波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

浜松まつりに一緒に出まいか

2014-05-14 00:01:20 | 年間行事
こんばんは、白黒茶々です。
長いようで短いようなGWが終わってしまいましたけど、皆さんはどのようにして過ごされたでしょうか?帰省先や行楽地は混んではいても、活気があったことと思います。 そのような中で、白黒茶々地方の浜松では、その時季には浜松まつりがありました。そのイベントは、GW中の全国の人出の数でも毎年上位を占めていて、市民あげての大規模かつ熱気に満ちたものでもあります。 浜松市民ではないものの、私は同市内に住んでいる叔母のつてを頼って、毎年参加しています。しかも、今年はそのまつりにたつぴも初めて加わることになったのですよ それだけではなく、私と同じラッパ隊に入るというのですから、もぅ~~~っ とにかく、親子そろってのまつり参加、とても楽しみです。



そして、浜松まつり初日の5月3日になりました。その日は朝から晴れていて、絶好のまつり日和となりました。 浜松まつりは、昼の部と夜の部に別れています。まずは前者について、私が実施しながらレポートさせていただきます。 昼の部は、朝に各町内の会所に集合するところから始まります。そこからバスに乗り込んで、私たちは中田島砂丘がある遠州灘海浜公園に向かいました。 さらに、その砂丘………



………をかすめるようにして防風林を抜けていき……… その距離600mほどでしょうか?目指すは、中田島砂丘の隣接地の凧上げ会場となっている広場です。



さあ、着きましたよ。 そこでは、市内174の町内が競って大凧を上げているのですよ。浜松まつりの起源は諸説あるのですけど、今から約450前に引馬城主だった飯尾豊前守が、長男の誕生を祝ってその名前を記した凧を城内高く揚げたのがもととなっているそうです。その後、町内各所で同じようにして揚げるようになったのですけど、やがて練兵場(現在の和地山公園)でまとめてやることに。さらに参加する町内が増え、敷地に余裕のある現在地に移ってきたということです。



とかなんとかウンチクを垂れているうちに、まつりを開始する時間となりました。まつり本部の開会宣言の直後に花火が打ち鳴らされ、それを合図に参加しているすべての町内が一斉に大凧を上げるのですよ。 その瞬間が大迫力で見応えがあるので、私は写真に撮っておきましたよ



翌日の地元紙には、その様子が載っていました。 よく見てみると、その中には私の姿も う~む……… それにしても、写真を撮っているところを写真に撮られるなんて………



せっかくなので、全174種類の凧の図柄を紹介……… はいくらなんでもムリなので、その時たまたま私の目に入ったものを採り挙げさせていただきます。
まずは、寝かされていてちょっとわかりにくいのですけど、天神町のものです。漢字の「天」の字が斜めになっていて、「ヨコテン」とも呼ばれています。その町内の凧には長い歴史があってかなり手強く、軽くてよく揚がるとのことです。それに加えてその凧には、何かの番組でその町内を訪れたアンガールズが書いたサインもありました。



次は、砂山町ですね。その町内の位置は浜松駅の周辺で、アクトシティもその区域に含まれています。 凧印のほうは、その地区にあった新豊院のお稲荷さんの狐にあやかったみたいですね。それにしても、愛嬌のあるお顔に立派なおヒゲ。嗚呼、そのマズルを掴んでみたい~



こちらは、旧浜松市の最北に位置する西ヶ崎町のものです。ほとんどの町内は、大凧の図柄は天高く揚がっても区別がつきやすいように簡略化しているのですけど、西ヶ崎町はその地域の守り神の毘沙門天を、かなり細かく描いています。 もちろん、そのお顔もおっかなくて。小さい子はその毘沙門様を見て、泣いたりしないでしょうか?



話はもとに戻って、私が参加させてもらっている萩丘の凧は、このようなデザインとなっております。萩丘のある三方原台地には昔、萩の花が咲き乱れていたそうです。 その萩を図案化し、さらに大きな「萩」の文字を加えるという念の押しようは、さすがです。 それから、凧を支えている人と比べると、その大きさがわかるでしょ?では、今からみんなでこの凧を揚げることにしましょう。程よく風が吹いていれば、難なく揚がっていくのですけど………



風がないときは、凧の糸をテギと呼ばれる滑車にかけ、たくさんの人が走りながらその糸を引いていきます。 ちょっと見えにくいのですけど、皆さん必死になってやっていますよ。



そんな彼らに、テンポを伝えたり勢いをつけるためにラッパを吹くのが、私たちラッパ隊のお仕事です。 なかなか思うように揚がらないのですけど、凧が上空の気流に乗ったらもうこっちのモンです。



初子が生まれて初練りをする家では、その子供の名前を記した初凧を作ります。その凧が揚がったら、初子を含めたその一家が凧の糸を持ったり、みんなの前で肩車に乗って、練ったりします。 その場を盛り上げるところでも、私たちラッパ隊の出番はあります。

凧揚げ合戦が終わったら、萩丘の町内に戻って夜の部に備えます。 この日の萩丘組は浜松市の中心街で合同練りをすることになっているので、そちらまではバスに乗っていくことになっています。
そろそろ「たつぴ君も参加するって言っていたのに、どうなったの?」と思われている方も出てくることと思います。たつぴは3日と4日の午前は部活があるので、その2日間は夜の部しか参加できないのですよ。浜松まつりの期間中に、部活をやるなんて……… というのは浜松の常識で、私たちが住んでいる湖西市はその適用外なのですよ。 なので初日の夜は、こちらの町内の会所までは箔母さんにたつぴを送ってもらうことになりました。

たつぴの装備のうち、ラッパのヒモや股びきなどが揃っていなかったので、箔母さんはこちらに向かう途中ですみたや(まつりの専門店)に寄って買っていくそうです。 それはいいのですけど、集合時間に間に合うようにしてくださいよ。
ちなみに、萩丘からバスが出る時間は16時00分。そこから中央に行くのですけど、着いた先はたくさんの人で混雑しているのに加えてバスが止まる場所もズレたりするので、できることならそちらのほうでの合流は避けたいです。 昨年の私みたいに、練りの集団に行き逢えないうえに迷子になるという最悪の事態に陥る可能性が大きいので、箔母さん頼みますよ~
しかし、集合時間まで20分、10分と迫ってきても、彼女らが現れる気配は全くありませんでした。 「頼む、早く来てくれ………」そして、5分前になってようやく彼女からメールが来ました。 「今、すみたやを出たよ」
ええっ すみたやから萩丘まで、どれくらいかかると思っているんですか
※車で30分ぐらいはみておいたほうがいいと思いますよ。(編集部注)
「それじゃあ、間に合わないよ」と返信して、私はこれまでのヤキモキ感も一緒に流すつもりで小便室に入りました。「まったく、もう……… 」
そのとき、今度は私の携帯の着信音が鳴ったのです はわわわ……… よりによって両手が塞がっているときにかけてくるなんて、超タイミングが悪いです。その時の私は、着信音がトイレの外にまで鳴り響いているというのに、なかなか止められないというマヌケな状況に。 ちなみにその電話の主は、言うまでもなく箔母さんでした。

「バスは(中央の)どこに止まる?」「役員の人に聞いてくる」「クリエイト浜松の前だって」「はぁ?」「だから、クリエイトだって」「何だって?」この段階からして、状況はかなり厳しいですね。 「聞き取りにくいみたいだから、メールで送るよ」「わかった」彼女らは、浜松市の中心街で落ち合う作戦に転向したみたいです。しかし、バスの到着場所や時間は逐一変わるので、難易度はかなり高いですよ。なので、そこからは私はできるだけ綿密な情報を送るように努めました。 とかなんとかやっているうちに、私が乗っているバスはクリエイト浜松の前………

………を通り過ぎて、目印になるようなものがないところまで行ってしまいましたよ しかも萩丘組の集団は、降りたらすぐにでも移動しそうな気配ですし。せっかくイイところまできたのに、ダメじゃん

………と、諦めかけたまさにその時、私の目の前に箔母さんとたつぴが現れました。 彼女らはクリエイト浜松の前で待っている間にトイレに行きたくなり、ちょっと離れたところにあるコンビニに借りに行ったら、たまたま私が乗ったバスがそちら方面に来たそうです。このようにして行き逢えたのは、まさに奇跡です



では、感動的(?)な親子の再会を記念して、ここで一枚撮っておきましょう。 このとき、たつぴは初めて萩丘の茶色い、いや、黄土色の法被に袖を通したのでした。

その後、萩丘組は市内中央の大通りまで移動し、近隣の町内で形成している高台連合で隊列を組み、これからの出番に備えました。その列の先頭のほうでラッパを吹き、練りの集団に勢いをつけるのが、私たちラッパ隊のこちらでのお仕事です。 たつぴにとっては、いきなり大舞台に上がることになるのですけど、ラッパの吹き方はすぐそばで私がリードするので、心配する必要はありません。
………という話になっていたのですけど、たつぴは中学生というコトで、私から離れた列に組み込まれてしまいました。 この時点では、彼はラッパの音は出せるようにはなってはいたものの、メロディーのほうはまだ不完全な状態だったのです。果たして、大丈夫なのでしょうか?どうにもならなかったら、途中で逃げ出してもいいのですよ。………って、ムリか。



そして、高台連合の練りの集団は、浜松の鍛治町通りを闊歩しました。 沿道には、たくさんの観衆の姿が。その中には、箔母さんの姿もありました。 たつぴは隊列の一番外側にいたこともあって、箔母さんは至近距離から彼の勇姿(?)を見ることができたそうです。あとで彼女から「カッコ良かったよ」というメールがありました。
そうそう、たつぴのラッパのほうはどうなったのかというと、彼はまわりの上手な人の演奏や勢いに引っ張られていくうちに、ウマく吹けるようになったそうです。まさに「習うより馴れろ」ですね。



さらに日が落ちたあたりから、中央では絢爛豪華な御殿屋台がお囃子を奏でながら行き交うようになりました。 その姿はとても幻想的で、沿道の観衆の心を引き付けていました。

今年の浜松まつりは、初日から波乱含みだったのですけど、私にとっては例年以上に忘れられないものとなりました。 次回は2日目以降に起こった出逢いと触れ合い、たつぴの身に起こった恐怖体験などをお伝えします。


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コメント (8)
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