波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

ドンキーMとスズキ歴史館

2024-07-24 01:35:34 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

先日、私のいる東海地方では梅雨明け宣言がありました 今年は公式の梅雨の期間は短かったのですけど、梅雨に入る前から休日は雨ばかりで、私のスケジュールは天候にかなり翻弄されてしまいました。 もしかしたら、昔よりは梅雨を線引きするのが難しくなっているのかも知れませんね。

そんな6月23日の日曜日は、朝から雨模様でした。 私が名古屋のホテルで飲み食いしまくった1週間前は、行事は屋内のみであるのにも関わらず、快晴だったというのに。 天気のムダ遣い……… とまでは言ってはいけませんよね。 それはさておき、午前中はを家に置いて、家族であるところに出かけていきました。 そのあるところとは………

びっくりドンキーでした。 朝からこちらに来たということは……… そうです モーニングが目当てだったのですよ 私は数年前から箔母さんたつぴにドンキーのモーニングに連れていく約束をしていて、この日ようやく実現することができました。

そういう私は、GWの最終日に食べに来たばかりなのですけど、その時には次に注文するメニューを決めていました。 ………って、注文用のタブレットがその分野のページになっているので、バレバレですよね。

はい、ミニサイズのハンバーグとライス、サラダが乗った、ミニマムレギュラーバーグディッシュ(630円)にございます。 さらに、みそ汁とドリンクのどちらかを選べるというので、おかわり自由のホットコーヒーにしました。 そのメニューはコンパクトなワリにはお腹に溜まって、お昼まで、いや、それ以降までもちました。 ここで朝ご飯にハンバーグもアリだと、認識しました。 それから、コーヒーはブレンド、シングル、ブレンドの順で、3杯いただきました。

その一方で、箔母さんはチーズトーストセット(おかわり自由コーヒー付き490円)、たつぴは卵かけご飯におかわり自由のホットコーヒーを追加(合計550円)にしていました。 みんなしてバラバラですね。 それでも、美味しかったみたいで、次に来たらまた同じものを食べたいと言っていました。
実はこちらのびっくりドンキーに来たのには、ワケがあったのですよ。 お腹も心も満たされた私たちは、今度はそこから近いといえなくもないところにある………

スズキ歴史館にやって来ました 今回は家族全員でこちらを見学することになっていて、先ほどのドンキーと同じ方面にあるので、私はコースに組み込みました。 こちらの施設では、スズキが歩んできた歴史とその製品の変遷を知ることができます。 完全予約制なのですけど、時間を指定すれば無料で見学することができます。

ということで、これから皆さまをスズキの世界(?)にご案内致します。 入ってすぐのところにあるホールには、スイフトソリオジムニーなど、現在発売されているスズキの主要な製品やラリー仕様の車などが展示されています。

そのスズキは、明治42年(1909年)に鈴木道雄氏によって創立されました。トヨタと同じように織機から入っていったのですけど………

戦後間もない昭和27年(1952年)には、自転車に小型のエンジンを乗せたパワーフリーという、バイクの原形が造られました。

昭和30年(1955年)には、スズライトを発売 そこから、スズキでは軽自動車が主力の商品となっていきました。

こちらは「我が家にフロンテがやって来た 」のセットであります 昭和42年(1967年)なんて、私はまだこの世に存在していませんでした。 箔母さんはいましたけど。 その頃の民家も再現されていて、手前のブロック塀の隙間から覗いてみると、フロンテを巡る家族の寸劇を観ることができます。

その翌年には、T500が出ました スズキでは軽自動車を開発している一方で、二輪車も進化・大型化していったのです。

昭和45年(1970年)、ようやく私が生まれました。 展示品のすべての製品には、その頃の相場も掲示されているのですけど、国鉄(現在のJR)の駅の入場料が30円で、カレーライスが1杯150円なんて、夢のような時代です

その年に、初代ジムニーが発売されました 悪路の走破性能に優れ、武骨なデザインも今日まで受け継がれています。

さらに昭和54年(1979年)には、初代アルトが日の目を見ました 修ちゃ……… いや、鈴木修相談役もこの商品の開発に携わられたそうです。 47万円なんて、その当時でも画期的な価格だったのですけど、維持費を安くするために商用車の4ナンバーにしたのですよ。 しかし後部座席は殺人的な狭さで、リアの足回りは地面からの振動をマトモに受ける板バネ。 それでも、アルトはスズキの主力商品となりました。

昭和59年(1984年)には、初代カルタスが登場 スズキは小型車にも、力を入れることに。 ところで、皆さまは舘ひろしさんの「オレ・タチ、カルタス」というCMをご存知でしょうか?

その5年後には、2代目カルタスとなりました 私は大学生の頃、この車のマイナーチェンジ型に惚れ込み、バイト代を貯め込んで、家族の反対を押しきって購入。 さらにスズキの販売会社に就職する流れとなりました。

平成3年(1991年)に発売された軽自動車の2シーターのスポーツ車のカプチーノは、今でも人気があります。 現在スズキの系列会社のパートをやっている箔母さんによると、近々令和のカプチーノが発売されるそうです。

その2年後には、初代ワゴンRが出ました 鈴木修社長(当時)はあまり期待しないで発売の許可を出したのですけど、軽自動車業界が衝撃を受けるほどの大ヒット商品となりました。 その頃の私は小型車のセールスをやっていたのですけど、会社にはワゴンRのパンフレットを求める人が殺到しました。

そんなバブルの余韻がまだ残っていた平成7年(1995年)には、Xー90を出したのですけど……… これは全く売れませんでした。 エスクードをベースにして開発したのですけど、なぜ荷物も人も乗せられない2シーターのRVを発売したのでしょうか?

それはさておき、スズキは平成13年(2001年)に日産に軽自動車のOEMをすることに。 モコの自社販売型としてMRワゴンを出しました。 その展示車には、なぜか長嶋茂雄さんの直筆サインがありましたよ!これは洗えない

ここから先は、スズキが商品を開発する様子が展示されています。 そのテーブルに、怪しいオジさんが紛れていますよ。

こちらは、ボディーの最終的なデザインをしているところですね。 ちなみに商品のモデルは、スプラッシュであります。

あと、工場の生産ラインの様子も再現されていました。 2代目スイフトが続々と出来上がっていきますね そのあとのほうに、スズキの本社がある浜松市のことを紹介するコーナーがあって、さらにそこには………

浜松まつりの映像が流れていて、その中に私が映っているのですよ しかも昔のものなので、かなり若い頃だときたもんだ

それからせっかくなので、最初に私たちが入ったホールに展示されているバイクのに跨がってみました しかも親子で。軽い服装&ノーヘルなところは、見逃してください。

スズキの歴史館には、プラスチックの原材料を型に流し込んでお持ち帰りのミニカーのおもちゃを速攻で作る(ように見せる)コーナーもあります。 ここから出てきたのが、今回の日記の冒頭に写っていた初代アルトのキーホルダーだったのですよ
白黒茶々家がスズキ歴史館を訪問するのは、10年ぶりぐらいになります。 その間に箔母さんはパートでスズキの工場に出入りするようになり、たつぴは最近購入したスイフトスポーツに惚れ込んでいます。 スズキの商品や歴史の見かたは変わり、思い入れが強くなり、さらに私がスズキの系列会社の元社員ということも手伝って、今回はついつい見学時間が長引いてしました。

それでも、午後から予定されていたカインズホームセルフウォッシュでの波と狛のシャンプーは、無事にこなすことができました。 そんな彼女らを連れて、来週の日曜日はキャンプ(犬キャン△)をする予定になっています。 なので、今度こそはどうか晴れますように~



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