波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

一夜明けたら、そこは富山だった(北陸本線日本海の旅その1)

2014-08-06 00:01:38 | 一人旅
こんばんは、白黒茶々です。
平成27年(2015年)春、北陸新幹線の長野~金沢間が開通し、東京から金沢までは新幹線一本で行けるようになります。 これによって北陸方面への利便性は増し、観光客も増えて北陸方面はより活性化する……… と思われがちなのですけど、実はもろ手を挙げて万々歳できない問題も抱えているのですよ。 従来からその地域の交通網として利用されてきた北陸本線は、新幹線の開通にともなって廃止とまではいかないのですけど、JRから経営を切り離され、第三セクターのローカル線として再編成されるというのです。

全国お城めぐりの旅では、JR線なら乗り放題の青春18きっぷに頼っている私にとっては、それは由々しき事態なのですよ。 北陸本線が第三セクターになると、運賃は値上げされ、列車の本数も減らされてしまいます。それだけではなく、青春18きっぷも使えなくなるという、三重苦に。 それならせめてそうなる前に、北陸方面を訪れておくことにしよう というワケで、今年の夏の私の一人旅は、その方面のお城めぐりに決まりました。北陸といえば、2年前の家族旅行で訪れたところでもありますよね。あのときは、今は閉鎖状態となっている日本元気劇場や、飛び降りたい衝動に駆られつつも、やっぱり飛び降りたくない東尋坊や、急階段がインパクト大の丸岡城などを訪れましたね。 このように、北陸方面は見どころ満載で、食べ物も美味い 一度とはいわず、何度でも行っておきたいところでもあります。しかし、今年は諸々の事情で家族旅行は中止となってしまいました。 その代わりといってはナンですけど、今回の旅にはたつぴも付いてきなさい。受験体制には、帰ってきてから入ればいいので。 このようにして今回の旅は、親子二人旅となりました。



そして早くも、「北陸本線日本海の旅」の日がやって参りました。 とはいっても、今回の旅は0泊2日の強行策。しかも、そのほとんどの行程を青春18きっぷに依存する貧乏道中なので、特急列車などの飛び道具は使えません。そのような条件の中で、果たしてたつぴは最後まで私に付いていけるでしょうか? だからといって、「途中で帰る 」なんてことはできないのですけど。



とかなんとか言っているうちに、最初に乗る列車がやって来ました。 まず私たちはこちらの列車で名古屋まで行き………



さらにそこからは、夜行バスに乗っていきます。 先ほど飛び道具な乗り物などは利用しないなんてことを言ったばかりなのですけど、このバスに乗れば寝ている間に目的地までひとっ飛びなのですよ。 その夜行バスのありがたさが広まったからでしょうか?私たち以外にも、たくさんの人がバス乗り場を埋め尽くしていました。とにかく、私たちは「北陸ドリーム名古屋」というJRバスに乗って、一路北へ向かいました。



途中、長良川サービスエリアでトイレ休憩などをはさみ………



翌朝の5時ちょっとすぐには、最初の目的地の富山にたどり着きました。 こちらの駅舎は、私が以前にこちらを訪れたときにもあって見慣れているのですけど………



そのすぐ近くでは、新幹線の開通に備えて新しい駅舎の建設が着々と進んでいました。



その北陸新幹線は、青と金を織り混ぜた斬新なデザインとなっております。



その内部は片側2列のゆったりとした席もあって、そこに腰を降ろせば快適な旅ができることでしょう。今回の日記の冒頭で、私は北陸新幹線に対して否定的なことを言ってしまいましたけど、実は乗ってみたいのですよ。

とにかく富山駅を起点にして、私たちはその日の行動を始めました。 そこから歩いて15〜20分ほどのところには………



富山城があります。こちらのお城は、天文元年(1532年)に土豪の水越勝重が築き、その後城主となった神保氏は、越後の上杉氏と戦ったりしました。 さらに天正7年(1579年)には佐々成政が入り、越中を平定するだけではなく、城の大改修もおこないました。成政が肥後に移った後には前田利次によって整えられ、現在の規模となりました。



先ほどから見えているこちらの建物は、本丸鉄御門の跡に昭和29年(1954年)に犬山城や彦根城を参考にして建てられた模擬天守です。もともと富山城には天守はなかったのですけど、建てられてから今年で60年にもなり、今ではすっかりこちらの風景に溶け込んでいます。



やっぱりお城に来たら、記念撮影をしておきたいですね それが済んだら、お城の中をご案内いたします。



こちらは「よさこいとやま」という夏祭りの会場にもなっているみたいですね。早朝ということもあって、舞台や観客席はまだ閑散としていますけど、これから賑わってくることでしょう。



それから城祉公園内には、前田正甫(まさとし)公の銅像もありました。こちらのお殿様は富山藩の二代目藩主で、富山売薬を開花させた人物でもあります。
元禄3年(1690年)に正甫公が参勤交代で江戸に来ているときに、ある大名が突然激しい腹痛に襲われました。 そこで正甫公は、常に持ち備えている反魂丹を彼に与えたところ、たちまちその腹痛は治まったのです。 その様子を見ていた諸大名は反魂丹の効能に驚き、全国の各領内から注文が殺到するように。そのような彼らの要求に、正甫公は行商という形で応え、富山の売薬は広まっていったのでした。めでたし、めでたし。



………と、いつの間にか昔話になってしまいましたけど、肝心要の富山城の模擬天守こと郷土博物館は時間帯があまりに早過ぎたので、まだ閉まっていました。
ちなみにこちらの建物は、千歳御門にございます。江戸時代後期に富山城の東側に造られた千歳御殿の正門でした。総欅造りの薬医門で、今から6年ほど前に現在地の本丸搦手門跡に移築され、整備されました。その門の中から、お城が覗いているのがなんとも。
※このようにさせるためには、地面に這いつくばって写真を撮らなければならないのですよ。(編集部注)



お城での朝散歩が済んだら、富山駅前のお店で朝食をいただくことにしましょう ちなみに私が選んだのは、クリスピーチキンレタスドックとソフトメープルサンド。それらにホットコーヒーも付けておきますよ!クリスピーチキン云々は、サクサクなクリスピーチキンにトマトの酸味の効いたソースがかかっていて、たいへん美味しうございました。 しかし、素手でいこうとしたら、クリスピーチキンがソースやレタスもろとも落ちてしまい、大変なことに。 それでも、ソフトメープル某のほうは、甘いメープルジャムをこぼすことなくいただくことができました。



朝の朝食モーニングを食べ終わったあとには、富山駅前で薬売りの親子(の銅像)と行き逢いました。 彼らに付いていったら、私たちはどこに連れていかれるのでしょうか?ということで、北陸本線日本海の旅は次回に続きます。

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お盆の甲子園、恐るべし!(西予方面一人旅その3)

2013-08-28 00:01:30 | 一人旅
こんばんは、白黒茶々です。
伊予松山に来たらやっぱり、道後温泉本館の湯に浸かっておきたい 私は過去3回松山を訪れたことがあるのですけど、いずれもそうしてきました。もちろん、今回も入る気マンマンですよ



………ということで、今回はそちらの温泉レポートから始めさせていただきます。 前回の日記のラストで、私は「神の湯二階席」コースを選びました。ちなみにこちらの写真は、道後温泉本館を北側から見たものです。入場料を払ったら、床の矢印と係員の案内に従い、二階の大広間に通されました。 その部屋の籠に荷物を置き、階段を降りていったら、その真下に神の湯の脱衣場と浴室がありました。そうしたら、いよいよ温泉に入りますよ



さすがにその中の様子を撮るワケにはいかないので、資料の写真を使わせていただきます。 お湯はやや熱めで浴槽もやや深めなのですけど、温泉好きの私としては一二を争うほど気に入っています。 ただし、石鹸やタオルは備え付けられていないので、買うか持参するかしてくださいませ。



お風呂から上がったら浴衣に着替えて、先ほどの大広間で休憩しましょう。 道後温泉本館は昔ながらの建物なので、エアコンは付いていません。なので、天井で回っている大きな羽根の風や外からの風、それにうちわを扇いだりして汗をひかせるようにします。



そうしているうちに、砥部焼(とべやき)の茶碗と輪島塗りの天目台に乗せられて、お茶とお煎餅が出てきました。 「神の湯二階席」コースには、これらも付いてくるのですよ。ちなみに一緒に写っているコーヒー牛乳は、私が買い足したものです。

その夜の宿のチェックインの時間までまだ余裕があると思っていたのですけど、気付いたらかなり迫っていました。 しかも、その最寄りの松山市駅まで直行する路面電車の最終便も行ってしまいましたし。こうなったら行き先は違っていても、目的地に最も近いところに停まる路面電車に乗るしかありません
私は松山駅方面に行くものに乗り込み、南堀端というところで降りました。あとは目的地まで猛ダッシュするだけです。
ハアハア……… 頼むから間に合ってくれ~



そうしたら、見えてきましたよ。 そうなんです 今夜の私の宿は、またしても移動するリクライニングベッド、いわゆる夜行バスだったのです。 これによって、今回の一人旅は0泊3日ということになります。それでもこれから乗るものは、独立式3列シートの夜行仕様となっているのですよ。そのバスのシートの寝心地がよかったからなのか、それとも丸一日歩きっぱなしで疲れていたからなのか、私はその晩は爆睡でした。

翌朝の6時ちょっと前に、そのバスは大阪駅にほど近い、阪急梅田に到着しました。 そうしたら、前日と同じように朝食を食べられるお店を探さなければ 今回は前もって調べてないのですけど、このあたりにそのようなお店は………



………なんて言っていたら、開店間際のマクドナルド(関西方面では『マクド』でしょうか?)に行き着きました。よし、このお店にしよう マックグリドルソーセージとハッシュポテト、それとアイスコーヒー(こちらは『レイコー』で合っているでしょうか?)のセットを平らげたら………



目的地まで阪神電鉄に乗っていきますよ もうおわかりでしょうか?私がこの日、向かったところは………



………って、まだ6時台だというのにあまりに混んでいて、チケット売り場が見えてきません。 私と同じように、お盆休みに夏の風物詩ともいうべき行事が行われているこの聖地を、直接観たいという人がかなりいるみたいです。



とかなんとかやっているうちに、見えてきましたよ。そうです 私がこの日最初に行ったのは、甲子園球場だったのです。 スケジュールの都合から今回の一人旅は、この日たまたまやっている試合を2つほど観て、それから最後の目的地に向かおうというのです。長蛇の列に並んだこともあって、スタンドに座れるかどうか心配していましたけど………



まだ余裕はありました。 こちらの一塁側内野特別自由席に座っていれば、やがて日が傾いていって銀傘の影になり、快適に試合を観ることができるのです。そして、大会8日目の第1試合の、福井商(福井県)対聖光学院(福島県)戦が始まりました。



この試合は息詰まる投手戦となりましたけど、犠打を効率的に生かした福井商が2対1で勝ちました。



続く第2試合は、熊本工(熊本県)対作新学院(栃木県)戦です。 まずは1回裏に作新学院がホームランで2点を先制しました。お昼も近いことですし、甲子園カレーを食べながらこの試合を観ることにしましょう。
その日が終戦記念日ということもあって、その正午には試合が中断され、スタンドの観客もグラウンドの選手も起立&脱帽しました。そしてサイレンが鳴り続ける間、1分間黙祷して戦没者の冥福を祈りました。



ちなみにこちらの試合のほうは、着々と得点を重ねていった作新学院が4対0で勝ちました。 それを見届けたあと、私は今回の一人旅の最後の目的地となるところに向かいました。 まずは東海道本線で京都駅まで行き、そこから山陰本線に乗り換えて………



その目的地の最寄り駅から10分ほど歩いていったら、見えてきました。 そうです、またしてもお城なのです。こちらのお城はかなり有名で、修学旅行のコースの定番にもなっているので、その名称はもう少しあとまで伏せておきましょうか?ちなみに目の前に聳え立っているのは、西南隅櫓です。こちらの櫓は現存しているのですけど、小ぢんまりとしているうえにお城の端っこにあるので、かなり見逃されているような気がします。さらに先に進みます。



そうしたら、今度は東南隅櫓とそれに続く東大手門のところに行き着きました。 このお城の入り口は、現在はここだけとなっております。さらにヒントとなるものは、大規模な二の丸御殿、鶯張りの廊下、大政奉還がおこなわれた大広間、………



………といえば、もうおわかりでしょう。そうです 答えは二条城なのです。 こちらのお城は、将軍が上洛する際の宿所として、17世紀初頭に徳川家康によって築かれました。こちらの二の丸御殿はその時のもので、現存する城郭御殿のなかでは最大規模&豪華絢爛となっております。



やはりここに来たら、そいつをバックにして記念撮影をしておきたいですね。 私は6月に名古屋城の本丸御殿を見に行ったら、同じ徳川家の御殿建築がある二条城のほうにも行きたくなってしまったのです。 ただし、こちらのほうは内部は撮影禁止となっていました。



………とはいっても、内部の画像ナシではあまりにも申し訳ないので、資料の写真を載せておきますね。 こちらの御殿も、金の背景の上に松や竹、それに虎や豹が描かれています。それらは近年になってから、保存のために模写したものと入れ換わりつつあるようです。



御殿だけではなく、その庭も見応えありますよ 時間のある方は、順路に沿ってこちらのほうもご覧くださいませ。



さらにその先には、本丸の入り口となる本丸櫓門があります。三代将軍の徳川家光は、後水尾天皇を迎え入れるために、こちらの本丸部分を増築しました。その際には天守まで案内したのですけど、天皇に門を潜らせてはいけないということで、本丸櫓門を貫く形で二階建ての廊下橋が設置されました。



その金の鯱ほこを乗せた五層の天守は、18世紀中頃に落雷で焼失してしまい、現在はその土台の天守台だけが残っています。



それでもその上に登ると、二条城の本丸など、眺めることができます。 そちらのほうに広がっている建物群が気になられた方もいらっしゃるかも知れませんね。もちろん、お教えしますよ。



こちらの建物は、本丸御殿です。もともとあった本丸御殿は、江戸時代中期には失われてしまいました。幕末にはこちらに仮御殿が設けられたりしたのですけど、明治に入ってから京都御所内にあった旧桂宮家の御殿を移築し、本丸御殿としたのです。皇族の御殿建築が残るのはここだけなのですけど、特別公開があるとき以外は閉まっていて、私はその内部をまだ見たことがありません。



二条城にはあともう一ヶ所、北大手門という入り口があるのですけど、現在はこちらからは出入りすることはできません。なので、先ほどの東大手門から退出することにします。二条城のレポートは、以上です。

あとは晩御飯をなんとかして帰るだけなのですけど、駅弁の類いは食べにくいのに加えてまわりに気を遣いますし、京都まで来たら特にその土地の名物にはこだわりませんし………



………なんて言っていたら、二条駅前にやよい軒を発見 よし、ここにしよう。今度はご飯おかわり不可のカツ丼にしたのですけど、それはそれで食べごたえがありました。 それにしても今回の一人旅は、奇しくもやよい軒で始まり、やよい軒で終わることになってしまいました。
※とはいっても、残り4時間ほどの列車の移動のことを忘れてはいけませんよ。(編集部注)

青春18きっぷや夜行バスを利用した今回の一人旅は、多少ハードに思えるのですけど、温泉のあとの極楽気分などがあったので、ムリなく行ってくることができました。 それに、読者の皆さんは気分だけでも私と同行してくださり、ありがとうございました。さらにオススメのコースがあったらご案内しますので、そのときにはまたよろしくお願いいたします。


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道後公園で逢いましょう(西予方面一人旅その2)

2013-08-24 00:01:12 | 一人旅
こんばんは、白黒茶々です。
前回からの続きで、私はお盆休みに一人旅で愛媛県の大洲市に来ています。 その市内を流れる肱川を隔てて、大洲城と対峙しているところから、話を続けさせていただきます。



大洲城は、鎌倉時代末期に宇都宮氏によって最初に築かれ、その後戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治らが在城し、改築されてきました。そして元和3年(1617年)に加藤貞泰が入り、明治に至るまで加藤氏のお城でした。 肱川沿いの小高い丘の上に、本丸を設けていて………



その麓に目線を移すと、苧綿櫓があります。こちらの櫓は天保14年(1843年)に建てられたもので、堤防の工事にともなって土台となる石垣がかさ上げされたものの、現存しています。そうしたらいよいよ川を渡って、お城の中心部に迫ることにしましょう



………と言いつつも、その前にもう一ヶ所寄り道してもいいでしょうか? とはいっても、こちらも大洲城の一部なのですけど。ちょっと住宅地に埋もれるようにして、こちらの三の丸南隅櫓がひっそりと残っています。明和3年(1766年)に建てられたこちらの建物は現存していて、お城の貴重な遺構となっております。しかも、隣接する旧加藤邸と合わせて、「お殿様公園」として整備されていますし。その扱いはともかくとして、公園のネーミングがグッときますね。



前回、私が7年前にこちらを訪れたときには内部は非公開だったのに、現在は自由に見学できるようになっていますよ。 幅が狭くて急な階段を昇る勇気と好奇心のある方は、二階のほうもぜひご覧くださいませ~



前フリが長くなってしまいましたけど、今度こそ本当に大洲城の核心に迫ります。本丸に至る坂道を登っていったら、見えてきましたよ 高欄櫓を抱くようにして聳え立つ天守の姿が。ちなみに高欄櫓は文久元年(1861年)に建てられ、現存しています。



さらに、天守の反対側の台所櫓も見えてきました。 ちなみにこちらの櫓は、高欄櫓のちょっと前の安政6年(1859年)建造されたものです。以上の4つの櫓が現存、重要文化財となっているのです。しかし、明治21年(1888年)に両脇の櫓を残す形で、天守は取り壊されてしまいました。
現在あるものは、平成16年(2004年)に当時の工法に則って、木造で復元されたものなのです。 四層の天守は「死相」につながるので、忌み嫌われているような気もするのですけど、大垣城や尼崎城、それに私が昨夏に行った松江城も四層なので、あまり気にはされていなかったみたいです。ここまで来たら、やっぱりその内部もお見せしますよ 皆さん、入場料の500円を握りしめて、私に付いてきてくださいませ~



太い柱や梁はもちろんのこと、築9年にもなるというのに、まだ木の香りがしていますよ。 展示物は少なめなので、そのぶん建物の構造を細部までご覧くださいませ。



天守という建物は、主に外から眺める広告塔みたいなものだったので、最上階の窓の数は少なく、しかも小さいです。また、お殿様はこのような天守にしょっちゅう昇って城下町を眺めていたようなイメージがあるのですけど、実際には一生に一度あるかないかぐらいだったそうです。そういう私は、大洲城に来るのは今回が3回目、天守に昇るのは2回目(初めて訪れたときには、まだ再建されてなかったので)ですけど。



その窓からは、眼下に流れる肱川や大洲の街が一望できます。 それに、窓を吹き抜ける川風が心地いいですね。



天守を出たあとは、北側から仰ぎ見ておきましょう。こちらからの眺めは、なかなか重厚感がありますね。 そういえば、私が前回大洲城を訪れたのは、箔日記を始める少し前のことだったので、その様子をお伝えするのは今回が初めてとなります。

私は16時過ぎに再び伊予大洲駅から列車に乗ったのですけど、実はその日はもう一ヶ所寄るところがあったのです。それにしても、そこからは特急列車を利用しなかったということもあって、少々時間を要してしまいました。各駅停車、無人駅、単線、交互通行、ワンマン列車、料金箱、トイレ無し車輌、……… これらの単語から、予讃本線の情景を思い浮かべることはできたでしょうか? そして私は、松山駅に降り立ちました。



その改札を通ったところで、バリィさんが出迎えてくれました。 そのバリィさんは全国的にも人気で、昨年のゆるキャラグランプリで見事、優勝しました。 もともと今治市のご当地ゆるキャラなのですけど、その関連グッズは松山市内でも販売されています。



そうしたら、今度は路面電車に乗り込み………



その終着駅となる、道後温泉駅まで行きました。こちらの駅は、昭和61年(1986年)に、旧駅舎を忠実に再現する形で新築したもので、とても味のある外観となっております。 目的地の最寄り駅はその1つ手前なのですけど、私は日が沈む前にどうしてもこの駅舎を見ておきたかったのです。



そうそう、私が目指していたのは、道後温泉のすぐ近くにある道後公園でした。 こちらはもともと湯築城という中世の城郭があったところで、現在は土塁や水堀が残っていて、武家屋敷などが復元されています。またこのお城は、日本100名城の1つにも加えられているのですよ。しかし、今回はお城が目的というワケではなく……… おおっ、すでに来てらっしゃるみたいですね



では、紹介します。マイミクのまめもちさんと、ジャスティス(ジャス)君です。 それともう1人、彼女の旦那さんも一緒に来てくださいました。彼らは松山市の近郊に住んでいらっしゃるので、私は今回の一人旅に際して、声をかけてあったのです。私はまめもちさんとはmixi を通して知り合い、この旅でこの度(ダジャレ?)初めてお逢いすることができました。 それよりもジャス君、せっかくなのでそのカッコイイお顔をこちらに向けてくださいな。しかし、箔ほどではないのですけど、なかなか写真撮影に協力してくれませんでした。



こうなったら、力ずくでグイッとやったり………



抱っこしてもらったりして、なんとか写真を撮ることができました。



それでも、そのうちムリすることなくこちらを向いてくれるようになりました。ジャス君は箔と数ヶ月違いの9歳なのですけど、とても若々しくて毛もサラサラでした。 まめもちさんと旦那さん、それにジャス君も、今回は暑い中なのにお付き合いしてくださり、ありがとうございました。 おかげで一人旅がより楽しいものとなりましたよ。

彼らと別れたあと、私は道後温泉に向かいました。 こちらは道後温泉本館を中心にして、商店街や温泉旅館、ホテルなどがあってとても賑わっています。しかし、温泉のほうはあとのお楽しみに取っておくことにして………



先に晩御飯を食べておきましょう。 ちなみに、私が道後温泉界隈のお店で注文したのは、南予風鯛めしです。こちらのほうでは、このような鯛料理が名物なので、迷うことなく選びました。つけだれにネギやワサビの薬味を入れ、そいつをとろろに混ぜたものを、鯛の切り身が乗った御飯にかけてお召し上がりくださいませ~ うむ とろろが新鮮な鯛の切り身と濃い口のつけだれの間を取り持っていて、実に美味い これは、この地方に来たらぜひ食べておきたい一品です。



お食事が済んだら、お待ちかねのお風呂の時間です 道後温泉といったら、こちらの道後温泉本館が有名ですよね。 こちらの建物は明治時代に建てられ、現在は国の重要文化財に指定されています。もちろんその佇まいは昔ながらで、味と深みがあります。またこちらの本館は、お風呂の種類やオプションによって、コースや値段が別れています。今回私は少し奮発して、神の湯の入浴と二階の大広間での休憩が楽しめる「神の湯二階席」コースにします。

………と、温泉入りたい欲に駆られたところで申し訳ないのですけど、夜も更けてきたのでこのあたりでいったんレポートを仕舞わせていただきます。 道後温泉本館が気になる方は、次の更新までに神の湯二階席の料金の800円(小人は400円)を用意しつつお待ちくださいませ。


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四国の隅っこに残る城(西予方面一人旅その1)

2013-08-21 00:01:10 | 一人旅
残暑お見舞い申し上げます、白黒茶々です。
今年の夏は例年以上に暑く、なかには40度を越えた地域もあるみたいですね。 それでも、そろそろ暑さの最高地点を過ぎ、秋に向かっているところでしょうか?そのような状況の中で当箔日記では、お盆あたりにあった話をお伝えします。とはいっても、タイトルからして「一人旅で、今度は四国のお城にでも行ってきたんでしょ?」って思っている方もいると思うのですけど、まさにその通りです といったところで、今年の私の一人旅のはじまりはじまり~



お盆休みとはいってもこのような暑さなので、箔を散歩以外で外に連れ出すことはできません。 それでもお出掛けしたい欲に駆られ、余計熱くなった彼を振り切り、私は列車に飛び乗りました。 目指すは西国の四国………



………のハズなのに、自宅から東方面の浜松駅に到着しました。 とはいっても、決して列車を乗り間違えたというワケではありませんよ~ 実はこれには深い理由があって………



………なんて言いつつも、あまり深くないのですけど。 この日は乗り換えの時間などの都合で家を出たのが夕方頃だったので、まずは家族にはナイショで浜松駅の近くにあるやよい軒に寄りたかったので、そうしたのでした。 私はそのお店の定食が好きなので、そこのチキン南蛮定食を食べるところから、この旅を始めたかったのです。料理の味はもちろんですけど、御飯とお茶がおかわり自由というシステムが嬉しいですね



お腹を満たしたあとは、先ほど来た道を戻らなければなりません。私は列車を乗り継ぎ、今度こそ本当に西へ向かいました。そして、23時近くに神戸市の三ノ宮駅にたどり着きました。



そこからは、夜行バスの出番です あとは私が寝ている間に、バスが目的地まで走ってくれます。 それにしても、豪華そうなバスですね。 これなら、快適に寝られそう………



………と思っていたのですけど「お客さんは、こちらのバスですよ」と案内されたのは、快適睡眠仕様にはなっていない普通の4人掛けバス。 そういえば、そのチケットを購入する際に「増便のバスなので、装備が充実していない場合もございます」という注意書きを見たような……… それでも、確保できただけでもヨシとしておきましょう。そのバスは途中何ヵ所かトイレ休憩をしつつ、四国に渡り………



翌日の早朝には、愛媛県の西側の宇和島市にたどり着きました。 そうしたら、まずは朝食を食べておきたいですね。しかし、夜行バスの終着点となるバスセンターのまわりには、モーニングサービスをやっているようなお店は見あたりませんでした。前もって、ガストやマクドナルドといった手堅いチェーン店がないか調べてみたのですけど、それらのお店もないみたいです。コンビニで調達という手もあるのですけど、宿泊ナシのこの旅でそれではあまりに寂し過ぎます。
ひょっとしたら、駅のほうに行けば何かいいことがあるかも そう思った私は、とりあえずそちら方面を目指して歩いくことにしました。



そうしたら、駅前にごっつい牛の像がありました。 こいつは喰えねえ……… じゃなくて、宇和島は闘牛でも有名なのですよ。 それだけではなく、宇和島駅に併設されているホテルのレストランが、モーニングをやっているというではありませんか しかも、その見本が美味しそうですし。 開店まで少々待つことになりますけど、こちらで食べることにしましょう。



トーストとスクランブルエッグに加えて、サラダと飲み物は自分が好きなように盛ることができるようになっていました。 そのあと、そのお店には続々と客が入ってきて、ほぼ満席となりました。そして、心もお腹も満たされた私は、その日最初の目的地に向かって歩いていきました。



駅前を出てから間もなくして、山の上に宇和島城が見えてきました。 しかし、今から行くのはそちらではないので、もう少しお待ちくださいませ~



………なんて言っている間に、たどり着きましたよ。こちらは、天赦園という庭園です。 宇和島藩二代目藩主の伊達宗利が17世紀に造成した御濱御殿の一部を、七代目の宗紀が隠居所として整備したもので、その名前は藩祖の父こと伊達政宗が記した漢詩に由来します。



その園内は、大きな池を中心とした廻遊式庭園となっております。



先ほど内部から庭を眺めた、向こうに見える春雨亭も印象的な建物です。



また、池の他にも竹林や苔の丘なども配されていて、変化に富んでいるのですよ。



そのような風景を、こんな感じで、写真を撮ったりしてね その日は私が一番乗りだったこともあって、ゆったりとお庭を観賞することができました。



あとは、お得意のカメラ&三脚で記念撮影をしたりして。 こちらが済んだら、次のところに向かうことにしましょう。 天赦園を出てから、5分ほど歩いていったところには………



城山の麓に、児島惟謙(こじまいけん、『こじまこれかた』とも読む)の銅像があります。彼は、明治時代に活躍した宇和島出身の司法官です。明治24年(1891年)に大津事件……… 滋賀県大津村(現在の大津市)で、ロシア皇太子のニコライ2世が警察官の津田三蔵に襲撃された事件。 ………があった際には、児島氏は大審院長を勤めていました。国際的な立場から、国は「死刑にすべし」と政治的圧力をかけてきたのですけど、児島氏はそれには応じず、司法権の政治部門からの独立、つまり三権分立を守り抜いたのです。結局、津田被告には「無期懲役が妥当」という審判が下されました。
そんな彼の像の後方に見えるのは、上がり立ち門です。薬医門形式をしていて、宇和島城の搦手口(裏口)に位置しています。



ハア、ハア、……… 14年前に来たときには、こんなに険しくなかったような気がするのですけど……… いやいや、先ほどの上り立ち門を潜り、お城のある山を登っていくと………



藤兵衛丸の高石垣に行き当たります。その曲輪(石垣や土塁で仕切られた空間)には現在、武器庫を利用した城山郷土館があります。 さらにその先に進んでいくと………



本丸の石垣と、天守が見えてくるのですよ 宇和島城は慶長初期(1596~1601年)に築城の名手の藤堂高虎によって築かれ、その後入府した伊達氏によって修築されました。ちなみにこちらの天守は、寛文6年(1666年)に2代目の宗利によって建て替えられたものです。 そうしたら、もうひと踏ん張りして………



宇和島城の最高所の、本丸にやって参りました。 こちらから見る天守も、いいですね 江戸時代初期に建てられたこの天守は、破風飾りなどが効果的に配されていて、調和のとれた美しい外観となっております。
せっかくなので今から私が、皆様をその内部のほうにご案内いたします。その際に、入場料の200円をお忘れなく



太い柱や梁は、見応えがありますね。 それに急な階段も、昔ながらのお城らしさを感じます。それから、エアコンは付いていないのですけど、窓から入ってくる海風が心地よかったですよ



もちろん、その天守からの見張らしも、素晴らしいです。 ちなみに向こうに見える海は、瀬戸内海です。



やはりお城訪問の締めには、記念撮影をしておきたいですね。 そいつが済んだら、次の目的地に向かうことにしましょう。



その前に、お昼ご飯を済ませておきましょう と言いつつ、また朝食を食べたレストランに来てしまいました。実は、その帰り際に見た「本日のランチ、デミソースのオムライスに、サラダ、スープ、コーヒーまたは紅茶付き」という触れ込みが、頭から離れなかったのですよ。 もちろん、期待どおりの味でした。



宇和島駅からは特急列車に乗って、次の目的地に向かいます。 その特急「宇和海」の先頭車両には、アンパンマンや彼をとりまくキャラクターが描かれていました。これは、小さい子供が見たら喜びそうですね。そういう私は、どうだったのかというと……… はい、少しは心が躍りましたよ。



宇和島を出てから特急で50分ほどで、伊予大洲という小さな城下町にたどり着きました。いうまでもなく、こちらもお城目当てであります。 駅を出てから、15分ほど歩いていくと………



鵜飼いがおこなわれるという肱川を隔てて、大洲城がどど~んと見えてきました。
………と、いいところというか中途半端なところで申し訳ないのですけど、これ以上長くすると舟を漕ぐ人が続出するかも知れないので、このあたりでいったん仕切らせていただきます。そういう私も実はパソコンに向かいながら、こっくりこっくりしたことがあるのですけど。
※そのあとイスからぶち落ちて、ようやく目が覚めたということもありましたよね。(編集部注)
とにかく、続きが気になる方は次回の日記ができるまで、気長にお待ちくださいませ。


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岡山の魅力(の一部)、お伝えします。(島根岡山一人旅その3)

2012-08-29 00:01:06 | 一人旅
こんばんは、白黒茶々です。
前回からの続きで、またしても私はその日最初の目的地に向かうために、津山線に乗っているという、中途半端な状況の中にいます。 岡山を出てから1時間ちょっと経って、たどり着いたところは………



津山駅にございます。 津山は岡山県の山間地にある城下町で……… ここまで言ったら、もう私の向かう先はお分かりだと思います。



そうです 津山城なのです。こちらのお城は、前日に私が行った備中松山城ほど険しいところにはないのですけど、小高い丘が高い石垣で固められています。



その津山城は、1604年からこちらの森忠政によって築かれました。彼は森可成の六男で、本能寺の変で織田信長と運命を共にした小姓の森蘭丸の弟でもあります。その忠政像が、津山城跡こと、鶴山公園の入り口付近にでで~~~んと、座っているのですよ。それにしても……… 蘭丸兄さんはハンサムなイメージがあるのに、この像の顔はどうかと。 もっとカッコよく作ってあげれば……… いや、ひょっとしたら史実に忠実に再現した結果、こうなったのかも。それだけではなく、この像はかなり大きいですよ。そうしたら………



私が同じポーズで座るので、どうか比べてみてくださいな。杓文字の代わりにうちわはご愛嬌としても、彼と同じような両ひざを地面に着ける格好はどう頑張ってもムリでした。



ヨガ撮影(?)が終わったら、お城を堪能することにしましょう。 こちらのお城は高石垣に見応えがあり、さらに春先には、桜と人によって埋め尽くされます。



そんな津山城には、2004年の築城400年イベントに間に合わせて、かつては天守の次に目立っていた、備中櫓が復元されました。気になるその内部は………



畳敷きの、落ち着いた空間となっております。 櫓といったら、普段は武器庫等になっていて、城が攻められた際には防御の拠点となることから、床は土間か板張りが定番なのです。しかしこちらの櫓は、居住空間の本丸御殿の一部となっていたみたいです。



そういうこともあって、厠もしっかりと設けられていましたよ。



せっかくなので、こちらの内部では私のくつろぎ写真を撮っておきましょう。 ………って、気付いたら、先どの森忠政との対向写真とほぼ同じポーズではありませんか



備中櫓の近くには、天守台があります。かつてはこの上に五層の天守が聳え立っていたのですけど、明治に入ってから取り壊されてしまいました。



それでも、その天守台の上に登れば、津山市内を一望することができます。 お城の様子は、ざっとこのような感じです。



津山には、お城以外にも「津山ホルモンうどん」という有名なB級グルメがあります。 どうやってそのお店を探そうかと思っていたら、お城の正面入り口付近の津山観光センターのお店でも食べれるというではありませんか これは分かりやすくて、手っとり早い。 ガチャッ(こちらは、手動ドアの音です)「いらっしゃいませ~ 」



津山観光センターに併設されているこちらの「よし乃」さんでは、ホルモンうどんは保温陶板に乗せられて出てきました。 やはり、ご飯と一緒(合計950円)に食べておきたいですね。 果たして、そのお味は……… はむっ
うおっ、このホルモンはトロッとしていて柔らかいじゃないですか ホルモンといえば、固くてなかなか噛み切れないイメージがあるのですけど、これほど食べやすいのは初めてです。それだけではなく、うどんや具も甘辛いソースといい具合に絡んでいて、美味しいです。
しかし、一番大きいホルモンを最後のお楽しみにとっておいたら、そのうち陶板の火が消え、肉のほうも固く変質し、従来どおりの噛み切れないものとなってしまいました。 ホルモンは熱いうちに一気に食べることをお勧めします。

津山で昼御飯を済ませたら、私は再び列車に乗って、最終目的地となる岡山市に向かいました。こちらにも、山陽地方を代表する名城があるのですよ。
岡山駅から路面電車に乗り換え、城下というところで降り、歩くこと数分で………



旧内山下小学校にたどり着きました。その校庭の片隅には、岡山城西の丸西出櫓が忘れ去られたように建っているのですよ。 ここはかつて岡山城の西の丸だったところで、西出櫓は現存している貴重な建築物であります。



西の丸から程近いところには、築城当初の主郭だったとされる石山の高台があります。現在は病院の駐車場になっているのですけど、そこからはいい具合に岡山城が見えるのですよ ちなみに、左から本丸月見櫓、天守です。さらにそちら方面に迫ってみましょう。



岡山城は、16世紀の末に豊臣臣下の宇喜多秀家によって、旭川沿いに築かれました。その後、小早川秀秋が入り、彼のあとは池田氏のものとなります。安土城をモデルにしたといわれている五層の天守は、平面が不等辺五角形の珍しい形をしていて、古い様式でした。また、外観が黒いことから、別名を「烏城(うじょう)」といいます。
しかし、その天守は戦災で焼失してしまい、その後外観のみ復元されました。



本丸には、先ほど見えた月見櫓が残っています。こちらからは、二階に開口部の広い窓(の雨戸)が見えますね。



その月見櫓のある一角から、こちらの戦後に復元された不明門をくぐり、本丸の上段に上がれば………



天守が大迫力で迫ってきます。



せっかくなので、こちらでも記念撮影をしておきましょう。
かつての古い様式のものとはうって変わって、昭和の天守はエレベーター付きの近代的な建物となっております。その内部は、いちおうお城の史料の展示がメインになっているのですけど、駄菓子などを売っている店が集まったお城横丁、「名探偵コナン」君も来たことがあるというお城カフェ、備前焼の製作体験ができる工房なども入っております。



また、かつての天守にあった「城主の間」も再現されているのですけど、こちらは殿と姫の衣装を試着して、写真撮影をするスペースとなっていました。 ちなみに、こちらのサービスは無料で受けることができ、1時間に5人を目安におこなわれています。



そして最上階まで登れば、岡山市内を一望でき、眼下には旭川を隔てて、後楽園を眺めることもできます。 後楽園は江戸時代中期に造られた大名庭園で、金沢の兼六園、水戸の偕楽園とともに、日本三大庭園のひとつに数えられています。

これで今回の名所旧跡巡りはすべて終了したので、あとは在来線に乗ってのんびり帰るだけです。 その間に、岡山駅で調達したもうひとつの岡山名物の………



豚蒲焼き専門店「かばくろ」の月見ぶたかば丼弁当を食べることにしましょう こちらの「ぶたかば」は、柔らかな豚バラ肉を秘伝のタレと炭火で焼き上げて作られたもので、濃厚な味わいがたまらないとのことです。そういえば、今年の土用の丑の日を前にして、鰻不足が取りざたされた際に、その代用品としてこちらの「ぶたかば」が脚光を浴びたような気がします。果たして、そのお味は……… もぐり
こ、これは……… ちょっと冷めていて目玉焼きが乗っているからでしょうか?豚が鰻に化けるとまではいきませんでした。それでも、豚バラ肉の蒲焼きは新たな味わいで、たいへん美味しうございました。

そして23時ちょっと前には予定通りに、行きに乗った駅に到着。出だしで一波乱ありましたけど、なんとか今回の一人旅を無事に終わらせることができました。あとは、おみやげに買ってきたきびだんごで家来を増やすだけですけど……… とにかく、読者の皆さん、私の長い旅行記に最後まで付き合ってくださり、ありがとうございました。


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ラピュタとはちょっと違う、天空の城(島根岡山一人旅その2)

2012-08-25 00:24:48 | 一人旅
こんばんは、白黒茶々です。
前回からの続きで、私は島根県に来ております。 とはいっても、特急やくもに乗って、次の目的地の岡山県に向かっているところですけど。 そうそう、前回は松江の名物弁当を食べるところで終わっていましたね。その弁当とは………



一文字家の「島根牛みそ玉丼」にございます。 この弁当には、島根県産のこしひかりに加えて牛肉や味噌、それに酒等も地元産のものが使われています。それらが私に総攻撃を仕掛けてこようとするのですから、たまったものではありません。 それにしても、味噌が牛肉にうまく絡んでいて、美味い それに、気前よくご飯より肉のほうが多く盛られているではありませんか。さらに、上に乗っているとろとろ玉子に箸を入れ、それらに絡めて食べれば、全体的に味がまろやかになります。これは一粒で二度美味しい弁当ですよ。

私が島根牛みそ玉丼に舌鼓をうったり一休みしたりしているうちに、列車は次の目的地にたどり着きました。そのようにして、私が降り立った駅は………



備中高梁駅にございます。 こちらは、岡山県の山間地にある静かな城下町であります。



ほら、駅からもお城のある山が見えるではありませんか。これから私が目指すのは、その標高430メートルの臥牛山に聳え立つ備中松山城なのです。その城には、日本一高いところに現存する天守があるのですけど、そのぶんたどり着くまで一苦労することになりそうです。
案内によると……… ガサゴソ(資料を広げる音のつもり)駅から臥牛山の登山口まで約1,8キロ。さらにそこから1,6キロの山道を登っていかなければならないみたいです。それではあまりに過酷なので、今回は行けるところまでタクシーを利用するようにします。

私を乗せたタクシーは、城下町の風情を感じさせる武家屋敷街を通り抜け、急な坂道を登っていき、臥牛山の中腹の、ふいご峠というところで止まりました。そこからさらに約700メートル、20分の登山道を歩いていけば、お城の主要部にたどり着けるそうです。備中松山城、待っていろよ~



ハアハア……… この山道、思っていたよりエラい。
※決して山道を称えているというワケではありません。遠州地方の方言で、大変だとか、疲れたとかいう意味です。(編集部注)
実は私は19年ほど前の20代の頃に、こちらのお城を訪れたことがあるのです。そのときは季節が春先だったとはいえ、駅から山頂まで歩いていっても、へっちゃらだったような気がするのですけど、確実に体力は落ちているようです。 もともと私は山登りを愛する人間ではないので、まわりの景色とか森林浴を楽しむ余裕なんてありませんよ。
とかなんとか言いつつ、汗だくになりながら歩いていったら………



大手門跡の石垣が見えてきました。 う~む、建物がなくても壮大ですね。 重機のない時代に、このような険しいところにこのようなものを築いてしまうなんて、当時工事に携わった人たちの苦労が忍ばれます。とにかく、お城の主要部に着いたら、もうこっちのもんです そこからちょっと上がっていけば………



山頂の本丸に建てられた、天守を中心とした建物群が見えてくるのですよ 「天空の城」とは、よく言ったものです。



臥牛山を征服したということで、このあたりで記念撮影をしておきましょう。
備中松山城が最初に築かれたのは、13世紀のこと。さらに1681年から水谷勝宗が大修築をおこない、その際に天守が建造されました。そして、明治に入ってから廃城になるのですけど、あまりに険しいところにあったおかげで、取り壊しに遭わずに済んだそうです。 ちなみに手前に見える建物は五の平櫓で、前回私がこのお城を訪れたあとに復元されたそうです。



そうそう、山頂の本丸には天守の他にも、二重櫓も現存しています。せっかくなので、そちらの写真も載せておきます。



そうしたら、いよいよ備中松山城の天守に入ることにしましょう。 こちらの天守は二層二階で、自然の岩盤の上に土台の天守台が築かれ、その上に乗っかっています。



内部は意外と広いですね。この他にも、この一階には………



籠城に備えて、長囲炉裏も設けられています。 そいつが天守内にあるのは珍しく、貴重な遺構なのですよ。



さらに二階には、成田明神などを祀った御社壇が造られています。 天守の最上階には、神棚の類いはよくあるのですけど、一面のスペースをまるごと使っているところはなかなかないですよ。



その御社壇の反対側、南側の窓からは、ちょっとモヤッてはいるのですけど、下界やまわりの山々を臨むことができます。 登山番組だったら、ここで私がカッコいいセリフを言って終わるのですけど、この後にはどうにかして駅まで戻らなければなりません。読むほうもしんどいと思うのですけど、どうか私の下山のほうにもお付き合いくださいませ。

「時間に余裕があるし、下りのほうは楽そうだから、帰りは歩いていくことにしよう」
私には自信があったのですけど………



行きの際に発着点となった、ふいご峠からさらに下の登山道は思っていた以上に長く、険しかったのです。 それでも、休憩を挟みながら行けば、疲れをあまり感じないのでは。おおっ、ちょうどいいところにアレがありましたよ そこで、私が見つけたアレとは………



大石良雄(内蔵助)腰掛け石のことです。彼は忠臣蔵の中心人物として有名ですけど、こちらでも活躍したのですよ。17世紀末のこと、備中松山城の城主に跡取りがなく、お城が赤穂藩の浅野家に引き渡されることになりました。その際に、内蔵助が臥牛山に登っていき、途中で大石が自分の意思でこの石に腰掛け、休息したそうです。そのことをいし……… きした私は、彼と同じようにその上に座ってみることにしました。 おおっ、なかなかいい感じですね。座り心地はいいのですけど………
蚊の大軍が私を目掛けて、む~~~んとやって来たではありませんか これはたまらんっ もう休憩どころではありません。しかもこの蚊、その後も私のあとを追ってくるので、立ち止まることもできませんでした。 そして、山頂から約1時間ほどで登山口に到着。途中雨に降られたりしましたけど、さらに30分かけてやっと駅に行き着くことができました。 あとは列車に乗って、今夜の宿がある都市に向かうだけです。そして、私がそちらの駅の改札口を出て、見たものは………



桃太郎一行の銅像でした。 彼のお供は、猿、犬、雉、………と鳩ですか?その写真を撮ろうとすると、必ずと言っていいほど鳩が付いてくるのですよ。 こちらの地方は、桃太郎のモデルとなった吉備津彦命のゆかりの地でもあって、市内の北区には彼を祀った吉備津神社があります。そういうこともあって、きびだんごや鼠先輩が名物なのですよ。
これでもう、どこかお分かりでしょうか?そうです 正解は岡山です。



宿舎に入る前には、晩御飯を食べておくことにしましょう。 こちらの味司野村さんでは、岡山の名物料理を食べることができるのですよ。では、さっそく入っていきます。ウィ~~~ン(自動ドアの音のつもり)「いらっしゃいませ 」



私がそのお店で注文したのは、デミカツ丼です。説明するまでもなく、カツ丼にデミグラスソースがかかっています。これは新たな境地ですね。 果たしてそのお味は………
うぬ 一言でいえば、洋風カツ丼ですよ。デミソースのまろやかな味が、従来のカツ丼を大きく路線変更させています。 これは、侮れません。



そして、その晩に私が泊まるのは、こちらのホテルリバーサイドにございます。いちおうカプセルホテルなのですけど、浴場や朝食があって料金は1泊2280円から。



その中で私が選んだのは、小さな個室タイプのもの。こちらの部屋は1泊3080円であります。



朝食なほうは、トーストとゆで玉子に、おかわり自由のドリンクが付いていました。

今回の一人旅の最終日となる翌日は、朝早くから津山線に乗って、次の目的地に向かいました。 路線の名前からしてすでにバレバレですけど、その日もお城を中心に廻ることになります。それ以外にも、その土地のグルメ情報等もあるので、次の日記のほうにもお付き合いくださいませ~


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そうだ、出雲の国に行こう!(島根岡山一人旅その1)

2012-08-22 00:01:53 | 一人旅
こんばんは、白黒茶々です。
季節の上では残暑になる今日この頃ですけど、まだ猛暑は続いていますね。 そのような中で、私の一人旅の時期がやって参りました。というよりは、お盆のまとまった休みを利用して、普段なかなか行けないような遠いところを目指すというのですよ。



私が家にいると、箔があらぬ期待(どこかに連れていってくれるのでは?)をして落ち着かないので、犬のイベントのオフシーズンのこの時季は、私だけ暇をもらわせていただきます。 秋になったらあちこち連れていってあげるので、それまで箔はガマンしていてくださいね~
そうしたら、今回の旅の行き先ですよ。 やはり青春18きっぷや夜行バスなどを利用して、私は大昔に行って以来となっている島根・岡山方面を目指すことにしました。

そしてお盆休みに入る前日になりました。 私は仕事を終わらせてから支度を済ませ、夜の7時台に最寄りの駅から列車に乗ろうとしたのですけど………



その日、私のいる地方の近辺は天候が大荒れだったみたいで、その影響で電車のダイヤがかなり乱れてしまいました。 表示では10分遅れとなっているのですけど、実際にはそんなものでは済みませんでした。今回の私の一人旅は、出発の段階から波乱含みとなりそうです。
遅れてやって来たその列車は、本来なら大垣まで行く快速だったのですけど、豊橋までで終わり。そこから先はまったく予定が立てられないとのことでした。さらに、豊橋からやっと出た次の列車も、岐阜まで各駅停車するというのです。 これでは、京都を23時30分に出る夜行バスに間に合わないではありませんか やっとの思いでチケットを手に入れたというのに……… それだけではなく、そのバスに乗れなかったら、目的地にもたどり着けませんよ。さあ、どうする

とりあえず名古屋までその列車で行き、そこから先は新幹線の、そうですね……… のぞみ号あたりに乗れば、間に合うでしょう。 ちょっと貧乏旅行に反するのですけど、今回はそうするしかないみたいです。



おお~ きたきた。到着時間に多少のズレはあるものの、新幹線のほうは順調に走っているみたいですね。こちらののぞみ号に乗ったら、わずか37分で京都にたどり着きましたよ。もちろん高速夜行バスの時間には、余裕で間に合います。



一時はどうなることかと思いましたけど、なんとか京都まで無事に来ることができ、しかもまわりの景色を写真に撮る余裕まであるときたもんだ こちらは京都駅ですね。



その駅を出てすぐのところには、京都タワーがどど~んと聳え立っています。 ちなみにこちらのタワーは高さ131メートル。ビルの屋上に乗っかっていて、さらにその地下には公衆浴場があるそうです。



それから間もなくして、私が乗るビル……… じゃなくて、夜行バスがやって来ました。 最近、夜行バスの安全が疑われていますけど、こちらのバスはJRが運営していて、運転手も複数いるので、安心していいでしょう。さらに三列独立シートなのに、料金は京都~山陰地方のある都市(私がたどり着くまでは伏せさせてください)間が5400円と、かなりお得となっております。
さらに、そのバスにはトイレが付いているということもあって、途中でSAなどには寄らないとのことでした。そうしたら、一気に寝ておけば、あっという間に目的地に着いてしまいそうです。 そして、京都駅前を出てから約6時間後に………



私は、神話話しますね、あ、あれっ ………
※落ち着いて読んでください。正しくは「神話博しまね」ですよ。(編集部注)
改めまして、私は神話の郷でもある、島根県のある都市にやって来ました。 こちらでは現在、神話博なるものが開催されているみたいですね。 とはいっても、こちらは出雲大社のある出雲市ではなく………



島根県の県庁所在地で、宍道湖畔の城下町でもある松江市でございます。こちらに来た目的はもちろん、松江城ですよ。その前に………



マクドナルドで朝5時から販売している、マックグリドルベーコン&エッグ・チーズのセットを朝食にいただくことにしましょう 朝限定のメニューは、早起きしたご褒美にも思えてしまいますね。 では、いっただきま~す



腹ごしらえが済んだら、最初の目的地の松江城のほうに向かうことにしましょう 宍道湖の近くに造られたこちらの街には、水路が掘りめぐらされていて、水の都としても知られています。その水路には、遊覧船がしょっちゅう行き来しておりました。



とはいっても、まだ早い時間で松江城が開いていないので、まずはその周辺を廻っておくようにします。こちらは塩見縄手といって、松江城の北側のお堀端にある通りです。松並木の向かいには武家屋敷や昔からの家が連なっていて、城下町の趣があります。 その端っこには………



小泉八雲の旧宅と記念館があります。彼は本名をラフカディオ・ハーンといって、明治時代に祖国のギリシャから日本に渡ってきました。そして小泉節子と結婚し、日本に帰化して八雲と名乗ります。さらに、節子から日本に伝わる話を聞き、そこから「耳なし芳一」などの怪談を書いたりしました。



塩見縄手の反対側、お城の正面となる東南側の二の丸石垣上には、左から南櫓、中櫓、ちょっと見えにくいのですけど太鼓櫓が聳え立っています。これらの建物は、昨年の築城400年を前にして昔ながらの材料、工法で復元され、お城の正面からの景観を調えています。



もちろん、その内部も見ることができるのですよ。 ちなみにこちらは南櫓で、二階も見学自由となっております。内部の構造などを見たら………



いよいよお城の中心となる、本丸に入ることにしましょう こちらはその入り口となる一の門です。ちなみに大ヒットゲームのストリートファイターⅡで、リュウが闘っているのは、この門の屋根の上なのです。
その前では、朝散歩に来ていたフレンチブルドッグの女の子が砂遊びをしていて、お城の職員の女性達から「かわいい~ 」と言われていました。その一の門をくぐると………



さんざん引っ張ってしまいましたけど、松江城の天守が大迫力で迫ってきます。 松江城は、関ヶ原の合戦後に、浜松からこちらの地方に移封されてきた堀尾吉晴によって、1611年に築かれました。そのときに建てられた4層6階の天守は現存していて、現在は重要文化財に指定されています。また、屋根の広がりは千鳥が羽根を広げたように見えることから、別名を千鳥城といいます。



やはり、ここで記念撮影をしておきましょう。 松江城に来たぞい、イェイ そうしたら、その天守の内部にも入ってみるようにします。



天守の内部は、いちおう照明はあるのですけど、窓が小さいこともあって全体的にやや暗いです。そのような中でも、繋ぎ合わされて造られた柱や、桐製の階段は見ておかなければなりません。 それらの要素から、建物の古さと歴史を感じることができるのです。



それでも、最上階は窓の開口部が広いこともあって、明るく開放的となっております。こちらを吹き抜ける風も、気持ちいいですよ



もちろん、まわりに高い建物がないこともあって、見晴らしは抜群ですよ 遠くに広がる宍道湖の景観も、いい感じですね。



松江城を見終わったら、次の目的地に向かわなければなりません。松江駅から私は、いかにもという名前の特急やくもに乗り込みました。 落ち着いたところで、松江駅で調達した名物の駅弁を広げたのですけど………
旅のほうも話のほうも長くなりそうなので、このあたりで一旦仕切らせていただきます。皆さんには、弁当がおあずけ状態になってしまって申し訳ないのですけど、次回のお楽しみに取っておいてくださいませ。


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千秋公園で逢いましょう

2011-08-31 00:01:32 | 一人旅
こんばんは、白黒茶々です。
前回から、私は秋田市の千秋公園に来ています。ちなみにこちらは、かつて佐竹氏の居城だった久保田城の跡を公園化したところです。



その本丸の片隅には、御隅櫓が建てられています。本来ここにあった御隅櫓は二層だったのですけど、その上に望楼を乗せた形で復元したことになっているみたいです。さらに、鉄筋コンクリート製なのですよ。それでも入場料は100円と安く、その中に入れば久保田城関連の資料を見ることができます。



それだけではなく、最上階からは秋田市内を一望することもできるのですよ。ちなみにこれは、日本海の方向を見たものです。



そうそう、今回は二の丸跡にあるこちらの売店で、ある方たちと待ち合わせすることになっていたのでした。おおっ、それらしいのがすでに来ているではありませんか あの色、あの質感は遠くからでもよくわかります。 その、そのある方たちとは………



サムママさんと、サム君です 私がこの日に秋田へ行く旨を彼女たちに伝え、できたらお逢いしたいとお願いしたら、快く了解してくださいました。サムママさんは足だけしか写っていませんけど、箔日記への初出演、おめでとう、いや、ありがとうございました。



サム君は私が想像していた以上に毛が長くてサラサラで、ハンサム君でした。 私が箔を飼い、スピ界に出入りし始めた5年ほど前から存じていた彼に、ようやく逢うことができて、感無量の思いです。

そのあと、時間的に余裕があり、サムママさんが「せっかくなので、竿燈を体験してみませんか?」と持ち掛けてくださいました。 そして、私が連れていってもらった先には………



「ねぶり流し館」がありました。 こちらでは、弘前の津軽藩ねぷた村と同じように、お祭りを体感することができるみたいですね。とにかく、中に入ってみましょう



入っていきなりのところに、天井の高いホールがあり、竿燈を軽快に持ち上げている人 ………のマネキンが。



さらに同じ空間には、大中小サイズの竿燈がありました。 それらには「体験を希望される方は、係員におっしゃってください」との断り書きが。これはぜひ、やっておかなければ~
その竿燈体験コーナーは人気で、すでに何人かの人がバランスをとり、お祭り気分に浸っていました。ちなみにお試し用の竿燈には、5キロ、10キロ、15キロサイズがあって、クリアするごとにだんだんとレベルアップをしていくことができます。そうしたら、私はまずは5キロから入っていくことにします。



係員の方にバランスの取り方を教わったりしたのですけど、これが意外と難しい。 5キロなんて入門編なのに、これから重量を増やしていき、本番さながらに肩やおでこに乗っけるなんて、とてもとても。 竿燈まつりでは、60キロ級のものを大観衆の前で軽やかに扱うというのだから、驚きです。
そういえば、私は味噌汁の入ったお椀を食卓に運ぶ際にも、ロボット歩きになってしまうほどバランス感覚のない人間でした。 そのような状況の中で、ようやく撮れたのがこの1枚なのです。

それから、今回は係員さんに節を教わり、写真の後方に写っている太鼓も叩かせてもらいました。こちらのほうは、リズム感とその場のノリが決め手ですね。

私がねぶり流し館でキャッキャ(おっとっとか?)している間、サムママさんはサム君と一緒に外で待っていてくださいました。そんな彼女たちに、竿燈持ち上げ体験をおおっぴらに報告することはできませんでしたけど、逆に私のほうが秋田市民の偉大さに気付かされました。



その後、私は秋田駅から列車に乗り、日本海に沿って南下していきました。 その間に、駅で買っておいたさぼてんのふわふわ卵のカツ丼をいただくことにしましょう 歯ごたえサックリのトンカツに、いい具合に卵が絡んでいて、たいへん美味しうございました。



途中、私は何回か乗り換え、23時半頃には新潟駅に到着。さらに今度は臨時の夜行快速列車ムーンライトえちごに乗り込んで、新宿を目指します。そして、その列車に乗ること6時間あまりで、終点駅にたどり着きました。
あとは乗り馴れた東海道線で帰路に就くだけなのですけど、静岡県内を走る列車だけは全車トイレ無し車両だったり、途中で切り離されたりしたおかげで乗客でギュウギュウ詰めになり、とても長く感じました。 それでも、お昼前には自宅に到着。0泊3日とはいえ、実質43時間の長いようで短い一人旅でした。

今回の一人旅では、遠い目的地でスピ仲間に逢うことができ、今まで以上に楽しく充実したものとなりました。サムママさん、私の要望を聞いてくださり、ありがとうございました。
全国各地にお城がある限り、私は今後もあちこちに出向く所存にございます。ひょっとしたら、次はあなたの街に現れるかも知れません。………というよりは、そんな私と逢っていただけると、とても嬉しいです。


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舞台は青森から秋田へ

2011-08-27 00:01:01 | 一人旅
こんばんは、白黒茶々です。
前回から私は、青森県の弘前市に来ています。 そして弘前城をあとにして、向かった先は………



「津軽藩ねぷた村」にございます。  私がこの日、弘前を訪れたときには、すでにねぷた(NEPUTA)祭りは終わってしまっているので、こちらに行けばそのお祭りを体感することができるのです。では、さっそく入ってみましょう



館内には、このような巨大なねぷたが展示されていて、その下では係員の指導のもと、太鼓を叩く人の姿が見られました。さらにその太鼓に合わせて、お囃子の笛を吹いてくれるサービスも。
「他に、叩いてみたい人はいませんか~?」そこで私が飛び入り、「静岡県から来た」と言えば、盛り上がること間違いなし。しかし、今回はなぜかテレが入ってしまい、後方から「ヤ~ヤ~ド~~~ 」と掛け声をするのが精一杯でした。
立体的な青森ねぶた(NEBUTA)とは違い、巨大な燈籠形式の弘前ねぷた。「表は勇壮な絵が描かれているのに対して、裏にはこのようなしとやかな女性の姿が。こちらが男の絵だったら、厳かに見送る気分にはなれませんよね~ 」係員の方の語りは絶好調で、ユーモアセンスも抜群。いや~、いろんな意味で楽しませていただきました。



弘前ねぷた村では、この他にもこの地方の伝統工芸や、物産などをみることができるのですけど、プロの手による津軽三味線の生演奏のほうも見逃せません。 録音・録画は禁止されているものの、間近で聴くとけっこう心に染み渡るので、録っておかなくても充分ですよ。

私はその後、列車に乗り込み、次の目的地へ向かいました。 その間に、弘前駅で買ったたか丸くん弁当をいただくことにしましょう。 今年限定と思われるその弁当の中身は………



おおっ 見事にたか丸くんが描かれていますね。めめは黒豆、クチバシは玉子焼き、それに加えて、ごま粒で鼻の穴まで再現するほどのこだわりよう。 しかし、たか丸くんのお顔を崩しながら食べるのは、ちょっと心苦しいです



弘前から在来線に乗ること2時間半あまり、私は秋田駅にたどり着きました。 ちなみに私がこちらに来るのは、弘前も含めて17年ぶりとなります。



駅から西に向かって6分ほど歩いていくと、蓮の浮かんだお掘が見えてきます。実は、これは私の次の目的地となる久保田城のお掘なのです。



そのお掘を渡ったら、このような城址碑がありました。せっかくなので、お得意の三脚&セルフタイマーを使って、記念撮影をしておきましょう。 セリフは「久保田城に来たど〜!」がいいですね。ただし静止画なので、音声は入りません
こちらの久保田城は、関ヶ原の合戦で西軍寄りだった佐竹義宣公が常陸(茨城県)水戸からこの地へ転封となった後に築いたもので、石垣や天守をもたない質素なお城でした。明治に入ってから、火災でほとんどの建物を失い、その後、城跡は千秋公園として整備され、市民の憩いの場となっております。
では、その千秋公園こと久保田城跡にグイグイと入っていくことにしましょう



そうしたら、だんだんとお城の雰囲気が漂ってきましたよ。 本丸に続くこの鉤の手の石段は、長坂門の跡です。そこをさらに上っていくと………



御物頭御番所に行き着きます。この建物は、藩政時代から城内に残る唯一のものです。それから、上がり込んでその内部を見ることもできます。



番所のすぐそばには、本丸表門がそびえ立っています。ちなみにこちらは、平成13年(2001年)に木造で復元されたものです。



先述したように、久保田城には天守がなかったのですけど、こちらの土台の上にあった二階造りの御出し書院からの眺望が優れていて、その建物は天守の代役を勤めていました。

実は私はこのあとに、ある方たちとこの千秋公園で待ち合わせすることになっているのですけど、こんなところで放送終了の時間(?)が迫ってきてしまいました。 その地元民の「ある方たち」とはいったい、誰のことなのか?その様子は、次回の「一人旅最終章」のほうでゆったりとレポートさせていただきます。


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目指すは東北なり!

2011-08-24 00:01:48 | 一人旅
こんばんは、白黒茶々です。
暑い日が続いていますね。 この季節は、ワンコにとっては特に厳しい時季でもあります。



朝の散歩に連れていっただけで、少々バテ気味の箔ちゃ。 それでも、すぐに立ち直り、ご飯も完食するほど元気なので、どうかご心配なく。こんな感じなので、この時季はワンコを連れてのお出かけは厳しく、代わりに人間のほうが活発に行動するようになります。そのような流れで、私は今年のお盆休みも一人旅に出かけることにしました。



まずは青春18きっぷを片手に、夕方頃に自宅の最寄り駅から列車に乗り、ただひたすら東に向かいました。



そして、21時過ぎには東京は上野駅に到着 できることなら、そこから新幹線や寝台特急に乗って悠々自適に今回の目的地の東北地方のある都市に行きたいところなんですけど………



今回利用するのは、上野駅前から出ている高速夜行バスのパンダ。 4列シートの貸し切り型のバスながらも、料金が片道5000円と、リーズナブルなところが魅力なのです。
私を乗せたパンダ(………とはいっても、動物園にいるあの白黒のヤツのことではないですよ、ハイ )は、22時に上野を出発。お盆休みに加えて、震災の復興対策として東北自動車道の通行料が無料になったこともあって、日中は渋滞したのですけど、深夜の時間帯にはそれも掃けていました。



途中、佐野、国見、紫波のサービスエリアに立ち寄り、翌朝6時半頃には青森県弘前市にある弘前バスターミナルに到着 そうなんです。今年の一人旅は、観光面で落ち込んでいる東北地方の魅力をみなさんにお伝えし、私の力で観光客を呼び戻す……… なんて言ったらちょっとおこがましいですよね。 ただ単に、私がそちら方面に行きたかっただけかも知れませんけど。とにかく0泊3日の強行スケジュールで、可能な限り青森・秋田の名所旧跡をレポートさせていただきます。



その前に、とりあえずバスターミナルの近くのマクドナルドで、朝マックといきましょう
私がこの日注文したメニューは、マックグリドルソーセージ&エッグ・チーズ、ハッシュポテト、プレミアムローストコーヒー、などなど。 普段の生活では、なかなか朝の時間にマクドナルドに立ち寄るようなシチュエーションがないので、朝マックを食べる機会はどうしても旅行に出たときに限られてしまいます。とにかく、前フリはこのへんにしておいて、いっただきま~す はむっ
ん~、パンケーキの生地から、メイプルシロップが染み出してくる感じがいいですね。それから、ハッシュポテトやコーヒーとも合っていますし。



朝食を済ましたら、今回の最初の目的地となる弘前城を目指して、歩いていくことにしましょう。 やっぱり道路標識にその名前が出てくると、気分が高まりますね



そして私は、弘前市立観光館の前にたたずむたか丸くんと行き会いました。 このキャラクターは、今年の弘前城の築城400年を記念して作られたもので、名前の「たか」は弘前城の別名の鷹岡城から、「丸」はお城の本丸から拝借したそうです。さらにその名前は「(気分が)高まる」にも通じていて、縁起がいいのです。
それからデザインのほうは、関ヶ原の合戦後に弘前城を築き、この地方の支配体制を確立した津軽為信公の兜に、お城を合体させたところまではいいのですけど、それに加えて巨頭で、とにかく頭が重そうです。



そのたか丸くんの視線の先には、弘前城の正門となる追手門があります。もちろん、この追手門は昔ながらの状態で現存しています。こちらのお城は、お掘や土塁(土の土手)に囲まれた全域がほぼ完全な状態で現存していて、とても貴重な史跡でもあります。そのぶん廻るのが大変なほど広いのがなんとも。



追手門をくぐり、先に進んでいくと、辰巳櫓が見えてきます。弘前城にはこのような三層櫓が3棟現存しています。



そして本丸には、三層の天守が現存しています。築城当時は別の場所に五層の天守があったのですけど、落雷で焼失してしまい、18世紀に三層櫓を改築するかたちでこの建物が造られました。



せっかくなので、今年限定(………と思われる )のたか丸くんのパネルと一緒に、写真を撮っておきましょう。



さらに私は、天守の中へ。 重要文化財に指定されているこの建物。もちろん木造なのですけど、床にシートが敷かれていて、私の記憶が確かならば、現存天守で土足のまま入れるのはここだけということになります。



その天守がある本丸からは、岩木山を臨むことができます。その勇姿を見ると、津軽地方に来たんだなぁ~という実感が沸いてきます。



弘前城の北側にあるのが、この北門(亀甲門)です。城内には、この北門や先述の追手門も含めて、同じ形式の門が5棟現存しています。



その北門を出たところにあるのが、石場家のこの建物。 こちらは藩政時代から続く酒屋で、豪雪地方特有の長い軒先がよく残っています。

石場家からさらに東にギュイ~ンと行ったところに(………って、ちょっと関西系の道案内になってしまった )、弘前を象徴するあるものを体感できる施設があります。そのあるものとは……… 詳しくレポートすると、朝礼の際の校長先生の話しぐらい長くなりそう……… とはいっても、今時の校長先生はどうなのでしょうか?とにかくこの話は、次回に続けさせていただきます。


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コメント (2)
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