こんばんは、白黒茶々です。
前回は久しぶりに訪れた高島城で、昔おこなわれたオフ会を懐かしみ、そのあとに峠の茶屋でお昼を食いっぱぐれるという浮き沈みがあったのですけど、私たちはそのような過程を経て、今回の信州紀行の大本命とも言うべきお城にたどり着きました。 それはどんなところかといいますと………
龍岡城であります 私たちはその大手口の前に来ています。
こちらのお城は、江戸時代の末期に……… えっ、その前に、前回の日記のラストでお湯を入れてきたカップ焼きそばの行方を聞きたいですって?
そうですね、3分の制限時間(?)に間に合わなくて麺がちょっと伸びてしまいましたけど、美味しくいただくことができましたよ。
私がそのカップ麺も含めたお昼を済ませてから、波と狛を連れて龍岡城の散策に入りました。
先ほどの橋の上から、お堀と石垣を眺めてみました。直線的なのですけど、所々で折れていますね。
こちらは先っちょが尖っているように見えます。
そのまた先には立派な石垣が 江戸時代中期以降に発展した、切り石をすき間なく積んだ「切込みハギ」という工法で築かれています。
さらにその上部は、はね出し石垣となっております。
ただし、このあたりはお堀が途切れているのですよ。
だんだんとノッてきたので、このあたりでこのお城の説明をさせていただきます。
龍岡城は、三河奥殿藩(現在の愛知県岡崎市)の大給(おぎゅう)松平氏最後の藩主となる松平乗謨(のりかた)によって築かれました。 大給松平氏は徳川将軍家の遠戚で、乗謨は幕府の老中クラスでした。奥殿に陣屋(防御機能が簡素化された屋敷構えのお城)を構えていて、その地に4000石、飛び地の信濃田野口(現在の長野県佐久市)に1万2000石の領地を持っていました。
奥殿藩は東海道沿いにあって、幕末の動乱に巻き込まれるのを避けるために、乗謨は田野口に新たなお城を築くことを幕府に願い出ました。 許可を得て、元治元年(1864年)に着工。
しかし、彼は多忙なうえに資金難もあって、しばしば工事が中断することも。
一部お堀が掘られていなかったり、御殿の屋根に瓦が乗せられなかったりなど、不完全なところもあったのですけど、築城から3年後となる慶応3年(1867年)に一応完成しました。
乗謨は、箱館五稜郭のような稜堡式の洋式築城術を学んでいて、その知識と技術を新たなお城に採り入れたかったみたいですね。 稜堡式のお城は星の形にすることによって攻めてくる側への死角をなくし、先端に構えた大砲で十字砲火できるという利点があるのですけど……… 龍岡城に砲台は1ヶ所しかありませんでした。
※箱館は函館の旧名ですけど、五稜郭が機能していた頃は箱館だったので、ここではそちらに統一させていただきます。(編集部注)
それだけではなく、龍岡城の規模は箱館五稜郭の半分ほどで、石垣の高さや堀の幅も前者よりかなり控えめです。 箱館五稜郭は幕府が威信をかけて築いたのに対して、龍岡城は1万2000石の小藩が単独で手がけたのでムリもありません。
いや、それだけの石高の旗本クラスの大名が造ったにしては立派です。
その跡地は、現在は田口小学校の敷地となっています。こちらの学校は、昔「ナニコレ珍百景」で「スターな小学校」として紹介されたことがあるのですよ それだけではなく………
その一角には、台所櫓が位置を変えつつも現存しています。 龍岡城で唯一の建築遺構で、かつては御殿に接続していました。
箱館五稜郭にはすぐ近くに五稜郭タワーがあって、そこに登れば五稜郭の全体像を掴むことができるのですけど、龍岡城にはそのような施設はありません。
龍岡城であいの館という展示室があって、龍岡城に関する写真や図も展示されていて、その概要を知ることができます。 しかし、この日は閉まっていました。
このまま散策を終えるのもナンなので………
私は龍岡城の北側の「五稜郭展望台」がある山に車で上ってみることにしました。 その登山道に至る麓の道の段階から、車1台がようやく通れるような幅でした。
その先はかなり険しいと聞いてはいたのですけど……… 道幅が狭いうえに曲がりくねっていて、地面は未舗装で荒れていました。 しかも、そのような難所が1.5kmも続くというのですよ。
さすがに対向車が来たら一貫の終わりです。
ジムニーや軽トラック以外の車で通るのはやめておいたほうがいいのですけど、私たちが乗ってきたのは3ナンバーのMPV。
旅はまだ続くので、無理や無謀な策は避けたほうがよかったのですけど、コワイコワイコワイ………
そんな感じでワーワー!キャーキャー!言っているうちに、ちょっと広いところに行き着きました。 このあたりが展望台の駐車場でしょうか?
私たちはそこで車を乗り捨てて、歩いていきました。
そうしたら、間もなくして案内看板が見えてきました。 こちらで合っているみたいですね。
しかし、歩行者用の道までもが細くて険しかったです。
あ、それでも事前に調べた情報で見た通りの木柵がありましたよ もったいぶって、その風景の中に波と狛を入れてしまいましたけど。
そこから私たちが目にしたのは………
龍岡城の全景でした。 輪郭が稜堡式の星の形をしているのが、おわかりでしょうか?
「う~ん……… 微妙
」と仰るならば………
これならどうでしょうか? 禁断の(?)Google Earthの力を借りてしまいましたけど、確かに五稜郭と呼ぶにふさわしい姿をしています。
それから「スターな小学校」は今年度いっぱいで閉校するそうです。
龍岡城は国指定の史跡なので、校舎を解体したあとは本格的な発掘調査をして、史跡公園として整備されると思います。
ただし落ち着いた姿になるまでは、かなりの年月がかかりそうです。私はそうなる前の現在の様子を見ておきたかったので、今回のお城めぐりの旅を企画したのですよ。
龍岡城を有効に活用するには、本来の姿を取り戻すのもいいのですけど、インパクトありありの星の形をしていることもウリにできそうです。 例えば、恋愛成就のパワースポットとしてたくさんのカップルが訪れるとか、信州の地上の星の中心で愛を誓うとか。
夢は広がります。
龍岡城の関連スポットをあとにした私たちは、この日の宿となる温泉旅館……… ではなく、まずは日帰り入浴施設のあさしな温泉穂の香乃湯に行きました。 そこで旅の疲れを癒したら、その地域の料理を味わいたいですね
しかし、アテにしていた道の駅の飲食コーナーはすでに終わっていて、地元の料理店もなかなか見つからなかったので、晩ご飯は全国チェーンのすき家で食べることに。 その時は定食の気分だったので、牛カルビ定食をいただきました。
そして私たちは、この日の宿所となる道の駅ヘルシーテラス佐久南に入りました。 画像は翌朝の様子ですけど、着いた時には夜空にきれいな月が浮かんでいました。
それから、宿所とはいってもそこにホテルが併設されているというワケではなく、連夜の車中泊にございます。
消灯してキリのいいところで、次回に続けさせていただきます。