門は1946年の再建です。
6.「豪華な建築」
縁日には20万人もの人出でにぎわったそうですが、文革で徹底的に破壊されたあと修復されています。
撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS
南京西路は1862年に英国租界により建設されましたが、当時は「静安寺路」と呼ばれていました。
この年の5月には高杉晋作が上海を訪問していますが、ひょっとすると彼も参拝したかもしれませんね。
2.華山路
南のフランス租界からくる華山路。
3.「百楽門(パラマウント)舞庁」
租界当時は有名なダンスホールで1000人も収容できる大きさでした。
4.「静安寺」
三国時代、呉の赤鳥年間(西暦247年)の創建と伝えられています。
5.「山門」。
寺は太平天国の乱で大殿を残して焼失し、1881年に再建されていますが、山門は1946年の再建です。
6.「豪華な建築」
縁日には20万人もの人出でにぎわったそうですが、文革で徹底的に破壊されたあと修復されています。
撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4L IS
いや~、感慨深いですね~。
今後は、益々、重みを感じて歩きます!
上海では、必ず静安寺の
エアポートバス停留所を利用します。
静安寺も波乱の歴史が有ったんですね。
華山路もいいですね~。
あ~、早く上海に行きたいです!!!
静安寺区へは久しぶりに出かけました。
高杉晋作は当初「攘夷論」でしたが、上海の港に並ぶ黒船の大群を見て「開国論」になったとも言われているそうです。
欧米人が中国人を奴隷化しているのを見て日本の開国後の危機も感じたことでしょう。
長崎に来る外国船から新聞などを手に入れ、日本はアヘン戦争も知っていたそうで、対岸の火事を学び取ったわけですね。
ありがとうございます!興奮しちゃいました!
よく、高杉晋作は上海へ渡航した話を聞きますが、
実際の足取りは詳しく知らなかったので、
大変勉強になりました。
まさか、馴染みの静安寺区が・・・。
日本の近代か成功は、
高杉晋作の上海渡航のおかげですね。
上海にとって、アヘン戦争は、
屈辱の近代史の始まりであり、
国際都市の歴史の始まりでもあり・・・。
blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/1726/trackback
いつ頃の話でしょうか。
付近も高層オフィスができて様変わりです。
高杉晋作にご興味が御有りですか。
彼は藩内抗争に追われ福岡へ隠遁した時、「野村望東尼」の庵に匿われたといわれています。
福岡市にこの庵が今でも保存されて見学できますが、その罪で野村望東尼は福岡藩から玄界灘の「姫島」(糸島市沖にあり定期船で渡れます)に島流しの刑を受けます。
その後、彼女を島から助け出したのも高杉晋作の配下でした。
この姫島には彼女が囚われていた牢獄が再現されていますが、
長州から恩返しにボランティアの人が来て清掃活動をするらしいです。
今年は長州の萩市へ旅行しようかと思っています。
高杉晋作に興味は有ります。
詳しくないですが。
奇兵隊を創設し、
維新心半ばで亡くなった、
長州藩士ですよね・・・。
福岡県と山口県は近いから、
観光にも良いですね。
上海にも高杉晋作記念館を
建設してほしいです。
総理と主席にお願いしましょう。(笑)