5年前、次男が買ってくれた車も入れて一応家族全員集合貴重な写真!
とうとう10年間の在宅介護に幕を閉じる日が来ました。
5/14(火)上白根病院から「AOI国際病院 長期療養病棟」に転院しました。
以下、長文になります。
4月に急性期病院に緊急入院し【膿胸】を癒すことが体力的に出来ずそのまま回復期病院に転院。
回復期病院からは1カ月位で在宅か長期療養型病院に移らなくてはなりません。
爆弾を抱えたまま抗生薬で抑えている現況で、家で診るのは本人にも負担が大きすぎるとの事。
在宅の限界を受け入れなくてはならない状況は在宅医のアドバイスも同意見でした。
「人生の終わり、時は選べないけれど場所と方法は選べる」とfacebookの言葉が胸にささります。
なんとか、なんとか・・祈りが右往左往して定まりません。
苦しくても声も出せず、ただベッドで横たわるヒデミの顔が目に浮かび、胸が締め付けられ、泪が止まらず、夜中に目が覚めては眠れない日が続きました。
悶々としながら長期療養型病院の最適な病院を当たることになりました。
一覧表から相談員、在宅医の雅子.K先生にアドバイスを頂いて3か所の病院に絞りました。
先ずは下見に(青葉さわい病院、川崎みどりの病院、川崎田園都市病院)
次に書類審査があり、審査が通ると面談して詳しい内容の説明を受けることになります。
審査の回答がなかなか来なかったり、面会制限が週一回とか厳しかったり、高齢者特化の病院だったり、空きベッド待ちでいつになったら空くかはわからない、等々。
なかなか一朝一夕にはいかず帯に短しタスキに何とやら。
難航して焦った相談員から「もう一か所書類審査を出したい」と提案がありました。
「AOI国際病院」、聞いたこともない病院です。
驚くほどのスピードで書類審査もスンナリ通り、5/13(月)面談日も決まりました。
雅子.K先生は担当エリア外でご存じないのではと思いながらも藁にもすがる思いでご相談しました。
横浜の先生にムチャぶりですよね、案の定ご存じないらしくお返事はありませんでした。
それではとネットで病院名「AOI国際病院」を入力して・・エッ、エッ、目が点。
緩和ケア病棟担当医、我が目を疑って二度見、三度見、何度見ても経歴も写真も紘.K医師です。
紘.K医師は雅子.K在宅医のご長男で、昨年夏に雅子先生が体調を崩されてから紘先生が代わってヒデミの在宅担当医でした。
わたしは思いました。
「これは神様が先だって働かれておられる」と。
そしてわたしは誓いました。
「これが神様の出来事ならその導きを素直に受け入れよう」と。
そしてわたしは祈りました。
「これが神様の御業なら我が手から主の手にヒデミを委ねます。」と。
「主ご自身があなたに先だって行き、主ご自身があなたと共におられる。
主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。
恐れてはならない。おののいてはならない。」(申命記31:8)
緊急入院の時、牧師から祈りと共にいただいたみ言葉。み言葉は真実です。
面談の2日前の夜の事です。
雅子.K医師から電話がありました。
「息子がその病院に先月から勤務しているそうなの、何という事でしょう」
面談で自分の名前を言っても構わない、入院したら都度見舞うからとのご子息からの伝言でした。
紘.K医師は緩和ケア病棟、ヒデミの入院先は療養型病棟なので様子を見に行って下さるとの事。
JOYチャペルのミッションステートメントに2つの聖句があります。
その一つは
「人間にできることではないが、神にはできる」 (マルコ10章27節)
人間には思いもつかないことだが、神は驚くべきことを思いつかれる。
主は生きておられる。
主よ、わたしは何者なのでしょうか。これほどまでに主が気にかけて下さるとは。
主よ、ヒデミは何者なのでしょうか。これほどまでに主が先だって働いて下さるとは。
5/13(月) 「AOI国際病院」面談の日です。
11時、強い雨が降る日でした。
夫とケンジ、家族揃って出席しました。
面会は毎日出来ると聞いて安堵、これが一番の私たち家族の関心ごとでした。
コロナ以来面会制限がどこも厳しく、午後は殆ど寝ているヒデミ、週一回ではねぇ。
緩和ケアー病棟の紘.K先生のお名前も使わせていただき、ソロソロ面談を終わろうとした時。
相談員の携帯に電話が。
「キャンセルの電話です。明日で良ければ即入院可能ですが?」
我が家3人は顔を見合わせて「お願いしよう、ね、ね、ね」って事に。
ケンジも明日はたまたま仕事が休みの日で同行可能と言う。
そうは言っても上白根病院が「ありえな~い」って拒否するかもと思いきや、スンナリOK。
急展開もいいところ、あれよあれよという間に決まってしまいました。
10数年前、聖マリ百合丘病院で気管切開、胃ろう手術後は長期療養型病院に入院。
家に連れて帰りたいと懇願しても医師も看護師も「無理」の一言でしたから。
半年後に院長から「体調が安定してきたので在宅も視野に」と話しがありました。
「在宅」が決まった時、それは私たちのたっての願いでしたから本当に嬉しかった。
ピアノ教室を閉じ、TBTS教会音楽科の働きも無理を言って辞任、音感メソード研究会も。
何もかも捨て「二人で介護」を合言葉に夫と共に介護する日々は何と楽しかったことか。
Christianのケアマネをとの願いが聞かれ、多くのサポーターのあたたかさに感涙したことか。
大変なことも失うものもとっても多かったけれど、いただいた恵みと感謝はその何倍もです。
何よりも神様のご臨在をどれほど感じたか、目にしたか、耳にしたことか。
主は生きて働いておられる。アーメン
昨日の雨にうって変わってなんと今日は快晴。
神さまが再び新しい道を開いてくださった。
10年間続いた在宅介護は今日をもって終わりになります。
「どんなことにも感謝しなさい」(Ⅱテサロニケ5:18)
主にあってこそどんなことにも感謝できるのです。
入院手続き中に悲しいお知らせの電話がありました。
いつも「感謝」が口癖のようにあふれ出る信仰の友が天に召されました。
ヒデミと同じケアマネに手厚くサポートしていただきながら自宅でガン闘病中。
LINEの最後に「在宅仲間の京子より」と常にわたしを励まし祈ってくれたW姉の召天。
「在宅」は共にこれで終止符、神さまの御手の中で再び新しく生かされていきます。
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