今では当たり前のように多くの人が思っている「基本的人権」「国民主権」が全く認められていなかった時代が、少し前の日本にもあった歴史的事実と悲劇を、決して忘れないでいたいですね…!
日本が再び勘違いな傲慢に陥ることが、二度とありませんように、羽生選手の五輪2連覇の真実を全て知り尽くしておられ、歴史の細部や、声をあげられなかった人々、犠牲者となった人々の思いさえ全てご存知の真の神、罪を赦す権威を唯一もつ真の救い主、主イエス=キリストの御名で祈ります!アーメン。
2019年3月1日:1919年3月1日の、「3.1独立運動」(当時の日本が、朝鮮半島を植民地支配しようとしていたことへの抵抗運動)から、本日でちょうど100年が経ちました。
日本が、戦前の過ちを繰り返すことが2度とありませんように…!当時の全ての犠牲者を悼み、双方の歴史上に横たわる数えきれないほどの罪の赦しと主の憐みを願い、主イエス=キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
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初掲載: 2018年1月23日:
平昌五輪を前に、荒川静香さんと高橋大輔さん、鈴木大地さん(水泳)や上村愛子さん(モーグル)たちが、韓国で聖火リレーに参加されました。
スポーツを通して少しでも平和を、と願う彼らの思いが、少しでも届くといいですね。
相変わらず、政治では「従軍慰安婦問題」で もめてきた日韓ですが、
韓国側のいう、「賠償も合意もそのまま」で、それでも従軍慰安婦の方々に対する「心からの謝罪」が一番重要で、それこそが欲しいと訴え続けている、その真意を、できるだけ正確に、日本はくみ取るべきかと個人的には思います。
「心からの謝罪」とは何でしょうか。
政治が何かを出来なくても、私たち一人一人が、「同じ人間として」できることというのは、きっと沢山あります。
韓国の方々が、本音で何を一番望んでいるのかを考えた時、やはり韓国から見て、「歴史的な事実として何があったのかを、率直に後世に伝えるという努力を、日本が全然真剣にやっていない、と感じられている点」が一番大きいのではないかと、私は感じています。
実際、日本で教育されている歴史で、韓国のことをどれだけ知らされているのかということを考えると、多くの人が全然知らない、という事実が浮かび上がります。
そもそも日本では、自国の歴史上の、最大の悲劇とも言われる「原爆被害」についてさえ、広島や長崎の人たち以外の日本人の多くは、正確に詳しく知っているわけでもなく、最近では、原爆被害の知識のある人や危機感を持つ人たちが、ますます減っているような状況です。
また、大震災の最中に起こってくる凶悪犯罪の数々も、日本では殆どニュースにもなりませんし、知らせる努力も少ないように思います。原発爆発の被害の実態だって、その経緯や原因を含めて、かなりのことが隠され、誤魔化されてきました。
国内の悲劇ですら、その程度の扱いであることを見れば、なおのこと、他国との戦時下での真実を知らない日本人が増えるのは、残念ながら当然の流れに思われます。
日本人として、最低限押さえておきたい、日韓関係の3つのポイント。
1:日本はかつて、韓国を事実上の植民地支配下に置いていたこと。(1910年~1945年まで)
※日本の教科書では、1910年を「韓国併合」という言葉で表現されていることが多いので、「植民地支配」「一種の奴隷化」だったという認識がない日本人も多いかと思います。
2:その時期に、当時の日本(大日本帝国)の警察や軍隊を中心として、強制や強要・拷問・虐殺により、韓国の人々から多数の大変な恨みを買ったこと。
3:日本では、敗戦確定であり終戦記念日となった1945年の 8月15日は、韓国では、日本からの植民地支配下からの解放となった「独立記念日」なのであり、韓国では「祝日」であること。
最低でもこの3点を知っていると、なぜ、いまだに韓国人を見下す差別主義的優越感にひたる日本人がいるのか、なぜ、いつまでも日本を恨み続けている韓国人が大勢いるのかが、少しはわかりやすいのではないかと思います。
1905年に、日本が韓国の外交権を握ってから、韓国人による日本への抵抗運動が激化し(義兵運動)、4年間で17万人が参加し、そのうち、約1万7000人もの人が、日本軍(大日本帝国軍)に殺害されたとされています。 (日本の歴史資料集より)
1910年から本格的に始まった日本からの植民地支配により、日本からの独立運動として、朝鮮半島で大規模な反乱が起きたのは、1919年です。
しかし、以降、第二次世界大戦が終わる1945年まで、日本による韓国(朝鮮)への植民地支配は続きます。
(今年は2018年ですから、かれこれ、約100年以上の年月が経っています。)
さて、次に、現在の韓国の「日本語観光案内」を使わせてもらいながら、ちょっとだけこれらの実態を詳しく見てみたいと思います。
こちらの、韓国の観光案内の日本語のページをご覧ください。
https://www.konest.com/contents/spot_mise_detail.html?id=488
日本がかつて 韓国の独立運動家たちを逮捕して収監した獄舎などを、保存公開している「西大門刑務所歴史館」。
ここは、日本が韓国を植民地にしていた時代の、監獄や死刑場、独立運動の取り調べの様子を史料や人形で再現している場所だそうです。
日本植民地時代に朝鮮半島に設けられた刑務所の中では、最大規模だった場所だそうです。 (2010年の改修前までは、凄惨な拷問描写があったらしいのですが、今は減らして、戦後の韓国の民主化運動の展示を取り入れてあるとのことです。)
ページ真ん中あたりに出てくる、拷問室の再現、ページの下の方に出てくる、韓国独立運動の有名人、柳寛順(ユ・カンスン)さんは、
朝鮮の独立運動の英雄の一人であり、最も有名な若い女性ですが、わずか17歳程度の若さで、当時の日本側の拷問により、殺されています。
ユ・カンスンさんが活動したのは、1919年に日本の植民地下の時代に起きた、「3.1独立運動」と呼ばれるものですが、
日本の教科書だと、「日本は軍隊を送って鎮圧しました。」という言葉だけで簡単な説明で済ませてあることも多いため、具体的にどんなことがあったのかを知っている日本人は、日本全体から見たら、極めて少ないだろうと思います。
ではこの「3.1独立運動」が、いったい何を求めていたのかーーー
――つまり、韓国の方々が、当時の日本側に何を求めていたのかが、次の「3.1独立宣言書」に書かれていますので、ちょっとここに載せてみたいと思います。
『3.1独立宣言書』
「われわれは、わが朝鮮の独立と朝鮮人民が自由民であることを宣言する。
これを世界各国に告げ、人類は平等であると明らかにし、子孫に教え、民族の独立を正当な権利として永遠に保持させるものである。
5000年の歴史の権威によって宣言し、2000万の民衆の忠誠を合わせて、明らかにするものである。
これはすべての人類がともに生きるための正当な権利であって、何人たりともこれを阻止して弾圧することはできない。」
(現代の日本の中学校で使われている、中学歴史資料集より)
…現代の日本人である私たちが読めば、これは、普通の基本的人権を要求した内容だとわかります。
しかし、当時の日本国内でさえも、人々の「基本的人権」などは、全く保障されていない状態だったのですから、想像に難くないと思いますが、
支配下に置かれた韓国(朝鮮)(や他のアジアの国々)でも、「大日本帝国軍」により、弾圧・鎮圧、拷問、惨殺が沢山起こりました。
この独立運動の参加者数はおよそ200万人~1000万人、逮捕者が約5万人、死者が約7600人以上だったと記録されています。(※資料により数値は多少異なります。)
この「3.1独立運動」の起きた日「3月1日」は、
「祖国の独立を願って闘った日」として記念され、今の韓国の三大祝日の一つとなっています。(3.1というのは、3月1日のことです。)
こちらが、そのことの詳細を日本語で説明し、関連する観光場所を案内した、観光案内ページです。
https://www.konest.com/contents/korean_life_detail.html?id=440
もう一つ、韓国の祝日となっているもので、日本との歴史関係が非常に深いものが、
8月15日の「独立記念日」、「光復節」と呼ばれている日 です。
8月15日は、日本では「終戦記念日」ですが、その同じ日が、
韓国では、日本の植民地支配からついに解放されたことを祝う日として、「独立記念日」になっています。
当時日本(大日本帝国)は、日本国内だけでなく、韓国内にも多数の日本の神社を作って、日本の天皇を「生きた神」として拝むように、韓国人にも神社参拝や東方遥拝(日本の方角に向けて拝むこと)を強制していました。
( 義務だといって強要していました。)
それに抵抗して拒否したために収監され、拷問され、虐殺された韓国人が大勢いたのです。
拷問内容としては、「爪の下に竹で作った短い針を刺す」「逆さにつるし、とうがらしの水を鼻に入れる」「電気拷問」「飢え死に」等があり、自分の舌を噛み切る者も出たり、耐えがたい寒さで凍傷になり、全ての爪が剥がれ落ちた、などの証言記録が残っています。
また、当時の日本側からの軍隊への徴兵命令を(韓国人が)拒否すると、死刑に処せられていたため、拒否権は事実上なかったといいます。
(以上、「わが父、孫良源」(いのちのことば社出版)の証言より)
*孫良源さん=韓国のハンセン病患者の療養所を作った、キリスト教会の牧師であり、殉教者
日本人としては大変残念なことですが、
いわゆる大日本帝国軍の軍隊に従事しろという「徴兵命令」を、植民地支配下の韓国人男性が拒否できなかった事実があったのなら、
女性たちがどのような目に合っていたのか、拒否権があったのか無かったのかなどは、容易に想像がつくことではないでしょうか。
1945年の8月15日の当時、収監され、日々拷問を受けていた韓国人の中でも、特に、韓国のキリスト教の牧師たちについては、
日本の天皇を神として拝まなかったという理由や、日本の神社参拝を拒否した罪、という理由で、「8月17日に」まとめて、(日本側によって)全員処刑されることが決まっていたそうです。
しかし、その死刑執行日であるわずか2日前の 8月15日に戦争が終わり、韓国は日本の植民地支配から解放されたため、殺される予定になっていた牧師たちは全員、釈放されたとのことです。
この独立記念日を韓国では「光復節」というそうですが、まさに、「光」を「回復」した日、という意味ですから、
この「光復節」との呼ばれ方を見ただけでも、同じ8月15日が、日本とは正反対の立場だったことが、よくわかりますね。
そのことについての説明と観光案内が、こちらです。
https://www.konest.com/contents/korean_life_detail.html?id=558
聖書では、この世界を創られた神様は、人間を差別しないということが明記されています。
「この(天地創造主たる神の)怒りは、神が正しい裁きを行われる怒りの日に現れるでしょう。
神はおのおのの行いに従ってお報いになります。
すなわち、忍耐強く善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、永遠の命をお与えになり、反抗心にかられ、真理ではなく不義に従う者には、怒りと憤りとをお示しになります。
すべて悪を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、苦しみと悩みが下り、
すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。
神は人を分け隔て(わけへだて)なさいません。」
(ローマの信徒への手紙 2章5~10節 新訳聖書 新共同訳より )
また同時に、聖書では、(本物の救世主以外の)ただの人間や動物などを「神」として崇めることは大きな罪であり、それをやると、知らないうちに「悪魔の支配下に入る」と警告しています。
「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。なぜなら、神について知り得る事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。
世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物(自然・動物・人間・植物・天体物等)に現れており、これを通して神を知ることが出来ます。
従って、彼らには弁解の余地がありません。
なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。
自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。」
( ローマの信徒への手紙 1章18節~23節 新約聖書 新共同訳より )
日本にいた日本人でも、戦時中に戦争に反対したり、天皇を「生きた神」として崇めることを拒否したりして収監された人は大勢いますし、このような強制・脅迫・虐待・拷問・収監に苦しめられた日本人は大勢出ました。
また、戦時中は、軍隊や警察の側として働き、あるいは天皇を本当に神と信じていたり、日本のやっていることを正義だと信じていたような人たちでも、戦後、その価値観がひっくり返り、そのあまりの罪の重さに気が付いて、死ぬほど苦しみ抜いた日本人も、大勢いらっしゃいます。
何も知らされずにいたり、本音では戦争には反対だったのに、飢えや原爆投下の被害者となり、想像を絶する苦しみを味わった日本人も、大勢いらっしゃいます。
1945年の8月15日の終戦から半年後の、1946年の元旦である1月1日に、
「生きた神」だとされていた日本の天皇自らが出した「人間宣言」の文とは、このようなものでした。
天皇の「人間宣言」(1946年1月1日)
「私は国民とともにあり、いつも利害を同じくし、喜びも悲しみもともにしようと思う。私と国民との結びつきは、つねにたがいの信頼と敬愛とにあり、
…天皇を現御神(あきつみかみ)(=現人神・あらひとがみ)とし、日本国民は多民族より優れていて、世界を支配する使命があるという つくりごと によるものではない…」
昭和天皇は、それまでの「天皇は神の子孫」だという考え方を自ら否定しました。
後世の「現代」に生きる私たちに、できることは何でしょうか。
色々あるでしょうし、お一人お一人、それは違うことと思います。
しかし、実際には何があったのか、
「真実を知ること」「知っておくこと」「知ろうとすること」「その姿勢を見せること」は、その大事な一歩かもしれません。
正直、私は当初、このページをもう少し詳しく書こうかと思ったのですが、色々な証言を読んでいくうちに、あまりに凄惨で残虐な事実の前に、私自身が耐えがたい気持ちになり、思考停止するほどに辛い感覚にまでなりました。
その時に、私が思い出したのは、かつて広島の被爆者の方で、生涯を苦しみ抜いた方が語って下さった言葉と、その時の様子でした。
凄まじい内容の証言を読み、日本人として、本当に胸が痛く、心苦しく、ただ泣くしかできない状態になった私の心の中に、ふと浮かんだのは、羽生選手が2016年の世界選手権でやってくれたEXの「天と地のレクイエム」でした。
この演技は、もともとは東日本大震災の被災者のために始められた演技だったと思いますが、
この2016年の世界選手権では、
羽生選手自身がそれまでに体験した、酷い痛み・苦しみと悲しみ、辛さを、
深い優しさと祈りへと昇華させて演じてくれた、そんな演技だと私は思っています。
きっと、状況や国籍も違う、多くの方の悲しみや苦しみをも優しく包んでくれる、そんな力があると思って、ここにこの動画を載せておきます。
もう一つ、天国への希望・願いも込めて、この演技も載せておきます。
人間にとって、本当の「幸せ」とは何でしょうか。
聖書では、幸せについて、イエス=キリストが次のように語ったことが記録されています。
「幸い」
「心の貧しい人は幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は幸いである、その人たちは慰められる。
柔和な人々は幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は幸いである、その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は幸いである、その人たちは憐みを受ける。
心の清い人々は幸いである、その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は幸いである、天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」
---- イエス=キリストの言葉
(マタイによる福音書 5章3~12節 新約聖書 新共同訳より)
最後に、世界的に有名な祈りの言葉である、「平和の祈り」を載せておきます。
共感できる、お持ちが合致する、と感じられる方、
あるいは、そういう一人一人の思いを大切に聞いて下さる、世界をも、天地の全てをも、歴史をも完全に司っているほどの存在である神様がおられるかもしれないと、信じられる方は、信じてみたい方は、
良かったら、今その場で、祈ってみて下さい。
祈りは、どこにいても、誰であっても、聞かれます。
本物の神様は、あなたがどこにいても、どのような状況であっても、たとえ病院で死の淵にいたとしても、声さえも出せなかったとしても、どこからでもあなたの祈りを聴き、受け取ることが出来るのです。
平和を求める祈り
神よ、
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。
わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからからゆるされ、
自分を捨てて死に、
永遠のいのちをいただくのですから。
※ 注釈 :
ここでいう「ゆるし」とは、決して、酷いことをした相手の悪行を肯定したり、残虐行為を受け入れたりしなければならない、などという意味ではありません。
自分がその怒りや悲しみや恨みに囚われ続け、苦しめられ続けることを拒否し、それらとは自分の人生や心をもう切り離して、そのことの裁定は天の神様に全て委ねて、
恨みや怒りの中に生き続けることを拒否すること、その選択をする「決断の心」を意味します。
傷が深ければ深いほど、人間の力や思いでは、到底不可能となる この「ゆるし」は、
その「ゆるすという決断」をすると、その「選択をした決断」を神様がご覧になり、そこに本当の神様の力が働いて、天来の平安、心の慰めや癒しを、奇跡的な形で経験できるようになっていきます。
苦しみの果てに疲れている方や、怒りや恨みが深い場合、日々この「ゆるし」を選択・決断して、心の中で宣言していくことをお勧めいたします。
苦しんでおられる一人でも多くの方に、天からの祝福と癒しがありますように…!
歴史上の犠牲者たちの上に、神様からの深い慰めと癒し、長年の苦しみからの解放と名誉の回復、真の救いがありますように…!
主イエス=キリストの御名で祈ります。アーメン。
(※ 参考:
これらの植民地支配を推し進めていた「大日本帝国軍」は、別記事に書きましたように、一筆書きの五角星である、「五芒星」を軍服等のシンボルにしていました。
この一筆書きの五角星である「五芒星」は、世界では、悪魔崇拝の共通シンボルマークであり、悪魔崇拝や魔術の儀式の現場で、古代から現代に至るまで、呪いや悪魔呼び出し儀式、虐待の現場等で、実際に非常に頻繁に使われているものです。
そして、この「事実上の悪魔崇拝下」においては、表ざたにはなかなかならないものの、ほぼ例外なく集団レイプを始めとして、極めて残虐な行為が行われ、その被害者・犠牲者が出る(洗脳による被害を含む)ということは、世界では良く知られていることなのです。
従軍慰安婦問題の根の深さは、これらと無関係ではなく、この「非常に重い罪」がゆるされるには、本当の意味での日本側の「悔い改め」すなわち、「心からの謝罪と反省」が確かに必要なのであり、それがないと「真の神様」からのゆるしがもらえないので、いつまでも(日本側に)罪が残る、というのは、そもそも聖書が語っていることです。
したがって、この意味で、韓国側の「お金はもういい」けど、「心からの謝罪」がほしい、それこそが必要だという繰り返しの訴えは、実は聖書的には、極めてわかりやすく、ある意味ではとても正しい主張ともいえます。
逆にいえば、日本側は「お金」ではなく、この「心からの謝罪」「反省」「悔い改め」だときちんと受け取られることを真摯に行うならば、(天地創造主たる真の神からの「赦し」や「癒し」が起こるため)、双方が前に進めるはずなのです。
ナチスドイツが行ったことを、現在のドイツが徹底して厳しく教育し続けているのは、この「深い反省」「悔い改め」をしっかり行うことが何よりも重要であることを、わかっているからです。
このページを読んで、お心ある方は、この問題についても、お祈りいただければと思います。
日韓関係の上に、朝鮮半島の上に、世界の上に、真の神様の最善の御計画がなされていきますように…! 主イエス=キリストの御名によって。アーメン。)
イエスは言われた。
「わたしは道であり、真理であり、命である。
わたしを通らなければ、だれも父(=天地創造主の神)のもとに行くことができない。」
(ヨハネによる福音書 14章6節 新約聖書 新共同訳より)
イエス=キリストの言葉
「わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしの父(=天地創造主の神)に愛される。わたしもその人を愛して、その人に私自身を現す。…(中略)
…わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。
わたしの父(=天地創造主の神)はその人を愛され、父(=天地創造主の神)とわたしとは その人のところに行き、一緒に住む。 わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。
あなたがたが聞いている言葉はわたし(=イエス)のものではなく、わたしをお遣わしになった父(=天地創造主の神)のものである。」
(ヨハネによる福音書 14章21、23、24節 新約聖書 新共同訳より)
イエス=キリストの言葉
「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。
体は殺しても、魂を殺すことのできない者ども(=悪魔と手下の悪霊たち)を恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方(=天地創造主である真の神)を恐れなさい。
二羽の雀(すずめ)が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父(=天地創造主の神)のお許しがなければ、地に落ちることはない。
あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。
だから、恐れるな。
あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。
だから、だれでも人々の前で自分をわたし(=イエス)の仲間であると言い表す者は、わたしも天の父(=天地創造主の神)の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。
しかし、人々の前でわたし(=イエス)を知らないという者は、わたしも天の父(=天地創造主の神)の前で、その人を知らないと言う。」
(マタイによる福音書 10章26~33節 新約聖書 新共同訳より)