波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

めんそ~れ!たつぴの修学旅行

2016-10-21 01:00:36 | 家族
こんばんは、白黒茶々です。
秋といえば、修学旅行の時季でもありますよね。中学校では3年生の春に行くことが多いのですけど、それ以外はおおよそ秋ぐらいとなっております。 学校を卒業したら、離ればなれになるかも知れない気の知れた仲間たちと、団体で味わう非日常。そのような中で、テンションが上がらないワケはありません。 修学旅行に関して、皆様にはどのような思い出があるのでしょうか?

私が通っていた、静岡県の西部地方にある小学校は、修学旅行は近場の富士・箱根方面で、しかも1泊2日でした。 中学校になるともう少しグレードが上がって、京都・奈良2泊3日となりました。 そういえば、そのとき行った鹿苑寺の金閣は、外壁の金がかなり剥がれていたなぁ。それから、移動手段は小中学校ともバスでしたし。



高校になったら、またさらにデラックスになりましたよ とはいっても移動は陸路で、主に新幹線の団体用客車を利用しました。 その当時主流だった100系新幹線、懐かしいですね。

ちなみに私の高校の修学旅行は、広島・山口方面3泊4日の旅となっておりました。 初日は新幹線で一気に山口県内に入り、小郡駅(現在は新山口駅と改名されているのですよね)からはバスに乗り換え、最初の目的地となる秋芳洞秋吉台へ。 それらの資料をひっぺ反していったら………



秋吉台のどこかから写された、私の姿が。



秋芳洞のほうも私は写っていたのですけど、こちらはカメラに気付いていたみたいですね。



そちらで天然の大芸術を観たら、山口市内の常栄寺の雪舟庭園や瑠璃光寺の国宝五重塔………



さらには戦後まもない時期に建立されたザビエル記念聖堂などを廻りました。 そのザビエルの教会の建物はその後焼失し、現在その地には全く新しいデザインのものが建っているそうです。
私たちはその日のうちに、萩市のホテルに入り、一泊しました。



2日目は、その萩市内をレンタサイクルで班別に自由行動。 もちろん、萩城松下村塾笠山は欠かせませんでした。 もう一晩、萩市の同じホテルに泊まり………
なんか、私は隣のY君に給仕しているところなのですけど。



3日目は、津和野町を半日だけ自由行動。そちらでは私のいる班は、武家屋敷の水路にいる巨大な鯉を眺めたり、太鼓谷稲荷神社の長い鳥居を潜ったりしました。そしてその日の晩は、山口市内にある湯田温泉の宿に宿泊。



最終日となる4日目は、広島市の平和記念公園で原爆ドームや平和記念資料館などを見学した後、再び新幹線に乗って帰ってきました。 「広島・山口方面」とはいっても、ほとんどの部分は山口が占めていたような……… とにかく、ン0年前のその修学旅行では、私はいろんな意味で楽しみ、思い出に刻むことができました。

話は現代に戻って、先月末に今度はたつぴが修学旅行に行くことになりました。 ちなみに彼のいる浜松大平台高校は、沖縄方面3泊4日の旅に連れていってくれるそうです。しかも、主な移動手段は飛行機というではありませんか 私でさえも、沖縄は20年前に前の会社の招待旅行で1回行っただけです。とにかく、景色がきれいで郷土食が美味しくて、陽気な沖縄民謡などがあるところなので、それらを存分に味わってきてくださいませ。



そして、いよいよ修学旅行の当日となりました。 学校に6時30分集合となっているのですけど、あまりに早過ぎて始発列車に乗っても間に合わないので、箔母さんが集合場所まで送っていくことになりました。 その際に、彼女は「お土産はちんすこう以外のものにして」と言っていました。 たつぴに餞別をくれた彼の祖母(私の母)も「気を遣わなくていいよ」と断りつつも「お土産買ってきてくれるのだったら、ちんすこうじゃないヤツにして」と言っていましたし。沖縄のお土産といえば、ちんすこうが定番なのですけど、なぜか避けられているみたいですね。ちんすこう、美味しいのに。
それはさておき、とにかく気を付けて行ってきてくるのだゾ



修学旅行初日の行程は、学校からはバスに乗り込み、9時頃に愛知県のセントレア(中部国際空港)に到着。搭乗手続きを済ませ、11時20分離陸。13時沖縄那覇空港到着となっておりました。彼にとっては初めてとなる沖縄に着陸する直前には、乱気流に巻き込まれてかなり揺さぶられたみたいです。



………なんてことがあったのですけど、そのあと大平台高校ご一行は沖縄での最初の目的地となる、ひめゆりの塔にたどり着きました。 ひめゆり平和祈念資料館も合わせて見学し、さらに平和記念公園へ。その公園には、こちらのガジュマルの木があったそうです。 ガジュマルといえば、その木にはキジムナーという精霊が憑いていますよね。キジムナーといえば、私はボロを着た少年の姿をイメージするのですけど、皆さんにとってのキジムナーは、どのような姿をしているのでしょうか?



それらのコースを廻ったあと、ご一行はその晩の宿となる那覇市内のホテルチュラ琉球へ。ただしそこで終わりではなく、グループで最寄りの国際通り研修に繰り出しました。 それにしても、おそろいの海人(うみんちゅ)Tシャツがインパクトありありです。 ちなみに、たつぴは右端におります。



さらに彼らは、ご当地の味覚のソーキそばを食べていったみたいですね。 特に柔らかくて濃厚な、ラフテ(豚の角煮)がたまりません。



2日目は、道の駅かでなから始まりました。 そこにある展望台からは、米軍基地の嘉手納飛行場を一望することができるみたいですね。



さらに彼らは、琉球村に向かいました。 琉球村といえば、私が行ったときにはハブとマングースの決闘を見せてくれたのですけど、現在はやっていないそうです。その代わりといってはナンですけど、そこで彼らは三線(さんしん)を体験させてもらったそうです。



そのあと、ご一行はブセナ海中公園に行き、そこにある海中展望台からフグの遊泳などを見たそうです。 写真は地上からの眺めなのですけど、空と海の青さがたまりません。



そこを見終わったら、名護市にあるホテルリゾネックス名護へ。 その日の晩は、野外でのバーベキューを予定していたのですけど、雨の影響で屋内でのバイキングに変更となりました。それよりもたつぴ、ソーセージを取り過ぎでは?



3日目はタクシー研修で、グループによる行動となります。 そのような中でこちらの海人(うみんちゅ)4人衆は、沖縄ですっかり有名な観光地となった、ちゅら海水族館にやって来ました。



その水族館のウリといったら、やっぱり巨大な水槽ですよ その中で悠々と泳ぐ、巨大なジンベエザメの姿も、圧巻ですね。
そのあとご一行は、世界遺産の沖縄の城(グスク)のうち………



かなりメジャーな首里城ではなく、今帰仁城のほうに行ったみたいです。首里城のような、朱色の正殿や門などの復元建築はないのですけど、海を臨む高台に連なっている城壁は、見応え充分です

沖縄での最後の夜は島唄ライブが企画されていて、大平台生は大盛り上がり!テンションも高まって、みんなして声をからしたそうです。

最終日となる4日目は、すべて帰りに要しました。宿泊地となっていた沖縄北部から南側の沖縄那覇空港に移動。 正午頃に飛行機に乗って、14時頃にセントレアに到着。 そして、17時頃に無事に学校に帰ってくることができました。 あっという間の4日間だったと思いますけど、皆さんお疲れ様でした。



そのあと沖縄方面は台風に見舞われたので、修学旅行があと数日ズレていたら、飛行機で飛び立つこともできなかったのかも知れません。 沖縄での天気のほうも、晴れの比率が多かったみたいで、よかったですね。たつぴの現地からの画像つき報告メールやお土産話からすると、彼は学校のお仲間たちと一緒に、沖縄で楽しんでくることができたみたいです。 ということで、これから修学旅行を控えている学生の方たちは、一生の思い出を作ってきてきてくださいませ。


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たつぴの誕生日と冷蔵庫とニャンコ

2016-01-27 00:37:02 | 家族
こんばんは、白黒茶々です。
1月14日は、たつぴの誕生日でした。 ちなみに彼は、16歳になりました。平成12年(2000年)のその日に彼は生まれたのですけど、ミレニアムのその年はとてもキリがよく、白黒茶々家だけではなく、その一族のなかで最も歳を数えやすいのですよ ちょうどいい機会なので、その2000年はどのような年だったのか、少しふり返ってみます。

00年になったら、コンピューターのシステムに異常が出て、国民の生活にも支障をきたすことになるかも知れないと恐れられていた「2000年問題」は、特に何事もなく済みました。

しかしそれとは別に、その年の6月には「雪印食中毒事件」が起こってしまいました。その際に集中砲火を浴びた社長は「私は寝てないんだ 」と逆ギレ。そこですかさず「私だって寝てないんだ 」と、報道陣の誰かが反撃した声が、その時の映像にしっかりと入っていました。



その翌年の7月には、「九州沖縄サミット」を開催。 それに伴って、小室哲哉氏がプロデュースした曲を安室奈美恵さんが熱唱したり、2000円紙幣が発行されたり、せんだみつおさんが「二千田光雄(にせんだみつお)」と改名したり、………といった、お祭り騒ぎ(?)もありました。

それから、その年はサザンオールスターズの「TSUNAMI」や福山雅治さんの「桜坂」、モーニング娘。の「恋愛レボリューション21」が大ヒットしたりしました。

そして、たつぴの誕生日。数年前まで、彼は………



誕生日ディナーは回転寿司にこだわっていたのですけど、最近はなんでもアリになりつつあるみたいです。 しかし、今回の誕生日当日は他の予定が入ってたりしたので、その直近の日曜日に少し豪華な肉系のお店に行くことになりました。 そのような流れで、私たちが向かったところは………



ステーキのあさくま鹿谷ガーデン店にございます。 私たちがこのお店を訪れるのは昨秋の結婚記念日ディナー以来となるのですけど、先の二つの条件を満たしているだけではなく、主役のたつぴも「食べたい 」と言っているので、今回もこちらのお店にしました。



この日は少々混んでいたのですけど、なんとか席に通されてサラダバーやドリンクバーを揃えることができましたよ。 そうしたら………



「箔母さんとたつぴの誕生日の後々々夜祭と前々々々夜祭を祝って、かんぱ~い 」
まずはサラダだけではなく、当店オリジナルのコーンスープや牛すじカレーなどを、胃袋の許す限りお召し上がりくださいませ。



そうしているうちに、メインディッシュが運ばれてきましたよ ちなみに私の肉は、ポークステーキに名古屋味噌ソースがかかった、「トンテキマレーナ茄子としめじの名古屋味噌」にございます。 名古屋名物の和風な八丁味噌が、洋食のステーキに合うようにアレンジされていて、たいへん美味しうございました。



例年では「回転寿司屋の一皿目を食べようとするたつぴ」の絵を載せているのですけど、今回は「牛すじカレーを食べるたつぴ」の図ってトコでしょうか?



こちらのレストランには、セルフ方式でたい焼きを作るコーナーも設けられているのですよ。 そのたい焼きが焼き上がるのを、彼はじ~~~………っと待っていました。 その姿がなんとも。その間5分ほどなのですけど、3分クッキングの枠内に納めるためにも、心理描写やたい焼き論などは今回は省略させていただきます。そのようにして出来上がったのが………



こちらにございます。 私も一尾もらって食べてみたら、外はパリパリで中はほどよい柔らかさのところに熱々のあんこが詰まっていて、たいへん美味しうございました。



その4日後のたつぴの誕生日当日には、じいじとばあばからのケーキの贈り物がありました。 今回は名前入りではないのですけど、ありがたくいただきます。



………とその前に、ロウソクに灯を点け、部屋の電気を消して、例のアレをやっておきますよ。そうしたら、パソコンやスマホなどの前の皆さんもご一緒に さんはいっ………
♪はっぴば~すでぃつぅ~ゆ~………
このようにして、たつぴの16歳の誕生日は、つつがなく終わりました。



………といきたいところなのですけど、もう1つあるのですよ。 私と箔母さんの結婚祝いでもらって以来約17年間不眠不休で動き続けてきた我が家の冷蔵庫が、異音を出し始めた半日後に完全停止してしまいました。ニャンズのお気に入りの飛び乗りポイントにもなっていたというのに。コンセントをさし直しても、ウンともスンともいいません。 こうなってしまったら、買い換えるしか選択肢はありません。

私たちは電気屋に走り、ウチに合う冷蔵庫をその場で決めてきたのですけど、納期まで5日ほどかかるということに。 その間、冷蔵庫ナシの生活を送らなければなりません。ただし時期が冬場だったのが不幸中の幸いで、多少の食材は日持ちしました。しかし、朝の牛乳や卵が食べられないのがつらかったです。 そのような日々を経て………



白黒茶々家に、新たな冷蔵庫がやって参りましたよ その納入日は、なんと1月14日。たつぴの誕生日史上最も豪華なプレゼントとなりました。………って、彼への直接的な贈り物ではないような。 それでも、このときほど冷えた牛乳を飲めるありがたさを実感したことはありませんでした。 それから、さっそく先ほどのじいじとばあばからのケーキを入れることもできましたし。
そうそう、ニャンズはすぐにその冷蔵庫の上に乗りました。しかも、前より人口、いや、ニャン口が多くなっていますし。彼らにとっては、その高さや乗り心地がちょうどよかったみたいです。ということで、これからも新しい冷蔵庫をよろしくお願い………

………って、気付いたらいつの間にか冷蔵庫の話になっていましたよ。 そういえば、今回はたつぴの誕生日がメインでしたね。とにかく、16歳の誕生日おめでとう。若いときの時間は大切なのに、あっという間に過ぎていってしまうものです。これからは、学校でも私生活でも、有意義な時間を過ごしてくださいませ。


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箔母さんの誕生日の日にあったこと

2016-01-13 00:37:25 | 家族
こんばんは、白黒茶々です。
突然ですけど、皆さんは1月7日といえば何を思い付くでしょうか? そこで、私は全国10万人の箔波日記の愛読者に緊急アンケートを……… というのはウソです。 とにかく、その日を紐解いてみたところ………

昭和18年(1943年)に、アニメマンガの歌手として知られている、水木一郎さんが生まれたとありましたZ 彼は、2代目の歌のお兄さんもやっていたそうですZ

昭和22年(1947年)のその日には、北海道日本ハムファイターズの前身となったセネタースが、東急フライヤーズとして再出発したそうです。 あの東急が、かつてはプロ野球の球団を抱えていたのですね。

昭和38年(1963年)には、アイドルで俳優だった沖田浩之さんが生まれたそうです。彼は容姿も歌も演技も優れていたのですけど、平成11年(1999年)に自らその命を絶ってしまいました。

その3年前の平成8年(1996年)の1月7日には「芸術は爆発だ 」で有名な岡本太郎さんが、その生涯を閉じました。

あと、昭和○1年(19○6年)のその日に、箔母さんが生まれたことも忘れてはいけません。 そうなんですよ タイトルにもある通り、1月7日は彼女の誕生日で、今年で○0歳となりました。

その記念すべき日を前にして、私はどのように祝ってもらいたいのか、それとなく彼女に聞いてみました。 「誕生日はケーキと外食のどちらがいい?」
※思いっ切りストレートで具体的な聞き方ではありませんか!(編集部注)
その結果、彼女は②の外食と答えました。そうしたら、今度はその外食先を探す作業に入らなければなりません。

しかし、箔母さんは誕生日が近付いたところで「やっぱりその日は七草粥にしたい 」と言い出したのです。 そういえば、1月7日は七草粥の日でもありましたね。私は「それだったら、誕生日の前後の日に食べればいいのでは?」と持ちかけてみたのですけど、どうしてもその日は譲れないみたいでした。主役がそう言うのなら、無理強いはできません。



………ということで、その当日の晩には七草粥の登場と相成りました ナマムギ、ナマゴメ、ナマタマゴ……… じゃなくて、セリ、ナズナ、ホトケノザ、……… などが入ったお粥をお召し上がりくださいませ。 ちなみに、私もたつぴも雑穀やこの手の料理が好きなので、ある意味年に一度のこの風習を楽しみにしていました。



それだけではナンなので、私は昨年に引き続いて今年もホールではないケーキを買ってきましたよ 箔と波には来月と再来月のお誕生日の際にワンコ用ケーキを食べさせてあげるので、今回はニオイだけお楽しみくださいませ



そのケーキを箔母さんが手にしたところで、今回は忘れずにアレを歌いますよ。 さあ、皆さんもご一緒に
 はっぴば~すでぃ、つぅ~ゆ~………



その際には、私とたつぴもご相伴に預からせていただきました。 クリスマスから2週間が経ち、そろそろケーキが恋しくなる頃だったので、ちょうどよかったです。いや、そう言いつつも私の脳ミソや消化気管は、季節やインターバルに関係なく、ケーキを欲しているような気もするのですけど。



話は変わって、私はワンコの年賀状(略してワン賀状)として皆さんのもとに、このようなものを送らせていただきました。 ちなみに今回は、昨秋に浜松でおこなわれたDOG!フェスタで、箔と波のリードをしっぺいに預けた、いわゆる「しっぺいズ」写真を使いました。そうしたら、やっぱり当のしっぺいにもこのワン賀状を送らなければ その結果………



箔母さんの誕生日の日に、そのしっぺいからお返しの年賀状が届きました。 それにしても、今回は驚くほどのどアップですね。



さらにその宛先には、箔と波の名前まで書いてくれるなんて、嬉しいですね。 今年もまた何かのイベント等で、彼と触れ逢えますように~

終盤はつい、しっぺいに走ってしまいましたけど、今回は昨年とほぼ同じように箔母さんの誕生日を祝うことができました。 彼女はさくらももこさんや小泉今日子さんと同世代で、時折「よっこいしょういち」とか「あたりまえだのクラッカー」といった昭和のギャグが口から飛び出しますけど、まだまだ人生の下り坂には入っていません。これからも健康で、美しく年を重ねていってくださいませ。


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(私の)誕生日 祝ってもらえて 嬉しいな

2015-12-23 00:46:22 | 家族
こんばんは、白黒茶々です。
ちょっと前の話になるのですけど、12月14日は私の誕生日でした。昨年は湘南鎌倉オフ会の影に隠れて、いつの間にか終わってしまったのですけど、今年は腰を据えてその日を迎えることができました。



やはりそのような記念日は、肉系のディナーでお祝いしたいですね。 あとはいっても14日は月曜日で、できることなら外食は日曜日のほうにしたかったので、今回はこちらのガストで前夜祭をやることにしました。



(ドリンクバーの)ドリンクが揃ったみたいなので、かんぱ~い とかなんとかやっているうちに………



メインディッシュが運ばれてきましたよ そうしたら、チーズ in ハンバーグが入ったハンバーグを、いただきま~す



その翌日は普通に朝の散歩に行って普通に通勤し、普通に帰宅しました。 そして、晩御飯のあとには………



お待ちかねのバースデーケーキが出てきましたよ 箔母さんによると、今回のものは静岡県内にのみ店舗を構えている、和菓子と洋菓子のお店のたこまんで購入してきたそうです。 「おたんじょうびおめでとう 白黒茶々さん」のお祝いの言葉が、嬉しいですね。



まずは、そのケーキと一緒に一枚。その際には、晃ちゃと緑ちゃもムリヤリ引き込んだ……… というよりは、美味しそうなケーキを前にして、成長期で食いしん坊の彼らを野放しにしておいたら、私より先にそのケーキを食べてしまう恐れがあるので、私がホールドしております。そうしたら、次にケーキにロウソクを立て、それらに火を灯したら、部屋の電気を消してください。



あ、思わず祝われる側(私)が写真を撮ってしまいましたけど、そのままの流れで式典は進んでおります。 ではこのあたりで、歌を歌いましょう。さあ、パソコンやスマホなどの前にいる皆さんもご一緒に
 はっぴば~すでぃ、つぅ~ゆ~………

お祝いの文が刻まれたプレートは、私にまるごともらえるのですか それは嬉しいですね。それから、こちらのチョコムースデコレーションは、崩れやすくて扱いがちょっと大変だったのですけど、そのぶん柔らかくて、優しい甘さとともに口のなかでとろけました。

このようにして、私は今年も無事に一つ年を重ねることができました。 まわりのみんなに支えられて、私はここにいることができます。そのことに、ただただ感謝です。これからは、年が明けてすぐにやって来る白黒茶々家の誕生日ラッシュに備え、今度は祝う側に徹する所存にございます。


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たつぴの応援の応援をしたいのだ

2015-08-05 00:34:01 | 家族
こんばんは、白黒茶々です。
今年も早いもので、気付いたら下半期に突入し、8月にもなっていました。 学校関係は夏休みの真っ只中なのですけど……… そういえば、浜松大平台高校に入学してからのたつぴのことをほとんど書いていませんでした。 そういうワケで、今回は彼の学校生活を部活動をメインにしてお伝えします。



以前にも触れたことがあるのですけど、中学校時代のたつぴは音楽部に入っていました。そういうこともあって、高校ではそれに該当する吹奏楽部に入部しました。 この日も、その部活専用のジャージを着て、学校に向かうみたいですね。ちなみにそこでの担当は、中学校の頃と同じパーカッションこと打楽器。それを担う男子部員が少なかったので、特に歓迎されたそうです。
そんなある日のこと、たつぴは「父ちゃんも゛ていえん゛見に来る?」と、いきなりふってきました。



「庭園か………」私は兼六園のような回遊式大名庭園を連想したのですけど、彼の言う「ていえん」とは定演、つまり定期演奏会のことでした。 彼によると、浜松大平台高校の吹奏楽部の発表の場となるそのイベントが、6月の下旬におこなわれるというのです。土曜日の夕方に開演することになっていたのですけど、私はその日は仕事でした。いや、途中からなら観れないこともないぞ あとは大残業にならないことを祈りつつ、その日が来るのを待ちました。

そして、いよいよ大平台の庭園、いや、定演の日がやって参りました。 私の仕事のほうはしっかりと定時に終わったのですけど、会場となる浜松市雄踏文化センターの場所があやふやで……… とにかく、迷いました。 なんとかしてたどり着いても、駐車スペースを見つけるのに苦労し……… そのような状況だったので、その会場の外観などを撮る余裕などはありませんでした。



………なので、いきなり中の様子となります。 定期演奏会は吹奏楽部の内々の行事ということもあって、カメラやビデオでの撮影も、大いに結構とのことです。 そのような奏者の中に………



たつぴ発見 一人で数役をこなしているみたいで、楽器が置かれている場所を移動しながら一生懸命パーカッションをやっていました。



それだけではなく、少しだけではあるのですけどドラムも受け持ったのですよ 照明の加減で少し陰っていますけど、その様子を撮ることができて、いや、彼の頑張る姿を観ることができて、本当によかったです。

定期演奏会をもって、3年生は引退。吹奏楽部にとっては一区切りとなるのですけど、今度は8月初旬の合奏コンクールに向けて、猛練習が始まりました。 その間には、吹奏楽部が重要な役割を担うイベントもあるのですよ。私も好きな、夏の風物詩ともいうべきそのイベントとは………



高校野球の地方大会の応援であります それに備えて、コンバットマーチやVIVA大平(台)、エル・クンバンチェロなどを練習しているみたいですね。
浜松大平台高校の野球部は、これまでに初戦突破することはあっても、それ以上先に進んだことはありませんでした。 そういうこともあって、創部10年目となる今年は、初の夏2勝を目標として頑張ってきたそうです。果たして、たつぴのいる吹奏楽部の応援を背に受けながら、今年はどこまでいけるのでしょうか? いやそれよりも、日程がうまくいったら、野球部を応援しているたつぴを、私が応援しに行きたいです ただし、1回戦は私の母校の新居高校の試合とカブるので、大平台→勝、新居→負となったら、2回戦のほうは観に行けますよ。



………なんて想定していたら、本当にその通りになってしまいましたよ 前にも触れた通り、今年の新居は初戦で敗退。同じ日に裾野球場で星陵と対戦した大平台は、たつぴから送られてきた写メールによると、9対2の7回コールドで快勝したそうです。 母校の初戦敗退は残念ですけど、今度はまた違った楽しみができました。
その浜松大平台高校の2回戦は、翌週の日曜日に静岡市にある県営草薙球場の第2試合で、遠江総合高校と対戦することになりました。

ところがその数日前になって、たつぴは夏風邪をひいたみたいで、部活を欠席。 せめて次の試合に間に合うようにと、直前まで願っていたのですけど……… 当日になってもノドの痛みや発熱が続き、とても炎天下で演奏で応援できるような状態ではありませんでした。 彼がいないのなら、私も家でおとなしくしているか?ですって。



いやいや、その日の草薙球場では第1試合で断トツの優勝候補の静岡高校と、プロ注目の好投手小澤怜史君を要する日大三島との対戦も組まれていたので、私は行くつもりでいましたよ。



2回戦とはいえ、注目の好カードということもあって、その球場には多くの高校野球ファンが詰めかけ、外野席まで開放されて1万6000人の大入りとなりました。 ちなみに、試合のほうは最後まで息が抜けないような熱戦となり、5対2で静岡高校が勝ちました。 それが済んだら、私にとってはその日の本命の浜松大平台高校の出番となるのですけど……… 球場を埋めた観衆が、潮が引いていくように帰っていくではありませんか ちょっと、ちょっと~ せっかくなので次の試合も観ていきなさいよ

………とはいっても、次の試合は両校とも草薙球場から遠く離れた西部地区にあり、さらにともに統廃合によってできた新設校なので、知名度は低いのかも知れません。



一塁側のスタンドには、大平台高校の応援団や生徒、野球部の父兄たちが入ってきました。その中には、吹奏楽部もいましたよ。 しかし、そこにたつぴの姿はありませんでした。



それでも、彼のぶんまで応援しますよ 私はメガホンを借りてきて、見よう見まねで大平台の応援に加わりました。 そして、その試合の行方は………



初回に1点を先制した大平台は、続く2回に打線が大爆発 その回だけで8点も入れ、1回戦と同じような展開となりました。



それには、大平台の応援席は大興奮 こちらの高校は、得点するたびに肩を組んで校歌を歌うみたいですね。 そうしたら、私も一緒に。
 そよか~ぜ~のかおりのなかにくる~まれて~………



結局、その試合は13対1の6回コールドで浜松大平台高校が勝ちました。 私の目の前で悲願の夏2勝を果たしたことになり、私は自分のことのように嬉しかったです。 そうそう、この感動をたつぴに伝えておかなければ 「体調を整えて、明後日(※3日後の誤り)の応援に備えてくださいませ。」と付け加えて送信、と。 そして、しばらくして返ってきた彼からのメールは………

Re:体調は…
まだのどの痛みが治ってなく、熱が上がってしまいました。晩ご飯はどうしましょう(>_<) (原文ママ)

う~ん……… 母校の勝利よりも違うことを心配しているようですけど、次の3回戦までに体調が戻るといいですね。ちなみに大平台の今度の相手は、甲子園の出場経験もある実力校の市立沼津です。

その試合は、22日に富士球場でおこなわれました。たつぴはなんとか復帰し、朝早くから部活のみんなと一緒に、そちらの方に向かっていきました。 ただし、今度ばかりは平日だったので、私は携帯などで試合情報を確認するぐらいしかできませんでした。 それによると………

4回表に大平台が1点を先制 その後もう1点追加し、リードを保ったまま終盤に入りました。 ところが、8回になって市立沼津は大反撃をしだし、その回だけで一気に5点も奪ったのです。もはやこれまで………
と、私は諦めていたのですけど、まだ終わっていませんでした。9回になってから大平台は得意の(?)ビックイニングをつくり、7点を入れて再逆転 そのまま9対5で3回戦も突破したのです。



9ー5で大平台高校が勝ちました。8回裏が危なかった。(原文ママ)

試合終了から間もなくして、たつぴから結果報告がありました。よかったですね。 そうしたら、次の4回戦は私も行った草薙球場ですよ。しかもその試合は、テレビ中継もあるそうですよ。それよりも、肝心の対戦相手は……… 静岡高校です。 その高校は、昨年夏から県大会だけではなく東海大会でも連戦連勝 今春のセンバツ大会ではベスト8までいき、断トツの優勝候補といわれています。そのような強豪校を相手にして、果たして大平台高校はどこまでいけるのでしょうか?



その試合は雨で1日順延となり、24日におこなわれました。 またしても平日なので、私はその様子をテレビで見守るしかありませんでした。 試合の行方はどうなるのでしょうか?それから、たつぴは少しでもテレビに映ることはできるのでしょうか?



………なんて言っていたら、彼のことを確認できるような映像が一瞬出ましたよ そうしたら、試合のほうにも注目しましょう。 先行の静岡は、初回に走者を出したものの、無得点に抑えられました。その裏の大平台は、三者凡退。そして、2回の静岡の攻撃。満塁とされながらも、大平台は静岡から2つのアウトを取りました。よしよし。 ところが、そこから静岡の猛打が爆発し、大平台がタイムを取ったりピッチャーを代えたりしても、その勢いを止めることはできませんでした。 結局、その回だけで9点も取られてしまいました。



それでも、大平台は諦めませんでした。その直後にチーム初のヒットを打ち、なんとか打線のほうも繋がり、1点を返したのです そうしたら、テレビから例の校歌が聞こえてきましたよ。やはり、たつぴも歌っているでしょうか?そのたつぴは、CM明けに一瞬ではあったのですけど、先程よりハッキリとテレビに映りました。
しかし大平台の反撃はそこまでで、1対11の5回コールドで敗れてしまいました。 夕方になって帰ってきたたつぴはとても悔しがっていたのですけど、「期待していたほどテレビに映ってないかった 」。そっちですかい 彼は私以上にミーハーなのでしょうか? それでも、「少しでも長い間、応援していたかったのにぃ~ 」には共感して、肩をポンとしてあげたくなりました。これらの経験から、彼は勝つことの喜びだけではなく、愛校心も育んだみたいですね。
一方の静岡高校はその後も快進撃を続け、2年連続24回目の甲子園出場を決めました。 それまでの戦績の中に浜松大平台高校の名前も入っているのは、とても名誉なことでもあります。



野球応援が終わってからも、8月初旬に合奏コンクールの地方大会が控えていたので、大平台高校の吹奏楽部は休みなく練習を続けました。 結局その結果は銅賞で、その先の県大会には残念ながら行けませんでした。その後はたつぴにとっては長い夏休みとなりそうですね。とりあえず「お疲れ様」と言っておきますけど、時間は平等に与えられているハズなので、有意義にお過ごしくださいませ。


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たつぴの入学式での珍事

2015-04-15 00:14:42 | 家族
こんばんは、白黒茶々です。
先述したように、たつぴは浜松大平台高校に合格しました。 受験から解放されてから、本人も親もホッとする間もなく、今度は入学の準備に奔走しなければなりません。 制服はもちろんのこと、教科書や体育衣料、柔道着、通学用の自転車、………などなど。それから、手続きのための大量の書類があることも、忘れてはいけませんよ。 とはいっても、それらのほとんどは箔母さんに任せてしまいましたけど。箔母さん、すまないっ それからご苦労様でした。 それらを揃えて、晴れて4月7日の入学式を迎えることとなりました。



しかし、その日の天気予報は雨とのこと。たつぴは中学校の卒業式も同じような天気でした。それだけではなく、その前日までは晴れが続いていたので、よけいにタチが悪いです。 入学式の日は、真新しい制服に身を包んだ彼を、桜の木の下で写したい その願いを叶えるためにも、どうか予報がはずれてくれ~



………という私の願いに反して、その日は朝から雨でした。 それでも、たつぴの制服姿を見ることはできるので、それだけでもヨシとしなければ その制服は、箱の中に畳まれて入っている状態のものだけ見せてもらったことはあるのですけど、私はその時点ではまだ彼がそれを着たところは目にしていませんでした。とにかく、それはあとのお楽しみということで
ちなみに入学式は、午後からの予定でした。私は職場にお願いして、式がおこなわれる時間帯だけ抜けさせてもらいました。学校についたら、ヒマを見てたつぴと記念撮影などしておきたいですね。



………ということで、やって来ましたよ 浜松大平台高校に。ちなみに私がここに来るのは、たつぴの合格発表のとき以来ということになります。



入学式まであと30分ほどあるのですけど、このような天気ということもあって外に出ている人はほとんどいませんでした。そうしたら、私もその会場となる体育館……… ではなく、案内では「アリーナ」となっていますね。 便所は「トイレット」ですし。新設校とはいえ、なんてハイカラな とにかく、そちらのほうに向かいます。



そちらでは、たつぴを含めた新入生はすでに所定の位置に着席していました。また、保護者の皆さんも。そのような中で私は先に来ている箔母さんを探しだし、彼女が確保しておいてくれた隣の席に座りました。 そうしたら、あとは入学式が始まるのを待つだけです。



「ただ今より、平成27年度入学式を挙行いたします」
そして晴れやかかつ厳かに、その式典は始まりました。 校長先生の「目標をたてる」「我慢をする」「習慣にする」というありがたい「三つの約束」が新入生たちに贈られ、プログラムは「入学許可」に入りました。ここで、新入生全員の名前が読み上げられ、一人一人が返事とともに起立するという魅せ場があります。そのような中で「かとうたつぴ」



「はい
たつぴが呼ばれましたよ 緊張からか、その声はやや控え目だったのですけど、私たちのいる保護者席までしっかりと聞こえてきましたよ。 嗚呼、これで彼は晴れてこの高校の一員になったんだなぁと、しみじみと思ってしまいました。

そして入学式は終盤に入り、「校歌演奏」となりました。皆様は母校の校歌はどこまで覚えているでしょうか?親子そろって同じ学校なら、一緒に歌うことができるのですけど、白黒茶々の場合は見事なまでに全員がバラバラなのですよ。 だからといって、この大平台高校の校歌を他人事のように聴き流すのは、あまりに忍びないですし。ええ、覚えましたよ 今ではネットなどで聴くという方法もあるので、母校以外の校歌も究めることができるのですよ。では、皆さんもご一緒に
※調子に乗ってムリな要求をしてはいけませんよ。(編集部注)
そよか~ぜの~かおりのなかに、くる~ま~れ~て~、いま、せいしゅんのわた~したち………
母校ではない創立間もない学校の校歌を、保護者の私が歌いだしましたよ 隣の箔母さんは驚愕すると思いきや、意外と淡々としていました。彼女は、私ならやりかねないとでも思っていたのでしょうか?

式が終わったら、ようやく初々しい制服姿のたつぴに逢える……… と思っていたのに、そのまま新らたな担任の先生に引率されてぞろぞろと教室に歩いていってしまったではありませんか。 残された私たちは、PTAの会合があるということで、別室に移動することになっていますし。そのあとのことは箔母さんに任せればいいのですけど、たつぴとは離ればなれになってしまいました。しかし、私はこれから仕事に戻らなければならないので、このタイミングで学校をあとにせざるを得ません。

子供の入学式に参列したのに、その晴れ姿を一度も見れないなんて、前代未聞の事態ですよ。 名前を呼ばれて起立したときに、たつぴの後ろ姿の上半身部分は見えたのですけど、あれは見たうちには入りません。
………といっても、まだ少しばかりの可能性は残っています。私は前もって箔母さんに「じいじとばあばにも、たつぴの晴れ姿を見てもらいたいから、入学式の一連の用事が済んだら、そのまま(彼らの働いている)お店に寄ってあげて」と伝えておいてあったのです。ちなみにそこは、私の職場でもあります。私のほうまで焦らされてしまいましたけど、今度こそ彼の入学を実感することができそうです。

ところが、私が入学式から帰ってきた直後から取り掛かった出先での仕事がなかなか終わりませんでした。 箔母さんとたつぴはある程度は待っていてくれるとは思うのですけど、彼女らも決してヒマではないので、無制限というワケにはいきません。もし待ちきれなくて家に帰って、変身を解いてしまったら、一巻の終わりということに………

「さすがに、もういないよね………」半分、いや、それ以上諦めつつお店に戻ったら………



なんと、彼女らがいたではありませんか 箔母さんによると、入学式のあとの用事が思っていたよりも長引いて、今そこに着いたところとのことです。とにかく、ようやく皆さんにもたつぴの姿をお披露目することができましたよ。



では改めまして、高校生になったばかりのたつぴです。 制服は紺色のブレザーで、ズボンはやや控え目のチェック柄となっております。あ、それから白っぽいネクタイをしているようにも見えるのですけど、斜めのラインはワイシャツのデザインの一部にございます。あと、ちょっとわかりづらいのですけど、ボタンには校章のデザインが施されております。彼は身長ではとっくの昔に箔母さんを抜いたのですけど、さらに大きくなったようにも感じました。



その夜には、入学祝いのどんちゃん騒ぎ……… とはならなかったのですけど、学校の最寄り駅の駐輪場までたつぴの自転車を置きに行きました。 彼は自宅から自転車1→電車→自転車2で通学することになっているのですよ。ちょっと交通の便が悪くて大変なところなのですけど、通うのが苦にならないほど彼の学校生活が楽しくて充実したものとなることを願っています。


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たつぴにサクラサクか?

2015-03-21 00:06:23 | 家族
こんばんは、白黒茶々です。
月日が経つのは早いもので、気付いたらたつぴが中学三年生になっていました。 中三といえば、高校入試という試練に挑む大事な時期でもあります。さらに、その受験生を抱えた、白黒茶々家の様子はどうだったのか?気になるその結末は?今回はそのあたりのことを、じっくりと伝えさせていただきます。



多くの方は高校受験を経験されたと思いますけど、志望校はどのようにして決められたのでしょうか?ちなみに私は、近場で私の頭でも入れるところという理由で、ほぼ自動的に同じ市内にあるA高校にしました。
一方のたつぴは、どこの高校に入りたいのでしょうか?「どこがいいのか、よくわからない」昨年秋の段階では、漠然としてまだ絞りきれていない様子でした。 それでも、その後の生徒、親、担任による三者面談や、実力に見あう学校の策定によってかなり具体的かつ現実的になってきます。私としては、自分と同じ高校に入って欲しいという気持ちもあるのですけど、やはりたつぴの進路は自分で決めてもらいたいです。 そのような中で出された、担任の先生のお告げは………

「たつぴ君の実力なら、A高校は余裕で受かるでしょう」というのです。彼の祖母に当たる私の母は「近いところのほうが、通うのに楽だに」とか「ムリのないレベルの高校に入ってそこでいい成績を取っていれば、楽だに」とか言ってA高校を推していました。 私もその意見に近かったのですけど、彼の性格からすると難なく入ったところでは本当に頑張らないで落ちていく一方なので、彼のためにはあまりよくありません。 そうしたら、そのもう一つ上のレベルの高校を受けてみたらどうでしょうか?ちなみに、その条件に相当するところは………



静岡県立浜松O(オー)高等学校。その学校は浜松市の佐鳴湖西岸の山野を切り拓いて造られた、新興住宅地の中にあります。それだけではなく、ピータンパパさんの母校のN高校と、箔母さんの浜松J高校が合併して平成18年(2006年)にできたばかりの新設校でもあるのですよ。「未来を拓く」という校訓も、カッコイイですね。 ちなみにこちらの学校は、今流行りの単位制の総合学科というシステムとなっています。 校舎は新しいだけではなく、今風の構造をしている上に、かなり大きくて立派ですよ どこかの大学と見紛うほどなのですけど、これでも公立の高校なのですよ。(下見に行った日が雨だったので、薄暗い画像となってしまいました)



それに加えて、制服は今風のブレザーときたもんだ ちなみに私の母校のA高校は、昔ながらの学ランとセーラー服というスタイルを貫いています。私は学生服の基本型はそれでいいと思っているのですけど、箔母さんは前者のほうを好んでいるみたいで。彼女はたつぴに浜松O高校に入ることを勧めているのですけど、その主な理由はそこにあると思われます。
なにげなく家族全員で浜松O高校を下見に行ったら、たつぴにこれから高校を受けるという実感が沸き、さらにその高校に入りたくなったみたいです。

とはいっても、今のたつぴの実力では、浜松O高校は少々難しいです。 しかも、私や箔母さんが「勉強しろ」と言っても言わなくても、彼は家ではあまりやろうとしませんし。彼の性格に合った学力向上法みたいなものなんて、あるのでしょうか?



そんなある日のこと、箔母さんは結婚前から持っていた貴金属を売り払い、その資金でこちらも今流行りの(?)家庭教師のトライをたつぴにつけました。これはまさに、現代版「功名が辻」ですね。ただし元祖のほうは、妻のへそくり(嫁入りの支度金)を夫の立身出世に投資したのですけど。そのようにしてやって来た家庭教師は細面でメガネをかけていて、まさにテレビCMそのまんまの姿をしていたので、私たちは彼のことを「トライさん」と呼んでいました。そのトライさんの前では、たつぴは真剣に勉強に打ち込んでいたので、箔母さんの作戦は効を奏したと言っていいでしょう。



1月末になって受験対策が加速してきたあたりに、さらに心強い味方がやって来ました。………というよりは、届きました。なつみかんさんが昨年、娘のなつみちゃんの受験のときにご利益があった矢奈比賣神社の鉛筆やしっぺいのストラップ(お守り)を贈ってくださったのです。 もちろん、試験にはこの鉛筆で挑みますよ



そして2月5日に、まずは併願先となる私学の高校の入試がありました。ちなみにたつぴが受けたのは、浜松城からほど近いところにある浜松K高校 こちらは、浜松市内でも通いやすいところにあるという理由で決めました。私学の試験は国語、数学、英語の3教科と面接。たつぴによると、テスト問題はその学校のオリジナルみたいで、K高校のものにはあの出世大名家康くんも出てきたそうです。

その数日後に、たつぴは見事にK高校に合格 本命の浜松O高校の試験を前にして、勢いをつけることができました。
しかし、その試験の日が近付くにつれて、緊張が高まってきて……… たぶん、当の本人より親の私と箔母さんのほうが緊張していたでしょう。必ず受かると信じていれば、何も恐れることは……… ああ、万が一落ちたらどおしよ~ ちなみに、先日発表された浜松O高校の募集定員は160人。それに対して、たつぴを含めた志願者の数は187人で、倍率は1、17倍でした。



そしてついに、運命の3月4日がやって来てしまいました。いてもたってもいられなかった箔母さんは、その日は有給で仕事を休み、たつぴの入試の付き添いと、白すぴ中学校から一緒に浜松O高校に挑む生徒の引率を勤めることにしました。 彼らは朝早くから家を出て………



快晴の青空の下、無事に試験会場に到着したみたいですね。 メールで送られてきたこの看板の画像を見たら、職場にいる私まで緊張してきてしまいましたよ。 ちなみに公立高校の入試は、国語、社会、数学、理科、英語の5科目と、その翌日には面接がおこなわれました。
人事を尽くして天命を待つ!ということで、試験が済んだら、あとは結果を待つだけです。長い受験体制から開放された私たちは、しばらくはゆる~く過ごしていたのですけど、合格発表の日が近付くにつれて落ち着きをなくし、もそもそするようになっていました。 そのような状況の中で、「もう堪えきれない 私も(合格発表を)見に行くっ」私までもが職場のほうにもお願いして、その当日は浜松O高校に駆け付けることにしました。

そして、すべてが決まる3月13日の金曜日がやって来ましたよ ちなみにその日の正午に、浜松O高校を含めた県内の各公立高校で、合格者の番号が貼り出されることになっていました。やはりその日は箔母さんは仕事を休み、「貼り出す瞬間から見たい」というたつぴに付き添い、私とは別行動で一足先に浜松O高校に向かいました。私のほうもその時間にギリギリ間に合うタイミングでそちらに向かったのですけど……… 曲がるところを間違え、気付いたら浜松O高校とは逆方向の佐鳴湖の東岸にまで行ってしまいましたよ 最初からかなり動揺していたのでしょうか?



ハアハア……… 合格発表から遅れること13分ほどで、ようやく浜松O高校にたどり着きましたよ。



人だかりができているあの先に、合格者の番号が貼り出されているみたいですね。 ちなみに、たつぴの受験番号は………



187。「なんか、イヤ~な番号だね」 「『いいハナ』って読んでよ 」その番号をめぐって、このような会話が交わされたことも。白すぴ中学校はエントリーが遅かったからなのか、かなりあとのほうの番号となってしまいました。それよりも、果たしてその番号はあるのでしょうか!?



………なんてことは、言いっこナシですよ。 前フリが長いのは、やはり動揺している証拠でしょうか?いや、皆さまにもハラハラドキドキしてもらいたいからかも。とにかく、187、187は………



ああ、あった、ありましたよ!
かなり隅っこのほうですけど、確かにイヤな、いや、いい番号です



その直後に行き逢ったたつぴはすでに結果を知っているみたいで、満面の笑みを浮かべていました。 そんな彼に、私は「受かったね、おめでとう 」という言葉を投げかけました。



この感動を写真に納めなければ まずは校門前で、単体でたつぴを撮り………



次に、一緒に来ていた箔母さんも招き入れて、家族全員で写りますよ。 そして、その学校内には………



前身のN高校から移されたという河津桜の花が、満開となっていました。 この日、たつぴにも桜が咲きましたね。これからこちらの学校が彼の母校になるのかと思ったら、今までより親しみを感じるようになりました。 あとは入学式に間に合うように、準備をしなければなりませんね。今度はソメイヨシノが満開になる頃、新しい制服に身を包んだ彼と、再び浜松大平台高校の校門をくぐるのを楽しみにしています。


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「拝啓15の君へ」たつぴの誕生日

2015-01-24 00:01:14 | 家族
拝啓、たつぴ様。
寒波が到来し、外に出るのも億劫になりがちな今日この頃、ますますご健勝なこととお慶び申し上げます。
………まだ書き始めたばかりなのですけど、使い慣れない文体に肩がこり出したので、いつもの調子でいってもいいでしょうか? コホン、では改めまして。



たつぴは最近、ペットが出てくる番組で犬の快楽のツボを知り、箔や波にマッサージをするようになりました。



それに彼らは大喜び 気持ちいいのか、施術中は体をくねくねさせたり、たつぴに寄ってすりすりしたりしていました。
そのたつぴは、今月の14日に15歳になりました。 2000年に生まれたので、なんてわかりやすいのでしょうか そうしたら、ちょっと豪華なディナーでその記念日を祝うことにしましょう。とはいっても、誕生日の当日は当の本人の都合が悪いので、その日の一歩手前の13日に前夜祭をやることにしました。そうしたら、たつぴの希望するところに外食に連れていってあげますよ。 今回は何を食べたいのでしょうか?やはり、例年通りの回転寿司でしょうか?



しかし、彼は「今回はガ……… の付くファミレスの気分」というので、大幅に路線を変更しました。 昨年まで、あんなに回転寿司にこだわっていたのに……… 嗜好の変化は、成長の証といったトコでしょうか?とにかく、お店の中に入ることにしましょう。



席に付いたあと、全員にお飲み物(ドリンクバー)は行き届いたでしょうか?では、たつぴの誕生日(前夜)を祝って、かんぱ~い



それから間もなくして、料理が出てきました。 このような祝いの席では肉類を食べておきたいところなのですけど、今回私はチキン南蛮にしました。



一方のたつぴは、うどんとマグロ御飯のセットと、こちらは和風ですね。 このあたりは、回転寿司に通じるものを感じます。



さらにその翌日の誕生日当日には、彼のじいじとばあば(祖父母=私の両親)からケーキが贈られました。 そこには、彼の名前(※たつぴというのは、一部ハンドルネームだったのですよ)とお祝いのメッセージが書かれていました。



そのケーキと一緒に、記念撮影をしたら………



差したローソクに灯をともして……… うわっ、オバケ 暗闇の中に突如現れて、めでたいケーキを食べようとしている
いえいえ、このゴースト状の物体の正体は箔母さんで、いきなり記念写真に割り込もうとしたら、肉体を伴っていないような恐ろしい姿となってしまったのでした。
と、とにかく気を取り直して、お祝いの歌を歌いましょう。 さあ、皆さんもご一緒に
 はっぴば~すでぃ、つぅ~ゆ~………

このあと、私と箔母さんもご相伴に預かり、ケーキはみんなで美味しくいただきました。
15歳といえば、昔なら元服する年齢(当時は数え年が一般的だったので、満14歳だったのかも?)であります。現代では、中学生から高校生になる節目の時期に当たるので、ある意味重要です。 そうなるためには、受験という試練が待っているのですけど……… どうか春にはいい桜が咲きますように~

と、とにかく敬具っ


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七草粥とケーキと誕生日

2015-01-10 00:30:58 | 家族
こんばんは、白黒茶々です。
今から26年前の昭和64年(1989年)1月7日の朝、昭和天皇が崩御されました。そして、その日のうちに小渕官房長官(当日)から「新しい元号は『平成』であります」という発表があり、その翌日から平成時代が始まりました。 そのときからさらに二十うん年さかのぼった昭和○○年のその日に、箔母さんは生を受けたのでした。



その日は七草粥の日でもありますね。 白黒茶々家は今回も七草粥の晩餐で、彼女の誕生日を祝いました。セリ、ナズナ、ホトケノザ、……… といった七草が入っているのはもちろんのこと、さらに私がスキーのお土産に買ってきた十穀米も加えたので、この中身は17種類の具という豪華なものとなりました。 健康にいいのはもちろんのこと、とても美味しいので年に一度とはいわず、何度でも食べておきたいですね。



その日は、七草粥(十七具粥?)だけで終わりではありませんよ 箔と波が期待に満ちた顔をしているのですけど、彼らにではなく人間用にケーキを買ってきました。 箔は来月、波は再来月にワンコ用ケーキを食べるチャンスがあるので、それまでお待ちくださいませ。



今回の誕生日を迎えるにあたって、箔母さんは「ホールのケーキは、なしでいいよ」と断っていました。 それに代わる外食も望んでいなかったのですけど、何もなしではナンなので、私は彼女のために食べきりサイズのケーキを用意しました。これには、彼女は喜んでくれました。



もちろん、私とたつぴもそのご相伴に預からせていただきますよ では、いっただきまぁ~~~す  うまうま………「やっぱケーキは生クリームがいいよね 」最後に食べたのが、昨年末のバタークリームのケーキということもあって、彼女は今まで以上にそのケーキの美味しさを実感していました。 喜んでもらえたみたいでよかったです。いや、それよりも……… 私は読者の皆さんも巻き込んで、お祝いの歌を歌うのをすっかり忘れていました。 歌う気マンマンだった(?)皆さんのためにも、次回はそのタイミングを外さないように、ローソクも用意しておくようにします。



その日の朝刊には、こちらのご当地キャラで箔波日記にもしばしば登場している出世大名家康くんが出ていました。 さらに、彼のもとに5日までに469通の年賀状が届いたとありました。そのうちの138通は、県内から来たみたいです。実は、私は昨年から彼に年賀状を送っているのですよ。一方の家康くんは、今回もくれた人全員に返事を書くというので、楽しみですね



………なんて言っていたら、ウチにも来ましたよ しかも、今年の干支の羊を抱き締めていて、とてもファンシーでおられる。 そんな彼と、今年もたくさん逢えるといいですね。



それだけではありません。ウチへの宛名には、私だけではなく箔や波の名前まで書いておられるではありませんか 私が先に送った年賀状に彼らの名前を書いてあったからとはいえ、このような気配りはとても嬉しいです。

箔母さんの誕生日からちょっと脱線してしまいましたけど、その日は七草粥や年賀状などのこの時季ならではのお楽しみも加わって、とてもいい1日となりました。彼女にとっては、この一年は充実した年となりますように~


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たつぴの引退コンサート

2014-08-20 00:01:29 | 家族
こんばんは、白黒茶々です。
たつぴは現在、中学三年生です。 彼が通っている白須ぴ中学校は、潮見坂を上り詰めた高台にあり、そこからは遠州灘を見渡すことができます。 また、市の外れのほうということもあって生徒数は約120人と少なく、部活動の数も限られています。運動がニガテなたつぴは文化系の部活を選ぶことにしたのですけど、そちらのほうは2択ぐらいしかありませんでした。そのような状況の中で、彼は音楽部に入ることにしました。



ちなみに、たつぴのパートはパーカッション。いわゆる、打楽器のことです。やはりその音楽部の部員のほうも20人に満たないほど少なく、その大半を女子が占め、彼を含めた男子部員は各学年に1人ぐらいしかいませんでした。そういうこともあって、他の中学校としのぎを削るコンクールのほうも20人以下の小編成で出場するしかありません。
彼が1、2年生のときは、静岡県内を3つの地区に分けたうちの西部地区大会で敗退。夏休み中にその大会がおこなわれるので、3年生にとっては、負けた時点で引退ということになります。たつぴにとっては今夏が最後の大会となり、夏休みに入ってからは毎日のように部活に没頭していました。彼にとっては、3年間の集大成となる今大会は、果たしてどこまでいけるのでしょうか?

地方大会となる静岡県吹奏楽コンクール西部地区大会は、今月1日にありました。ちなみにその会場は、磐田市にある磐田市民文化会館。箔母さんは休みを取ってそのコンクールを観に行くことにしたのですけど、私は仕事の都合で行けません。 これはいけませんね。そういえば、そのような大会はことごとく平日もしくは土曜日にやってくれるモンですから、私は今までに一度も彼の晴れ舞台を観に行ったことはありませんでした。しいて言えば………



秋に浜松の中心街でおこなわれたハロウィンパレードや、



春の「愛 love ウォーク in 白須ぴ」の演奏の様子を観に行ったぐらいでした。しかし、箔母さんに言わせると、それらは余興的な要素が強く、本格的な演奏ではないそうです。



たつぴの白須ぴ中学校を含めた3校が出場する、今回の西部地区大会。そこで敗退すれば、たつぴや3年生の部員はその日で引退ということに。 しかもそうなった場合は、引退後の打ち上げとなる「3年生を送る会」は、今月の3日にやるというのです その日は私との「北陸本線日本海の旅」が予定されているので、どちらかを諦めなければなりません。 彼は私との二人旅のほうを優先してくれたのですけど、できることなら3年間(正確には2年と3ヵ月ほど)苦楽をともにした仲間と、ハメを外してはしゃいでもらいたいです。
ただし、西部地区大会で優勝して県大会出場を決めれば、引退の時期は延びてハメを外したどんちゃん騒ぎ、いや、打ち上げの日程ももっとあとのほうになります。 結果のほうは箔母さんから送られてくることになっているのですけど、果たして………

「最優秀賞だっ 県大会出場決定おめでとう」(原文ママ)

彼らはやりました 最後の大会で、本当によく頑張りましたよ。 そうしたら、県大会のほうには私も行きたいです。ちなみにその県大会こと静岡県吹奏楽コンクールの中学校の部がおこなわれるのは、静岡市葵区にある静岡市民文化会館。幸いその日程は10日の日曜日で、さらに音楽部の部員が乗り込むバスに私たち保護者も乗せてくれるというのです。 もちろん付いていきますよ そして、県大会の日はやって来ました。

しかし、よりによってその日は台風が再接近していて、大雨強風波浪警報なども出ていました。 それでも、実際には曇っていて多少風はあったものの、予定通りに静岡のほうに向かうことができました。



やって来ましたよ 静岡市民文化会館に。しかも、台風による交通規制や、帰省や行楽による渋滞に巻き込まれるようなこともなく、道中は順調でした。



白すぴ中学校の出番となるC編成は、開会式の直後にあるみたいですね。 ちなみにその部門には、県内の東部、中部、西部から4校が出場。その中で、たつぴの学校は3番目に登場するみたいです。



とかなんとかやっているうちに、彼らの出番がやって来ました。なかには部員数が多くて、層が厚いなかで小編成を組んだ学校もあったのですけど、白すぴ中学校はわずか14人の少数精鋭でその舞台に立ちました。ちなみに演奏する曲は、福島弘和氏作曲の「コタンの雪」。たつぴは最初は緊張で手が震えていたそうですけど、すぐに立て直して挑んでいました。しかも、パーカッションは一人で4つの楽器を扱う四刀流だったのです 彼はパートが変わる度に忙しそうに場所を動き回り、その動作のほうも楽しませてくれました。もちろん、全体的にも素晴らしい演奏でしたよ



C編成の結果発表は、正午過ぎに予定されていました。それまで小一時間ほど間があるのですけど、私の視線はすでに市民文化会館から目と鼻の先にある駿府城公園のほうに向いていました。 そもそも市民文化会館自体、駿府城の三の丸跡にあるのですよ。それだけの時間があれば、今春に復元されたばかりの駿府城の坤(ひつじさる)櫓を見に行ってこられるでしょう。そちら方面に向かって歩いていったら………



間もなくして見えてきましたよ 前回は、昨秋の湘南鎌倉オフ会に向かう途中で、箔と一緒にオープン前の様子を見に行ったのですけど、今回はカンペキに公開中でしたよ。 ちなみに、坤とは西南の方角のことで、こちらの櫓は二の丸のその隅の防御と収納庫の役割を担っていました。気になるその内部は………



創建当時の材料や工法に則って復元されたということもあって、入口の外にまで新築の木の香りがしていていました。



一階はいくつかの部屋に分かれていて、映像コーナー、今昔スコープなどの他に、こちらの展示スペースもあります。 さらに、その天井を見上げると………



床がぶち抜かれていて、最上階の屋根までの構造を見ることができます。 坤櫓は内部は三階あるのですけど、消防法などの規制があるからなのか、一階部分しか公開できないみたいです。

余談が長くなってしまいましたけど、いよいよC編成の結果発表の時間がやって参りました。白中は何位になったのでしょうか?
「W中学校、優秀賞。K中学校、優秀賞。白すぴ中学校、優秀賞。S中学校、優秀賞。」
すべての学校が優秀賞ではありませんか 少人数のC編成は、全国大会での出場枠がないので、いくら頑張っても県大会止まりなのです。そういうこともあって、ここでは順位をつけなかったみたいです。



最後の出番を終えてから、白すぴ中学校の音楽部は部員全員で記念撮影をおこない、そのあと顧問のO先生から、おもに引退する三年生を対象にして、贈る言葉がありました。
「最初部員はまとまりがなくて、このままではやっていけるのか心配でした。それでも、みんなが一生懸命練習して、ここまで来ることができました」それを聞いて、ほとんどの部員は涙を流していました。 苦楽を共にした仲間たちと演奏できなくなる寂しさもあるのですけど、その涙からはこの日までどれほど頑張ってきたのかが伝わってくるようでした。
O先生は、次に部長に話をふったのですけど、彼女は涙をこらえながらも部員のみんなに感謝と労いの言葉を贈りました。こういうときは、たつぴを含めた男の子は涙腺のダムが頑丈で落涙には至らないのですけど、私みたいに歳を取るとそのあたりは弱くなるので、心配要りません。それよりも、彼はいい部活に入っていい仲間に囲まれ、得難い経験をしたとつくづく思います。



その晩白黒茶々家は、たつぴにお祝いと労いの意味を込めて、ちょっと豪華な肉系のレストランに行きました。ドリンクが揃ったので、みんなでカンパ~イ そこで私はふと気になったことを聞いてみました。「白すぴ中の音楽部が県大会に出るのは、何年ぶりぐらいになるのかな?」すると、箔母さんは「今まで一度も出たことはないよ」と言うではありませんか 「ええっ、初出場だったの 」「『白中始まって以来の快挙』だと言われているよ」その事実に、私は改めて驚かされました。 たとえそこに至らなくても、部員の仲間たちと頑張ったことはきっと将来の糧になるハズです。たつぴは高校に入ってからは、部活のほうでも充実した時間を過ごしてくださいませ。


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