3月10日の大空襲時 配給統制株式會社の絹糸 LED電灯

84歳の兄から、「浦安名産のつくだに」が届けられた。お礼の電話をかけた際に「昭和20年3月10日の大空襲のこと」を細かく聞いておきたかったので、2時間も話し込んでいた。「今聞いておかなければ~」との思いが、私の中では強くなってきている。
「日本橋久松小学校の高学年児」なので疎開せず、夜中とて父の言うことをよくきいて行動したので助かったのだ。先の2月15日の空襲にあった馬喰町と横山町の空きビルへ、(3月10日の夜中の下町への焼夷弾により浜町への火がうつる前に)逃げ込み、翌日の朝方に父だけが自宅へ様子を見に行ったので、浜町の家の周りの多くの死体を見ずに済んだ。中央線には被災にあった人は無料で乗られたので、市ヶ谷駅から西荻窪駅の叔母宅まで行かれたと、も。忘れたが確かクラス会などは一度だけ、級友は空襲で亡くなった人が多いからと、も。



クラス会、同期会と準備会とに騒いでいる私が、兄と亡き兄(二人)の、私とは年の離れた三人を思い妙な気持ちになっている。
スーツの袖丈を詰めようと、亡き母の裁縫箱から「絹糸」の丁度いい色けをみつけた。戦後の昭和20年代の「配給統制株式會社」と表示されている。(昭和40年頃より着なくなった着物を縫うことなく、昭和58年9月ごろまで何かと使用していたらしいが)


クラス会のコートを納戸から出してきた。50歳前後の時の 9サイズで間に合わせよう。冠婚用のスーツ用のブローチもみつけた。(断捨離せずよかったぁ)


6~7年は世話なしという「LED電灯」を買ったが、突然消えてしまったら蛍光灯電灯の方が電球を付けかけできていいかな、とも思う。


ありがとうございます
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