こんばんは、白黒茶々です。
前回から、私・波・狛の白黒茶々家の1人と2頭は、かつて城下町だった掛川市南部の遠州横須賀地区に来ています。 お城の見学を終えた私たちは………
横須賀城より遥か前の7世紀初頭に創建されたという三熊野神社を起点にして、町歩きをすることにしました。 そういえば、こちらの神社は4月上旬におこなわれる大祭が有名ですよね。
華やかに飾られた13台の祢里(ねり)の曳き廻しなどがおこなわれていたのですけど、コロナ禍の影響で昨年に続いて今年も中止となったそうです。
その三熊野神社も、私が昭和時代末期に撮った写真がありました 33年前は………
このようになっていました。建て替える前の拝殿は古くて趣があったのですけど、現在のものより小ぢんまりとしていますね。 そうそう、神社に来たからには………
お約束ともいうべき「狛(犬)と狛」をやっておきましょう こちらの狛犬は、なかなかのイケ狛ですね。
そうしたら時を現在に戻して、神社の前の通りを西に向かっていきます。
私たちは、割烹旅館の八百甚さんに差し掛かりました。 こちらは江戸時代末期に創業した老舗旅館で、現在の建物は昭和6年(1931年)に建てられたそうです。今も営業していて、1日に1組だけ受け入れているとのこと。
このようなところには、泊まってみたくなります。
横須賀城の東大手門の近くには、町番所がありました。 この建物は江戸時代末期のもので、昭和55年(1980年)に当時の大須賀町役場(現在の掛川市大須賀支所)の前に移築されました。戸が開け放たれているので、中の様子を覗いてみます。
ちょっとごちゃごちゃしていますけど、昔の番所の構造を見ることができました。 さらに私たちは城下町の西の方へと進んでいきました。
こちらは横須賀藩の御用達で、廻船問屋として繁栄していた清水て……… うわっ、車が来た 自撮りをしようとしたのですけど、思い描いていたような絵にできなかったので、やり直させていただきます。
では、改めまして……… こちらは横須賀藩の御用達で、廻船問屋として繁栄していた清水邸の、通りに面した母屋にございます。 この建物は、明治時代には郵便局としても使われていたそうです。
さらにこの邸宅の裏側には………
湧水を取り入れた池を中心とした、庭園があります。 しかもこちらは、無料で見学することができるのですよ
こちらの庭園内には、湧水邸という休憩所兼茶室が建てられていて………
その内部には、かつて横須賀城に使われていた西尾氏の家紋が入った丸瓦が展示されていたり………
桃の節句の時季ということもあって、地元の幼稚園児の手製のお雛様が飾られたりしていました。
また、こちらでは呈茶や甘酒、抹茶ラテを味わうこともできるのですけど、次回の楽しみに取っておきます。 そろそろお昼の時間となるので、波と狛には車の中で待機してもらって、私は昨年行った佐々木菓子店というこの地域の駄菓子屋に向かいました。
老夫婦が営んでいたお店の奥の方では、焼きそばやお好み焼きを食べることもできました。 そのお店は………
なんということでしょう この1年の間に建て替えられていましたよ。
新たに駐車場スペースも設けられていて、以前より開放的になっていました。
駄菓子はやめて、お好み焼きや焼きそば、焼きうどんなどの鉄板メニューに絞ったみたいですね。 それでも、値段が以前と変わらず安いままなのが、嬉しいですね。
実はこちらでは、私は心に決めてきたメニューがあるのですよ
それからしばらくして………
私のもとにそのメニューが運ばれてきました。 焼きそば(250円)の大(+100円)に、肉(+50円)と目玉(+50円)をトッピングしてもらいました。
これほどの内容で合計450円とは、なんてリーズナブルなのでしょうか
しかも、税込価格ときたもんだ
最初から味付けされているのですけど、さらに追いソースで濃さを変えてもよし。目玉をつぶして、麺と黄身を絡めて食べてもよし。味のほうも以前と変わらず美味しくて、楽しみながらいただくことができました。
老夫婦が切り盛りしていたのですけど、お店を綺麗にしたこともあって今まで以上に張り切っているように見えました。 それから客の数も増えていて、持ち帰りで来た方もいました。
ごちそうさまでした。また食べに来るので、ずっと元気で焼きそばなどを焼き続けてください。
お腹も心も満たされた私は、波&狛との歴史散策に戻りました。 ということで、次回はさらに東に進んで、掛川市の旧大東町のほうに舞台を移します。
「次の佐々木菓子店では、自分の代わりに焼きそばの特大盛りにトッピングの全部のせをやってくれないかなぁ~」と密かに願っている方は、こちらに投票してやってください。