羽生選手が、荒川静香さんの番組「フレンズプラス」に、ソチ五輪シーズン以来、2年ぶりに登場して、
色々なことを語ってくれました!
動画はこちら → http://www.dailymotion.com/video/x3uy4vi_160229-sizukaxyuzuru_sport
なかなか良かったですね!
エキシビションで、使ってみたいと思っているのはジャズ系だと答えていて、昔使った「sing sing sing」を挙げています。
(このブログ、「最高おススメ演技 その9」 で紹介してあります → http://blog.goo.ne.jp/hananinarouyo/e/9470008f96f9bb65ec5746c74843f85a )
あれは、使っていたスケーターがすごく多かった人気の曲だと思うし、羽生選手の演技ももちろんとても良かったので、またいつか、「今の羽生選手」で見てみたいですね!
ジャンプの難易度はもちろん上げて。(笑)
羽生選手は、ネガティブな言葉を言わないように気を使っていると語っていますから、やはり、ご自分が相当ネガティブな英語の歌詞の曲で滑ってしまっていた、などという認識は、全くなかったようですね。最初の頃に雑誌でも語っていたような、正反対の認識のままだったということでしょうね。
羽生選手はまた、挑戦することに誇りを持っているから、ジャンプを失敗しても、それを恥だと思っていない、と答えています。
そういう思いや姿勢や、確実に演技から伝わっていますね!
羽生選手の演技を観ていて、たとえジャンプの失敗がどこかであっても、すぐに忘れてしまうような感覚があるのは、羽生選手自身が気持ちを完全に切り替えて、そこに囚われずに前を見ているからなのでしょう。
荒川さんも、羽生選手にはまだまだ限界が見えない、と語っていますけれども、本当にそう思います。
4回転ルッツについても言及していますし、4回転アクセルまでは跳びたい、と明確に答えていますし、単独でなら絶対に跳べると思っているようですが、現役中にプログラムに入れるのが可能かどうかまでは何とも言えないようです。
(この現役中にっていうのは、次の五輪、23歳までのことを言っているのだと思います。 )
3回転(トリプル)アクセル習得の時も、それなりの身体ダメージがあったと語ってくれました。
…それを聞くと、書くのにちょっと躊躇するのですが…
いやいや、
でも、羽生選手なら絶対に出来るから! 絶対にどこかで出来ます!!
誰に頼まれずとも、出来るイメージが最初から与えられているものなら、絶対に出来ます!
(イメージできないものは、その人にはたぶん出来ないということですので、どうか無理しないでください。)
絶対王者を目指してきた羽生選手は、絶対にかのおうじゃ~~~!!!(← 可能です、と言いたい!)(笑)
(ああ、ほう… とでも読み流してください。)
そうはいっても、競技では、全てはまず、健康があってのこと。
見極めながら、無理しすぎず、希望をもって着実に、頑張ってほしいと思います!
一方、こちらは、3月1日に放送された、「池上彰の、教科書で学べない災害」 という番組の中の、羽生選手部分の動画です。
http://www.dailymotion.com/video/x3v588d_160301-%E3%81%82%E3%82%8C%E3%81%8B%E3%82%89%EF%BC%95%E5%B9%B4-%E3%81%82%E3%81%AE%E6%97%A5-%E3%81%AE%E8%A8%98%E6%86%B6_sport
羽生選手が、震災直後に避難した小学校を、当時の状態を再現した場所へ行って、色々と思い出しながら語って下さってますけど、まず校庭で当時の様子を思い出した途端、「今、ぶわ~ってなった」と語り、
涙ぐんで、かなり辛そうな様子でした。
「今、こうやって目の前に、こういう情景があると… 笑えますね。 わかんないけど。
なんでなんだろう… なんか、深刻な顔して言えない」
と言っていましたけど、極度のストレスや強い葛藤に直面したり、怖いと思っているものに立ち向かう時などに、人間は逆に笑うことがよくありますね。
結構多くの人が経験しているのではないかと思います。
恐らく、ストレス回避の防御反応みたいなものでしょう。
羽生選手はやはり、心理的な抵抗や辛さがあったのだろうし、テレビカメラが映しているということをも考えたでしょうし、顔が笑ってしまう自分に戸惑いがあったようです。
変な誤解を受けないためにも、そこでちゃんと言葉で説明できるところが、さすが羽生選手ですが…
でも、心配せずとも、解っている人は大勢いるから、大丈夫だよ、と私はお伝えしたいですね。
2011年以来、あの大震災時の体験の話をする時は、私の見てきた限りでは、ほとんどの人が、なぜか顔が笑っていたり、妙に声が明るかったり、途中から笑いだしたり、笑顔になりながら話す、ということに気が付きました。
決して楽しいわけでもないのですが、重苦しくしないため、話すときの自分と相手へのストレス軽減と、あとは、やっと話せる、聞いてもらえる安堵感みたいなもの…
そのような全てが複合的に混じっているのではないかと思っています。
悲しみや辛さがいかに強かったかの証拠というか、悲しみや辛さの裏返しみたいなもの、でもあり、相手への配慮も含まれているものではないかと。
羽生選手は、トイレや食事のエピソードも、語ってくれました。
眠るスペースの狭さ等、震災時の避難所での実際の様子、羽生選手の辛さが、見ている人には、よく伝わったのではないかと思います。
羽生選手の虚ろな表情が、見ていて辛かったし、大丈夫かな…という気にもなりましたけれども… 2011年~2012年ごろの羽生選手の様子を思い出しました。
二人で一つのおにぎりしかもらえなかった話や、2畳程度のスペースに家族4人で寝た話などは、羽生選手は、前から語ってくれていましたね。
トイレや水回りについては、東日本大震災時、東京近辺でも色々と悲惨な状態がありました。
東京東部(震度5弱の地域)の路上にいた私の友人の一人は、避難誘導に従って、一番近くの公園か墓地のような広い場所に大勢の人たちと同時に移動させられたそうです。
そこから動くなと言われ、交通網も遮断され、大勢で寒い中、ず~っと待っていた結果、ただでさえ数少ないトイレに、あり得ないほどの人が大行列で並ぶことになり、トイレに入るのに何時間も待つことになった結果、女性の列で、寒さの中、待ちきれなかったり耐えきれなかった人たちが大勢出てしまい、大勢が、そこらじゅうで本当に本当に悲惨なことになったと語ってくれました。
2度と思い出したくない、と言いながらも語ってくれて、最後に涙ぐみながら、「なんか、初めてこうやって話せて、ホッとした」と。
そう言って、最後には笑顔になりました。
東京でさえ一時的にその状態だったのですから、仙台のトイレ事情は想像に難くありません。
誰かに声をかけること、自分から(自分の話を)語ること、相手の話を聞いてあげること、受け止めてあげること、は、大災害時やその後のケアには、特にとても大事だと思います。
特に、災害時を無事に生き延びられても、その後の困難の中で、孤独や、かかえきれない思いなどで、様々な絶望に陥ってしまい、
周囲が気が付かないうちに 命が失われてしまう人を、一人でも減らすためにも…
津波で1階が流された 戸建て住宅の持ち主の方ともお話しした羽生選手。
風化させないために、本当は見るのも辛いであろう、思い出の残ったご自宅をそのような形で残す決意をされたその方の、その強い決意から生じる個人的な心身負担および経済的負担は、相当大変なものだろうと思いますから、持ち主の鈴木さんは、すごいですね。
話を聞いただけでは、リアルなものがなかなか想像できない人たちにとっては、色々と伝わるものがあったのではないかと思いますし、後世に伝えられる貴重なものとなるかもしれません。
広島に今も残る、原爆ドームのように。
この映像は、今年の1月に撮影されたものだそうです。
災害対策に役立つことを特集していたので、一般的には、羽生選手出演部分以外にも、見るべきものは沢山ありました。
個人的には、津波に呑まれてお嬢様との手が離れてしまった経験をされた女性の話と、石巻の津波映像がとても辛かったです。
また、「津波てんでんこ」という言葉を知らない人が、あんなに大勢いたということに、驚いてしまいました。
2011年に、散々報道していたと思ったのですが…。 読んだり聞いたりしている人は、案外少ないのでしょうか。
東日本大震災から5年経ちましたけど、2月に台湾とニュージーランドで大きな地震があり、つい先日もインドネシアで大きな地震があり… と聞くと、なんとなく2011年の春を思い出します。
災害を決して特別なものと思わず、規模や形は違えども、必ずいつかどこかでまた起こり得るもの、と考えて、備えておきたいですね。
究極の場では、知識の差や、勘や、一瞬のとっさの判断、そして希望の有無とあきらめない心が、生死を分けることがあります。
私は小学校時代に、校長先生から、関東大震災(1923年)の話、色々な証言や情報を集めたものを何度も何度も聞かされましたし、地震の避難訓練が、その校長先生の方針で、学校で1年に何度も実施されていました。
訓練はつまらなかったし、嫌な状況を想定しながら何度も繰り返しやられるのはかなり苦痛だったのですが、
でも、今から思えば、そういった話や経験・訓練は全部、私の人生の中で、危機を免れるためや、状況を耐え抜くために、思わぬところで生きてきたと思います。
また、「あの当時こういう悲惨な状態の中を、みんな耐えながらも、知恵を絞りながら、生き延びた」と知っていると、同じような悲惨な状態に直面した場合に、それを思い出し、そのような状況を耐えて生き延びる強さや覚悟につながったりします。
戦時中、草を食べてしのいだとか、おしっこを飲んで生き延びたなどという話を知っている人と、そんなことを聞いたことも想像したこともない人とでは、いざとなった時の辛い状況への耐性が大きく変わってくるのは、自然なことです。
特に 地震大国の日本では、とても重要なことだと思います。
今回、被災した当時の様子を多くの人に伝えるために、
かなり無理して頑張ってくれた様子の羽生選手。
本当にお疲れさまでした…
でも、どうかあまり無理はなさいませんように…
自分を大事に出来ますように。
上の荒川さんの対談動画と比べて、やはり、表情に明確な違いがありすぎましたので、心配になったファンも多いかもしれません。
最後に語っていた羽生選手の言葉。
「僕たちは生きている人間だからこそ 、命を全うして
亡くなった方々、 もっと今つらい思いをしている方々に対して、
胸を張って生きられるような生き方をしなきゃいけないと… 強く思っています。」
その羽生選手の気持ちは、普段から、見ている人に伝わっていると、私は思います。
震災後5年という節目だということで、恐らく、羽生選手はそれなりの覚悟をもって、この撮影に臨んだのではないかと思われますが、自分でも気が付けないでいた、色々な心理的な問題と直面することになったかもしれません。
もし、世界選手権のエキシビションで「レクイエム」をやるつもりでいるならば、そこに今回のその経験が生かされるといいなと、そんな風に私は思いました…
もしやらないとしても、何か重要なことに気が付けたなら、その辛い体験にも大きな意味があったと言えます。
人を慰め、癒す演技とは、何なのか…
観る側の人の立場に立ったとき、様々な人がいるとしたら、どのような影響が想像できるのか…
もしやるなら、そこに何を込めたら良いのか…
何を表現したら、マズいのか。
羽生選手の今後の人生に、実りあるものとなりますように。
羽生選手が、羽生選手らしく、輝いていけますように。
羽生選手、頑張ったね。
毎日の練習が、少しでも楽しいものになりますように…!!
少しでも幸せを感じられる日々で、ありますように…!!
お祈りしています。
※ 最後に、おまけ情報です。
NHKが、明日の夜からシリーズで特集として、2011年大震災当時に起きたことに関連したスペシャル番組を連続で放送するようです。
最初となる明日は、2400点の映像資料、1000人以上の証言音声や当時のメモなど膨大な記録を発掘収集したという、「原発避難 7日間の記録 〜福島で何が起きていたのか〜 」
知られざる7日間の全貌。
「NHKスペシャル 3月5日(土)夜9時」
http://www6.nhk.or.jp/special/index.html
どんな内容なのかわかりませんが、真実に迫る、本気の番組であることを期待しています。
偽りでも誤魔化しでもない、真実が伝えられ、過去から学び、2度と同じ悲劇が起きませんように…
日本が、同じ過ちを、決して繰り返さずに済む、未来ある、希望ある国になりますように… !!