こんばんは、白黒茶々です。
前回の日記から、私は岡崎市の岡崎公園に来ています。 その園内にある岡崎城の復興天守と大河ドラマ館を大急ぎで見学し終えたので、駐車場の車の中で待機している波と狛を迎えに行きました。
このメンバーで再び岡崎公園を目指しました。 今回はいつもとはルートを少し変えたので、国道1号線を挟んだ先に復元された岡崎城の東隅櫓が見えてきました。
その公園に入ってすぐに、こちらを拠点として活動している葵武将隊のメンバーの本多忠勝と行き逢いました。 その彼にお願いして、波&狛と一緒に写真を撮らせてもらいました
こちらの平八郎さんは大きな数珠を肩に掛けて、手に槍を持っていますね。
その近くには稲姫もいたので、遠慮なく撮影に付き合ってもらいました。ちなみに彼女は、歴史上では本多忠勝の娘ということになっています。
藤棚の下での集いまでまだ時間がある……… というか、「午後に行きます」としか伝えてないのですけど、時間的にはまだ余裕があるので、道草を食いながら向かっても、大丈夫です。 たぶん、きっと。
ということで、徳川家康の「しかみ像」の石像の前で記念撮影をしておきました。
松平元康(のちの徳川家康)の騎馬像も石像なのですけど、こちらはモニュメントっぽいですね。 そいつをやり過ごしてから、さらに歩いていったら………
地元のサモエドのもものすけ君と行き逢いました。 これはさい先がいい
私は彼も今回の集合場所に向かっているところだと思って「のちほど(藤棚の下で)逢いましょう」と言ったのですけど、この日逢ったのはこれが最初で最後となりました。
先ほど私が単独で見学してきた復興天守を仰ぎ見ながら坂を下っていったら………
東隅櫓の前の広場に行き着きました。 こちらには出店や展示物が並んでいて、それらの中には………
ジオング……… ではなく、徳川家康の腰から上の石像もありました。 地元の石材店のものみたいで、道の駅藤川宿の近くにあるものを縮小したような……… いや、実はその原本なのかも知れませんね。
そうしているうちに、私たちは五万石藤の下にたどり着きましたよ その花はほぼ満開で、見頃の時季を迎えていました。さらにそのまわりには、ヒトにも花にも優しいクマンバチが飛び交っていました。
まだ白ふわのお仲間が見当たらないので、とりあえず藤棚をバックにして波と狛で写真を撮っておきましょう。
その近くの乙川の河川敷の広場では、からあげ万博なるイベントがおこなわれていました。 人気の唐揚げのお店が多数出店しているのですけど、それらの前には長蛇の列ができていて、同じところでおこなわれる犬市場に負けないぐらい賑わっていました。
それからしばらくして………
サモエドのルーチェちゃんが姿を現しました 彼女は豊橋に住んでいるのですけど、今回ここで集まりがあるということを聞いて、駆けつけてくれたのですね。
それから、地元民の嵐ちゃんもやって来ました ただし、この日のマネージャー(リードを持つ人)は彼女のママさんではなく、Cooママさんでした。
サモエドのCooちゃんはかなり前に失くなったのですけど、彼女のママさんと私たちとの交流は、今でも続いています。
さらに、こちらも地元民のアルバス君が到着しましたよ 今回のメンバーは、これで全員みたいですね。
しかし、揃ってからも飼い主同士が藤の花を眺めつつ、ゆっくりのんびり雑談などをしていました。
せっかくなので、アルバス君のパパさんからいただいた彼の目線から撮った波と狛の画像を載せておきます。
危うく忘れるところでしたけど、みんなで藤棚の下で集合写真を撮ることにしました。 その際には、秋田犬のとうま君も一緒に並ぶことに。
しかし、なかなか息が揃いませんでした。
ま、まあ、らしさが出ているということでヨシとしておきましょう。
そのあと、その一行は岡崎公園の大河ドラマ館の前まで行き………
その近くにいた葵武将隊の本多忠勝と稲姫も巻き込んで、こちらでも集合写真を撮りました。 時期限定の「どうする家康 岡崎大河ドラマ館」の字も入るので、いい記念になりますね
その「どうする家康」は岡崎から浜松へと舞台を移し、徳川家康にとっては人生で最大の危機ともいうべき三方ヶ原の戦いに挑むことになります。
果たして、彼はその合戦で武田信玄の軍に勝つことが……… って、「人生最大の危機」と言ったところから負けは確定していますよね。
波狛日記でも、今までにそのことには何回も触れていますし。
とにかく、浜松のほうの大河ドラマ館はすでにグランドオープンしているので、近いうちにそちらにも行ってその様子をレポートいたします。