波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

高島城とメルヘン?な峠道(信州紀行その2)

2021-10-20 03:36:16 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

私はとともに信州を訪れ、前回の日記のラストで諏訪湖方面になだれ込んだところです。 こちらのほうは武田信玄の側室で四男勝頼の母でもある諏訪御料人(湖衣姫、由布姫とも)の出生地で、先代スピのの出身地でもあります。 当初の計画では素通りするつもりだったのですけど、練り直したところには………

高島城をねじ込みました。 見学者専用の駐車場の真ん前に、いきなり高い天守台の石垣と、さらにその上には復興天守がどど~ん と聳え立っています。 かつては「諏訪の浮き城」と称された通り諏訪湖の中に築かれていたのですけど、その後干拓が進んで、現在は湖からかなり離れた陸地の中にあります。

それでも、本丸の北側から東側は水堀に囲まれているのですよ。 このお城はそのあたりの景観が見事なので、角度を変えつつ撮っていきます。

そのお堀に架かる木橋を渡ったところには、冠木門という名の櫓門があります。 この風景の中に波と狛を入れるとしたら………

やはりこのあたりでしょうか。 高島城への士気が高まったところで、このお城の説明をさせていただきます。
もともとこの地方は諏訪氏が治めていたのですけど、天正18年(1590年)に諏訪頼忠徳川家康の関東への移封に付き従っていき、代わりに豊臣系の日根野高吉が新たな領主となりました。 高吉は7年ほどかけて諏訪湖畔に高島城を築城。しかし、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、頼忠の子の頼水が入城。 以後は明治に至るまで諏訪氏の居城となりました。

高島城は、私と波は5年前の諏訪湖お散歩オフ会で訪れて以来で、狛にとっては初めての訪問となります。 その時みんなで記念撮影をしたところで撮ってみたのですけど、波と狛がホワイトアウトしかけてしまいました。
高島城は明治に入ってから廃城。 明治8年(1875年)までに建物が撤去され、その翌年に本丸跡は公園として開放されました。 その後も諏訪市民の高島城に寄せる想いは強く、天守を復元する計画が立ち上がったりしたのですけど、諸事情で2回ほど頓挫。 それでも、三度目の正直となる昭和45年(1970年)に鉄筋コンクリート製ながらも、市民の夢を実現させることができました。

3層ではあるのですけど、天守台の高さは12.54m、建物が20.2mもあり、そこそこ高いです。 その最上階からは諏訪湖の遠景や、逆方向に富士山を眺めることができます。

そういえば「ゆるキャン△」志摩リンも、回想の中で高島城を訪れていました。私たちのこちらでのミッションは順調にこなすことができたので、この勢いのまま次の目的地に向かいますよ
とはいっても、目指すところは長野県内でも諏訪市から遠く離れた佐久市。そこに至るまではこの旅最大の難所となる峠を越えなければなりません。 私たちは諏訪湖畔を南下していき、茅野市からは「メルヘン街道」という名の国道299号線の山道を上っていきました。

信号のない一本道とはいっても、そこに繋がる道から混んでいました。 このようなところで、行楽渋滞でしょうか?それでも先に進むにつれてバラけていき、そこそこ自分のペースで走れるようになりました。 それにしても、この道はグネグネしていますね。

その峠具合を写真に撮っておきたかったのですけど、路肩に車を止めるスペースや心の余裕がなかったので、ストリートビューでご了承くださいませ。 それにしても、この道のどのあたりがメルヘンなのでしょうか? そうしているうちに………

私たちはレストハウスふるさとさんという峠の茶屋に行き着きました。 すでに駐車場は混んでいるのですけど、運良く車を止めることができました。 まずは私がトイレを済ませて………

そこから臨める絶景をバックにして、写真を撮っておきましょう ふるさとさんは標高1706mの山の上にあって、浅間山や佐久平、八ヶ岳などを見渡すことができます。 そうしたら、その景色を眺めながらお昼ご飯をいただくことにしましょう 実はこちらの下調べはしてあって………

私はすでに注文するメニューを決めてきていました。 山菜そばや卵かけご飯も捨てがたいのですけど、やっぱりシンプルかつ山の幸が盛り込まれた山菜ご飯ときのこ汁のセット(700円)がいいですね ここまでお腹を空かせてきたので、美味しさとありがたさが倍増すること間違いナシ 波と狛には車の中に待機していてもらい、私は喜び勇んで店内に入っていきました。

「そ、そんな………」
まだ辛うじて12時台なのに、このような事態となっていました。 間に合った先客たちが山の幸に舌鼓を打っているところを通り抜け、私は失意と空腹のままふるさとさんをあとにしました。 あまりのショックからでしょうか?道順を確認しないで走っていってしまいました。 1本道と思っていたのですけど、実はふるさとさんからもう1つの道が分かれていて、私は誤ったほうにハマっていきました。

本来ならそのままメルヘン街道を下っていって佐久穂町に入るハズだったのに、そこから南に外れた松原湖方面に向かっていってしまって。 途中で何回かラーメン屋などの飲食店を見かけたものの、余裕がなかったからでしょうか?ついスルーしてしまいました。
そうしているうちに、次の目的地の近くのコンビニに行き着いて「お昼はここでいい」ということになりました。 そこで私の目に止まったのは………

焼きそばバゴォーンでした。 東洋水産マルちゃんブランドで出しているカップ麺で、わかめスープ(当初は中華スープ)が付いているのが大きな特徴なのですよ かつては全国で販売されていて、私も小さい頃は好んで食べていました。 しかしその勢力図は縮小していき、現在は東北と信越地方でしか売られていないそうです。 久しぶりの再会に私は大喜び そいつをメインにして、肉まんとカフェラテを加えて、その日のお昼ご飯にしました。 お湯を入れてから目的地に向かったのですけど、3分後に到着できるか微妙ですね。 
………という際どい心理状態のまま、次回に続けさせていただきます。



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