スケートカナダの試合が終わり、羽生選手は、まさかのSP6位から、総合2位にまで浮上して、銀メダルとなりました。
まずは、お疲れさまでした。 そして、あの状態からの銀メダルおめでとう!
フリーの後半4回転のコンビネーション、成功おめでとう!と言いたいです。
かろうじてとはいえ、あの状態から後ろに直ちに2回転をつけられたのは、さすが羽生選手としか言えません。(笑)
私は、ショート6位と聞くとびっくりしても、得点をみたら7点差だったし、得点が出なかった理由も、体の絶不調とか大怪我などではなく、ただの「ノーカウント」だったので、全然心配していませんでした。
たとえ何があっても、羽生選手は大丈夫だろう、(たとえフリーがダメで総合順位がダメだったとしても)と思えるのは、
カナダに行く前は、羽生選手はSP出遅れからのフリー巻き返しは当たり前だったり、負けた時ほど現実を真正面からしっかり受け止めて、
悔しそうではあっても、いつも前向きで素直で潔かったので、心配するどころか逆に期待できる気持ちにさせられてきた過去の積み重ねによるもので、
羽生ファンとしては、本当にありがたい限りです。(笑)
さて、今回はエキシビションから見ていきたいと思います。
羽生選手は、「天と地のレクイエム」を演技しました。
正直、やはりあの最初の7月の時の演技の記憶から、この演技を見るときには最初にちょっとだけ心に緊張が走るというか、
心の準備や覚悟が必要に感じられて、そこがちょっと辛いところだったのですが、
海外では初披露となったこの演技、出だしから今までのどの演技とも、全然違って見えました。
予想外にもとても「穏やか」で、特に一つ一つの動作・要素に「優しさ」が溢れていて、
嘆き、悲しみ、怒り、悲劇等、辛くなる要素が全く見えなくて、今までとはまた全然別の演技のようにさえ見えました。
私が強く感じたのは、羽生選手がこの演技をここでする「動機」が、
もう、ただひたすら「優しさ」や「思いやり」からくるものだということ… それ以外の余計な感情が一切見られないように感じられたのが、本当に本当に良かったです。
見慣れたというのも多少あるのかもしれませんけれども、私から見たら、何の辛さも想起されなかったことで、
私の個人的な感想では、今までの中で一番良かったと思いました!
羽生選手の演技を、安心して観られることは、ありがたいことです。
そして、もう一度繰り返し観てみよう、観てみたいと思える・・・ そういう演技の時は、何よりも嬉しいですね。
そしてそのほうが、結果的には、広く大勢に「静かな思いが」伝わるだろうと、私は思います。
観終わってから、とてもホッとする演技でした。
8月の「24時間テレビ」の時は、「花になれ」と組み合わせたことで希望につなげましたけど、
今回はこの演技一つで、優しさがしみてくるような演技でした。
なんとなく、ピアノの音源(演奏)が今までと違う気がしたのですが、私がそう感じただけなのか、本当に変えてあるのか…
音色までもが優しく聞こえました。
もし、羽生選手の演技だけで、そう感じさせたほどだったのだとしたら、それはそれでめちゃくちゃ凄いのですが…
羽生選手の、演技後のインタビューでのコメントも、聴いていて、とても感じるものがありました。
「昨日込めきれなかった思いや、スケーティング」を意識して滑ったと語っていたように、フリーでやや足りなかったものを、
その分をこのエキシビションに込めてくれたというのが、きっととても良かったのだろう、と思いました。
結果、この「天と地のレクイエム」の演技が、今までよりもずっと光って見えた気がします。
以前は激しさや水しぶきのように感じられた音楽の一部が、今回は、ひたすら穏やかな波のように、そしてその波間に光がキラキラと輝いているようなイメージがありました。
上の演技動画では、演技が始まってすぐの時に、光の加減で、虹色の光彩が二つ、羽生選手に向けて両側から差し込んでいます。
その後も、何度も演技中に、この虹色の光彩が差し込んで羽生選手に向かっています。
羽生選手の演技が、今までになくすごく祝福されたように、私は感じました。
また、照明のライトと思われる光源が、観客席の上のほうで、まるで羽生選手を見下ろす星のように輝いて、羽生選手の背後に映っている時が、数回あります。
映像としては素晴らしいですね。
最後に、氷の上に緑色の葉っぱみたいなものが映し出されているのが見えます。
以前は、黄色い花だったやつですが、変更されたようです。
この映像だと何の柄なのかよくわかりませんが、私には、自然の緑の再生のように感じられました。 良かったと思います!
エキシビションの後のインタビューで、羽生選手は、
「昨日(のフリーで)込めきれなかった思い」をこの演技に込めたと語ってくれたことから、
やはりフリーの「SEIMEI」には、「生命」---震災に絡んだ、羽生選手のそういった思いが込められていたのだな、とよくわかりました。
羽生選手はあまりこのことを語ろうとはしなかったけれども、日本をテーマにした演技で、複数の意味をもたせてあって、音が「セイメイ」なのだから、まあきっとそうだろうな、と最初から思ってはいたのですが…。
羽生選手は、最近の雑誌のインタビューで、この演技のテーマを、「テーマはない」などと答えていたりするのですが、(笑)、
私が前回のオータムクラシックの時に感じた、この「和」の演技に対する
衝撃的な何か、非常に惹きつけられた、澄み渡るような鮮烈で特別な「何か」ーーーの正体は、あえて一言で表すなら、
(ああ、そうか、羽生選手の「日本への愛」なのだな・・・・)と今書きながらやっと気が付きました。
「郷愁」というレベルのものではなく、ただの「愛国心」とも「土地好き」「文化好き」とも違う、単に「日本代表だから」とも何か違う、もっとより深い思い。
命に対する強い思いが、根底にあるのだろうな、と。
東日本大震災をはじめ、頭がおかしくなりそうな信じがたいことばかりが次々と起こっていった2011年、
私がその前年度に「この人こそ未来の五輪金メダリスト!」とだ思って期待して見ていた「白鳥の姿の天才少年」であった羽生選手は、
「猪突猛進のロミオ」の姿に変身しながら、おそらくは彼なりの苦悩の果てに、こんなことを言ったのを私はテレビで見ました。
「信じられるものがなくなりつつある・・・ 今の日本には、ひょっとしたらそんな雰囲気もあるかもしれません。
でもやっぱり、ひとりひとりの持っている「信じること」そのものが大きな力になる。
そう思いたくて、このメッセージを書きました。」
「信じる力を!」---羽生選手が色紙に書いてみせた言葉でした。
(「羽生結弦語録」 100ページより)
私はこれをよく覚えています。
フィギュアスケートの天才少年とはいえ、わずか16才だった高校生が、声をちょっと震わせながらーーーでも強い決意と勇気をもって、テレビカメラの前でそう語ったのを。
その言葉は、不思議なほど力強い響きをもっていました。
私の記憶が正しければ、確か、羽生選手はちょっとウルウルしていたと思います。
私は本当にビックリして、言葉にならないほどの衝撃を受けながら、それを見ていました。
震えながらだった声が、ビブラートのように響き、胸を打ちました。
どんな政治家や、芸能人が語りかける言葉より、真実をちゃんと見ていて、真剣に考えていて、稀に見るほどの勇気をもって、必要なことをたった一言で言っているように思えました。
そして、感動して涙が出ちゃって、気が付けば泣きながら笑っていました。
「信じる」って言ったって、信じられないものばかりの時は、何を信じるかこそが一番重要だと私は思うのだけれども(笑)、
そんなツッコミはさておき、
大人たちが本音ではみんな逃げ出したくなるほどの状況の中、
まだ選挙権もない10代だったこの羽生選手が「ものすごく真剣に、本気で生きているということ」ーーー それだけは、疑いようもなく絶対に信じられるな、と私は感じて、ちょっと笑っちゃいました。
そして、これからも何があっても羽生選手は精一杯、真剣に生きるんだろうなっていう・・・・
それだけはなぜか絶対に信じられると思えたら、それがものすごい希望に思えたのです。
「語録」として文字で読むと、そんなに驚く言葉でもなく、あの時あの状況だったからこその、強い、胸を打つほどの響きが、説明がないと再現できません。
でも、「あの時」、「あれだけの状況の中で」、「たった16歳で」(いや、16歳だからこそ、だったのかもしれないけど)、
「まっすぐな眼差し」で、真剣に本気でマスコミに向けてそう言えた羽生選手は、もう滅茶苦茶すごかったよ!と、私は言いたい。
「そう思いたくて…」と言った羽生選手の言葉からは、どこかで、「そう思いたくても、そう思いきれない」ような葛藤をも経て、
それでもなお、そう信じて前を向こうとしている想いや、それを伝えたい気持ちが、私には感じられました。
そして、それをあえてカメラの前でわざわざ語ってくれた、その勇気と思いやり。
当時の羽生選手が、本当は何を見て、何を想い、本音ではどんな思いだったかなんて 私にわかるわけもないけれども、
でも、そんな羽生選手の姿を見ながら、なぜだかものすごく元気が出て励まされちゃった単純な人間が、少なくともここに一人いましたよ! と証言しておきます。
きっとその頃からの、羽生選手の色んな思いが込められている、そんな演技なのだろうなと・・・・
そんなことを思いながら、今回は特に伝わってきた「優しさ」に感動した、そんなエキシビションでした。